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図書館員の《のはなし》、「キ」は「キジムナー」の「キ」

 産まれて初めて読んだ漫画のコミックは水木しげる先生の『ゲゲゲの鬼太郎』だった、たぶん。

 幼稚園に通っていた頃にはアニメも放映されていて、スーパーに行くたびに『鬼太郎ソーセージ』を買ってもらい、愛読書はやはり水木しげる著『妖怪図鑑』シリーズ。収集癖が身についたのもこの幼少期と思われる。近所のお医者さんに行くと少年マガジンがおいてあって、連載中だった鬼太郎をスクラップブックにさせてもらうため古くなったのをもらっていたほどだ。そして鬼太郎ソーセージのオマケについている妖怪ゴム人形は日毎に増えてゆき、幼稚園の友だちと交換しちゃあ無数に並べて遊んでいた。

 その中でももっともお気に入りで、母を困らせたのが沖縄の妖怪キジムナーだった。

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 キジムナー、沖縄のあちこちに伝承があり現代の実話怪談でもちらほら登場する妖怪である。古木の精で木の上に住んでいて、魚の目玉が好き。釣り人が釣り上げた魚からほじくって持っていってしまうとかやることが地味である。赤い髪の子供の姿をしているらしく、仲良くなると大漁になるよう手伝ってくれる(目玉は取るけど)が、怒らせると溺死させられるなんて話もあるそうな。

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 で。水木しげる先生の描いたキジムナーがこんな感じである。

 ……全然ちゃうやん先生!
 けれども幼少期の自分にとってキジムナーはこの丸っこい正体不明の存在になってしまった。そして何故か幼少の自分のハートをがっちり掴んでしまった。妖怪コレクションの中でもピカイチの群を抜いたお気に入りになってしまい、やたらとキジムナーで遊ぶようになった。
 が、しょせんは5歳児、遊び回って疲れるとどこに置いたかわからなくなってしまう。僕のキムジナーが無いと泣いてその度に母を途方に暮れさせた……ちなみに20歳すぎる辺りまでずっとキジムナーではなくキムジナーだと思っていた……しかもまったく同じのを5つも持っていたのにひとつでも見当たらないと泣いて家探しが始まるのだから始末が悪い。泣くくらいならきちんと片付けておけば良いものを並の5歳児とは思えぬ散らかしっぷりの中で見失い、毎回リアル『ウォーリーを探せ』をやらされていた母にはただただごめんちゃと謝るよりない。

 図書館の児童コーナーを見て回るとキジムナーが出てくる読み物ももちろんある。タイトルに明記されていなくても、背表紙に描かれているイラストから、きっとこれは友達になった相手がキジムナーなんだろうなと思われる本や、かこさとし氏の『ダルマちゃん』シリーズにも『ダルマちゃんとキジムナちゃん』がある。

 が、表紙に描かれたイラストはやっぱり髪の赤い童たちだ。水木先生の丸っこいあいつは居ない。ちょっとくらいあっちの丸いキジムナーで誰かが話を描いてくれれば良いのに。それともあちらはキムジナーという別名にするとか……と著作権ガン無視した脳内妄想読書をしているうちに雨の日の閑古鳥なカウンター待機時間がゆるりゆるりと過ぎてゆく。

 ちなみに沖縄の実話怪談といえば小原猛氏の著作シリーズが有名だ。うちの図書館にも入っているが、沖縄ならではの伝承やユタ文化、と戦中戦後の悲劇やこっちまで落涙しそうな奇跡のような話と(実話怪談でもらい泣きしそうになったのは氏の著書くらいだ)実にバラエティ豊かで読み応えもあり、文庫は出版されるたびに買っている。
 そんな氏の著書に収録されてるキジムナー話は実に興味深い。

「あれは本土のお狐さんみたいなものだ、人間と仲良くなんてあり得ない」

 的な話が出てきたときは、なるほどと膝を打った。もちろん怪談提供者の一個人の意見なんだけれど、お狐さんと同様だという言い方はストンと府に落ちた。けれども府に落ちる一方、氏の著作の中のキジムナー話は色々あり、その存在を懐かしがられたり、今でも戻ってくるのを待たれていたりもする。お狐さんジャンルの中にもたまに良い狐の話があるのと同様に。

 そんなキジムナーの故郷沖縄には1度、それも中学生の頃に旅行で行ったことしかない。次回は色々と観たいところも食べたいものもあるし、キジムナーに想いを馳せながらガジュマルの木々を眺めたら幸せかなぁ……と、思うほど人生に強い影響をもたらす場合もあるので、我が子に初めて読ませる漫画は注意してチョイスするべきかもしれない……。

 

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