見出し画像

書く習慣1ヶ月チャレンジDAY5・「どんな子どもだったか」〜幼少期は想像期?〜

「おとなしい」「いい子」
小学校に入学したころから、よく言われてきた。

その頃から、私は突然落ち着いたのだ。


ただ、私は根っこがマジでおとなしくない。
たぶん性格の半分くらいが好奇心で構成されている。
今もそれは変わっていないし、生きる術を身につける前の奔放な幼少期は、おとなしくないどころか危険物だった。

今回は、好奇心に負けては後悔し、また好奇心に負け続けた幼少期の私の奇行の数々を、勝手に紹介したい。

1.ヤバさレベル★★★
「何があるか知りたい症候群」

とにかく、引き出し、つぼの中、高いところにあるかご、あらゆるものの中身を知りたくて仕方なかった。
自分で開けられないところも何とかしてよじ登ろうとするので、ほんとに一時も目を離せない爆弾。
父方の祖母(高齢で父を産んだので、もう70を超えていた)は、目に入れても痛くないほど私のことを可愛がってくれたのだが、さすがに凄まじい労力を用するお世話に音を上げていたそうで、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


外食の際、店の高級な壺までも覗こうと試み始めたため、逃走癖(のちに紹介)も相まって、見事「外出禁止令」が発令される運びとなった。

街角で、電車で、走り回ったりわぁっと声を上げたり大声で泣いたりしている幼児を見かけるとめちゃくちゃシンパシーを感じるし、ただただ保護者の方を思うと自然と頭が下がる…… 

2.ヤバさレベル★★★★
「逃走癖」

とにかく、「ここでじっとしててね」ということができない。
少しでも自分の興味のアンテナに引っかかると全力でrun awayした。

外でお弁当を食べていた時のこと。
しきりに池を覗きに行こうとダッシュを繰り返す私に対し、「これは落ちないとわからないかもしれない」と両親は思ったそうだ。
何度「ダメ」と言って連れ戻しても、また逃走してしまうため、それまで逃走する瞬間に捕まえていたのをやめ、ギリギリまで様子を見ることにしたという。

すると、すぐに周りの人から「なぜあの子を野放しにしているのか、親はどこだ」風な視線が飛んできて…… 結局私は即捕獲された。
その会はあっという間にお開きになってしまったことは、言うまでもない。

かつて、車がガンガン走る国道に飛び出していこうとしたこともあったそうだ。

これについてはもうクレイジーすぎてコメントできなかった。


ひとつ、強烈な記憶がある。
夕食をとりに行った時のことだ。
相変わらず、走り回ったり店から出ようとしたりする私を捕まえること何十回、「もう帰るよ」と言って、母は私を連れて店を出て、本当に家に連れて帰った。
そしてその日から、外出禁止となり、長いこと本当に外食に連れて行ってもらうことはなかった(周りの迷惑になるのもそうだけれど、私の身の危険を心配してのことだった)。

自分で自分の身を危険に晒す弾丸幼女、本当にヤバい。笑

その日の帰り道、お店の看板の光を見ながら、「どうして私はこんなことをしてしまったんだろう」とやり切れない思いになった。
遠ざかるあの光は、今もはっきりと覚えている。


反省心はいつもあったように思う。
でも、すぐに目の前の事象への好奇心が、その気持ちを凌いでしまうのだ。
自制心が身に付いて本当によかったなと思う。
本当に、反省するなら行動した方がいいと思う。

3.ヤバさレベル★★★★★
「度を越したアニミズム」

ある日、いつも通り母と一緒に幼稚園バスの乗り場に向かっていた。
その時、目に飛び込んできたものがある。

苔だった。

初めて見たものではない。
いつも通っている道の、いつも通りの風景。

ところがその日その瞬間、いつもそこに鎮座していた道のはしっこの苔を目にした瞬間、私にはある考えが飛び込んできた。


「苔 が 動 く」


次に襲ってきたのは、恐怖だった。


「近づいたらこれが動いて、私の体を這い上がってくる……!!!」


その妄想は、あろうことか確信に変わった。

その瞬間、私はその場から一歩も動けなくなった。

幼稚園バスの時間は迫っている。

ケータイもない時代、ヘルプを頼むこともできず、幼稚園に連絡をすることもできない。

母はまだ赤ちゃんだった弟のベビーカーをひいている。

どうする。

どうする。


母は結局、ベビーカーをひきながらなんとか無理やり私を抱えて、その道を走り抜けたそうだ。

その道を通らず幼稚園に行くことはできない。
それから毎日、その日課が繰り返されることとなった。

嗚呼、何度謝っても足りない。


それから数日経って、今度はいつも遊んでいた公園にあった馬の遊具が動いて襲ってくると言い始め、鉄棒と滑り台しかない簡素な公園で遊ぶようになった。

さらにしばらく経って、今度は「おどどいさま」という謎の存在が公園の滑り台の上に居ると言い始め、「おどどいさま」と交信をしたり、お供えをしたりするようになった。

ちょっともうついていけない。
自分が自分自身についていけない。

実はその当時の記憶は今もあるのだが、本当に何かが見えていたわけではないのを覚えている。
ただ、急に自分の中に生まれた概念に、謎に敬意を払ってしまったようだ。
記憶はあるものの、本気で思考回路に疑念を抱かざるを得ない。
シンプルにヤバい。

感性が豊か、などと言った言葉では片付けられないほどのレジェンドの数々。
想像力も、度を越すと日常生活に支障を来す。
私にとって「大人になる」とは、「好奇心の抑制方法を知る」ことだったんだなぁと改めて思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?