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INFPを分析する③〜INFPと死生観、人生観〜

今回は、わたし的INFP分析の最終回として③「死への恐怖と生の切なさ」について語っていきたい。
※後半は西洋占星術の話もしてます

生と死について、いつから、どのくらい考えるか?これも、MBTI診断の基準に大いに関わるのではないかと思う。

おそらく生まれたときからINFPで、INFPでなくなる瞬間はないまま一生生きるであろう私は、物心ついたときから死を理解していたし、死について毎日考えていたし、だからこそいつか必ず来る別れの存在がある中で生きるとは何と切ないことなんだろうと思っていた。年齢にして、おそらく3〜4歳ごろから。

特に、この感覚に押しつぶされそうになった経験が二度ある。一度目は、5歳のころ、親戚の葬儀のため、斎場に泊まりがけで行ったときのことだ。
亡くなった親戚は父の従姉妹で、50代の女性だった。何度かしか会ったことはなかったので、特別な思いが生じる、まではなかったが、お見舞いに行ったときには笑顔を見せてくれていた人が亡くなるのは何て悲しくて虚しい気持ちになるんだろう…と思った。
その、夜のことだ。ただでさえ寝つきの悪い子どもだったが、慣れない場所、しかも葬儀の会場なので落ち着かず、なかなか布団に入れず、起きていた。

すると、会場の前の方の座席に、1人ぽつんと座っている男性がいた。
亡くなった女性の、旦那さんだ。

その後ろ姿が、何とも言えなくて、私は形容する言葉を持たなかった。今思い返すと、この世の切なさが全てそこに詰まっているかのような、寂しくて、やるせない、胸の詰まるような感情だったと思う。

人が亡くなること、それを見送ることは、何て悲しいことなんだろう。
こういうことが待っているのに、人は日常ではそれを忘れて、時には大笑いしたり、くだらないことで喧嘩したり……そうやって普通に生活していて、それは何て虚しいことなんだろう。終日には、こんな世界が待っているのだというのに。

そういう感情が、私の心を支配して、そのあと布団に入っても全然寝つけなかったし、そのとき見つめていた葬儀会場の夜の天井は今でも忘れられない。
そして、その親戚の女性にはまだ高校生の娘(私のはとこに当たる)がいて、翌日の葬儀では、彼女は「お母さん」と泣き叫んでいた。

その日から、私は地獄だった。
大好きな母が、同じようなことになったら。
毎晩のように恐ろしい想像が襲ってきて、大泣きして母になだめてもらい、でも余計、こうしてなだめてくれる母の存在が大切すぎて涙が止まらない。
起きている時間は抑えられても、布団に横になっていると嫌でも想像が広がってしまう。

こうしているうちに私は歳をとって、20代の終わりごろ結婚してこの家を出て(今年35になるが結婚できていないので、この心配は無用だったが)……あぁきっとあっという間に時間は過ぎて死に向かうんだ……

このルーティンは、続けたくないのに続いてしまって、毎日夜が来るのが怖かった。

そして、その状況に拍車をかける出来事が起こった。
大好きな祖母が脳梗塞で入院したのだ。

毎週末、見舞いに行ったが、もう体も満足に動かずぼんやりとしか物事がわからない祖母を見るのはつらかった。
そして、祖母のように、たくさんの人が苦しみながら入院している病院という場所がつらかった。

あるとき、トイレに行きたくなった私は一人で病棟をほんの少し歩いた。
すぐ近くにトイレはあったのだが、そのわずかな距離が子どもにとっては恐ろしかったようだ。

暗くて悲しい、人生の終末の場所。
知らない人が入院しているたくさんの病室から、何かが漂ってくる気がして、ものすごく悲しくて苦しくて泣きたくなった。
病院は私にとって、恐ろしい、死のお城みたいだった。

そして、祖母は亡くなった。
初めて、私に深く関わってくれて私にたくさんの愛情をくれた私にとって大切な人が亡くなった。

いつもは私を安心させてくれる父も母も、もう二度と笑ってくれないんじゃないかと思うくらいに泣いている。

親戚の葬儀に行ったとき、あのときは悲しかったけれどそれでもまだ自分たちの外側にあった黒いものに、今度は私たちが、すっぽりと取り込まれている。

祖母がもういないことが耐えられなかった。
それと同時に、こういう恐ろしい非日常は、虎視眈々と自分たちを狙っているんだと思うと本当に恐ろしくて息が詰まりそうだった。

ちょうどこの頃、私は小学校2年生だったので、クラスに馴染めずほぼいじめられっ子状態。

私は、何を楽しみに、何も楽しくない外の世界を生きていけばいいのかわからなくて、真っ暗だった。

家族に恵まれていたことが、私が生きていけた唯一の救いだったけれど、家族が好きであれば好きであるほど、死の恐怖は強くなる。

学校では、どうでもいい些細なことで毎日誰かが喧嘩をし、そんなことをそんな口調で話すと人の心が穏やかじゃなくなることがわからないの?と私の感性ではとても耐えられないようなことばかり起こり、夜は記憶と自分の想像力から来る死の恐怖に直面し、よく眠れないまままた学校で。

とりあえず、小学校3年生くらいまでが、生きているのがいちばんつらかったように思う。
それからは、自分の理想という光の世界を見ることもあったし、勉強などで物理的に忙しくなれたからだ。


当時若干小3にして、「生と死の意味を考えすぎておかしくなるから生きていくのがつらい」という悩みを話せそうな同級生はどこにもいなかったし、ちょっとおかしな感性を持ってしまった私が娘であることが、両親に申し訳なかった。
私は家族に恵まれているから、健全に、ちゃんと育たないといけないはずなのに、こんなである自分に責任を感じた。
家族が優しければ優しいほど、自分が不甲斐ないし、家庭的にたくさん苦労をしている人もいる中で、恵まれているのに健全な精神を所持できない私はなんてワガママなんだろうと思った。
色々気にしすぎで繊細すぎなんだから直(治)せたら、と思ったけれど、神経を鈍くすることができない。
鏡を見るたびに、自分は欠陥品なんだと思った。


週1くらいのペースで貧血を起こして早退し、インフルエンザや溶連菌をはじめとする色んな感染症(大事に至るものではなかった)に頻繁にかかっては1、2週間学校を休み…… 両親は転校を勧めてくれたが、私には直感があった。
「これは、外の環境を変えても意味はないんじゃないか」という直感だ。

この学校だから馴染めないわけではない、きっと私はどこに行っても馴染めないし自分の悩みは付き纏うし、結局私自身がうまい生き方を身につけていく以外方法はないと思った。

だから、もうすぐクラス替えもあるし、このままがんばると宣言して、病欠はしても決してそれ以外の理由で学校を休むことはなかった。

(もちろん、それが偉いとは思っていないし、逃げなかったという捉え方もしていないし正解だとも思っていない。私の場合、そういう選択肢をとることが私に必要な学びだったと思うだけで、例えば転校したり全日制の学校に行かない選択をしたりすることが良い人も大勢いるはずだ。それは決して逃げなどではない。)

小3になると、ただ騒がしかっただけの教室がほんの少しだけ生きやすくなった。
しかし、それでも私がしたい話をできる人はいないし、なんとかグループに所属できたと思ってもやっぱり私は馴染めなくて、また仲間はずれにされた。
2人組を作らされるあの時間は、どうして学校教育に存在しなければならなかったのだろう。
いつも私が1人になるので、まだ新任でただ優しいだけだった先生は、いつも私とペアを組んでくれたけれど、私にはそれが優しさだと受け取るのが難しかった。

どこに行っても違うし、どこにいても違和感がある。
何かを言うと、違う言語でも喋ったかのように笑われるし、それが悪意ではなくても私は嫌な気持ちがする。

もっと擬態能力を高めるべく、私はどんどん、普通になる努力をした。

みんなどうして死の怖さに耐えられるんだろう、日々それを隠しながら、どうしてたわいもないことにばかり気を取られて日常を送れるんだろう、と思っていたけれど、多くの人がそんなことを考えもしないし、そんなに自分の内面や人間の運命ということに目を向けたりしないのだ。

同時に、私は人前で笑顔以外の感情を出すことが全くなくなった。
泣くとバカにされるし、何かを強く主張しても変だと言われる。
そうして、あっという間に擬態のプロフェッショナルになってしまった。

恐ろしいことに、一度我慢に慣れてきてしまうと、もう自分の感情がどう動いているかに気づくことすらできなくなり、自分の感覚が麻痺してくる。

「そうしてたって生きていけないから」という理由で、私は自分の独特の世界観を自分自身で受け入れることができなくなってしまったし、自分の本当にやりたいことよりもどうしたらうまく何事も円滑に進むかということに重きを置くようになってしまった。

しかし、風の時代、冥王星水瓶座時代と言われる今、こういう私のような人間も、少しずつ生きやすくなるのではないかと思っている。

そして、改めて自分を深く知りたいと思った私は、ホロスコープの読み解きを少し勉強し、最近、マドモアゼル愛先生が提唱されている、次のような理論に出会った。

一般的な何座という星座は、私たちの太陽星座にあたるが、ここでは、月星座というものを取り上げておられる。

これまでの占星術では、月星座は自分の本音、本当の姿だと言われてきた。
私の月星座は山羊座だった。
だから、ちゃんとしなきゃ、ちゃんと社会的にまともな意味のある自分にならなきゃ…… と努力してきて、一応ちゃんとした経歴を積んだ自分はとても山羊座っぽいし、自分の願いだったのかなと思った。

しかし、先生の理論によると、
「月はその人の唯一の欠損で、その要素だけが欠けている。でも7歳まではそれが得意だと思ってやってきてしまうから、なかなか手放せないし、囚われるけれど、月はただの幻想で、月に囚われて生き続けることで、本来の自分ではない人生を送らされる」(私なりの言葉で表現している部分もあります)とのことだった。

山羊座はこの世の物質社会では最強の星座で、現実的な仕事の星。着実な努力を積み重ねて実績を上げ、社会的地位の向上を目指すこともできる。
私には、これがすっぽりない……
「がんばるがんばる……」は、本当の私ではないし、まさに呪縛だった。

極端に言うと、残念ながら月山羊座には現実社会で生きていく的有能要素が一切無いらしい。

このように、月欠損理論はだいぶ手厳しい部分もあるので、「そんなことない!受け入れられない!」という人も多いそう。
しかし、社会不適合で名高いINFP、納得の理論である。私の場合は、「社会不適合者だったんだ!なーんだ!」と思えたことで、フッと肩の荷が下りた。

きっとこれまでの擬態して生きていた時代こそ、月山羊座に囚われていた時代だっと腑に落ちた。


私の太陽星座は天秤座である。
太陽星座は、人生の目標として、徐々に獲得している能力らしいので、「私◯◯座だけど、全然当たってない」という人もいれば「私まさに◯◯座だな」という人もいるのは、獲得具合が人によって違うからだそう。

天秤座もまた、非常にINFPっぽいなぁ、という星座だ。太陽天秤&月山羊、かなり生粋のINFPだと思う(もちろんほかの天体の要素もあるし、私と同じ太陽と月の組み合わせが皆INFPになるわけはないし、逆もまた然りだが)。

だから、ようやく齢35にして、これからの時代は本当の自分で生きようと思う。

ちなみに、月の幻想から抜け出すには、反転星座(自分の月星座の180度つまり正反対の場所にある星座)の要素を使うといいらしい。それこそが、自分の得意分野であり、太陽星座を輝かせるキーになるそうだ。

またまたちなみにだが、山羊座の反転は蟹座。
蟹座は水の星座なので、感情を司る。

同じ水の星座の蠍と魚は、少し陰の要素を纏うが蟹はそれがないので、明るく純粋な喜びが特徴らしい。
人の心に寄り添う共感力と純粋な喜びの感情の爆発、そして蟹の甲羅を広げて家族同然に思える人を増やし思いを共有していくことこそ、月山羊反転蟹の人が持つ天賦の才らしい。
なんとまた非常〜〜〜〜にINFPっぽい。

この方の解説がとてもわかりやすかったです↓


(月欠損理論には色々捉え方があるそうで、月に囚われることでそれが手に入らないだけで、他の惑星を使えば目標を達成することができるというあくまで使えないルートを示しているものとも言えるそう。私も専門家ではないのでここではあくまで私がこう捉えてこう楽になった、という話をしているというだけにとどめさせてもらいます。INFPゆえ、議論が好きではないです……)

最後に、私はココナラというサイトでこの方に月欠損理論でホロスコープを鑑定していただきましたが、ものすごくわかりやすく、そして親身になってお話をきいてくださったのでおすすめさせていただきます!

ではでは長くなりましたが、これでINFPシリーズを終わらせていただきます!!!読んでいただいた方本当にありがとうございました!!!

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