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夏の日 

大好きだった祖母が亡くなったのは22年前の夏。
忘れもしない、私が長男を出産する3ヶ月前のことだった…。

結婚して妊娠した私の初めての出産を
祖母はとても楽しみにしていた。
結婚してから離れて暮らしていたので
実家へ帰省する度に
「産まれたら一番に抱かせてね」
それが口癖のように毎回言っていた。

私も祖母に早く会わせたかったし
一番に抱っこしてもらいたい気持ちでいっぱいだった…。そして、それは当たり前に叶うと信じていた。

でも……

いつも元気いっぱいでとてもパワフルな祖母の体調が悪いと母から知らせがあり、私は慌てて実家へと向かった。そして祖母が入院している病院へ行くと、ベッドに横たわりながらも元気な声で「暑くて大変だから、来なくて良かったのに。おばあちゃんは大丈夫だよ!」と笑う祖母がいた。

〝良かった。おばあちゃん元気そうだ!“
私は祖母の元気な声を聞いて安心し、心の中でそう呟いた。

それからしばらく病室で祖母と話をした。
話題はもっぱら産まれてくる赤ちゃんのこと。
祖母はひ孫の誕生を本当に心待ちにしているようで、何度も何度も「一番に抱かせてね」と言った。
こんな風に和やかで優しい時間をどれくらい過ごしただろう?
ふと病室の窓から外に目をやると日は落ちていた。

「夕飯です」看護師の声が耳に届いた。
〝あぁ、もうそんなに時間が経ったんだ。“と、
夕食が運ばれてきたことで私と母は
「また明日来るね。」と告げて病室を後にした…

その時の祖母の寂しげな顔は、ずっとずっと
後になっても私の胸をしめつけることとなった。

病院からの帰り道、私は祖母が思ったよりも元気で安心したことを母に伝えた。
母は祖母が体調を崩してからたまに元気な姿を見せていたが、今日はいつも以上に元気だったことを私に話した。
そして母は「おばあちゃん、あなたとお腹の子に会えて本当に嬉しかったんじゃない?」と言った。

その時の言葉が私の胸に何故かずっと残っていた…
そして、どうしても消えなかった母の言葉と別れ際の祖母の寂しげな顔。
その理由がわかったのは次の日の朝だった。

病院からの電話。

その電話は、祖母の危篤を知らせるものだった…。

私は何が何だかわからず、頭の中は何も整理がつかず、何が起きているのかさえ理解出来ずに
ただ家族と一緒に病院へと急いだ。

病院へ着くまでの間、昨日の祖母の元気な姿を思い出しながら「きっと大丈夫」と自分に言い聞かせていたのを今でもはっきりと覚えている。

でも……
病室のベットには、もう既に息を引き取った後の
祖母が寝ていた。

実家から病院までそう遠くはないのに…
連絡を受けてすぐに来たのに…
祖母の最期を看取れなかった…
でも、何よりひ孫を一番に抱かせてあげられなかった。そう思った時、急に悲しくなった。
そして、悲しさに震えながら昨日の異様なまでの
祖母の元気さを思い出していた。

きつと、会いに来た私に元気な姿を見せたかったんだ!
もう会えるのは今日が最後なんだ…と、祖母は自分の命の終わりに気づいていたのかもしれない…
そう思うと、昨日の別れ際に祖母が見せた寂しげな顔の理由も理解出来た。
何度も何度も赤ちゃんを抱かせて欲しいと言ったのも、叶わないと知りながらそれでも強く懇願すれば叶うかもしれない…と、そんな風に思ったのかもしれない。

色んなことを考えながら、思いめぐらせると
悲しくて、悲しくて仕方なかった…
でも私はすぐには泣けなかった。

祖母が亡くなってしばらく経ってから悲しみが強くなり、寂しくて一人になって泣いた。
そして夏にはよく祖母の夢を見た。
夢の中でも祖母はいつも元気いっぱい、笑顔いっぱいのパワフルおばあちゃんだった!

祖母が亡くなって22年。
やっぱり今年の夏も祖母を思い出す。
ひ孫の誕生を心待ちにしながら
そして、最期の力を振り絞っていつもの元気な姿を見せたあの死の前日…
全てが私の中で今でも色褪せずに残っている…。

最近はめっきり夢にも登場することがない。
だから寂しくて思い出す。
今夜あたり、久し振りに元気なおばあちゃんに
会いたいな…

会えるといいな…。



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