弱い人が羨ましくて仕方がない
今日はめちゃくちゃ人間らしくてめちゃくちゃ汚い話をしようと思う。
わたしはよく、「ひとりでも大丈夫そう」だと言われる。
何がそう思わせているのかはわからないけど、きっとまわりの目に映るわたしは逞しくて、強いんだと思う。
全然そんなことはないんだけど、独立するときにも「大丈夫そう」だと言われた。全然そんなことはないんだけど。
こんなことを言ったら怒られそうだけど、わたしは弱い人が羨ましい。
正確には、自分の弱さを認められる人が羨ましい。
素直に自分には無理だと言えて、素直に誰かを頼ることができて、素直にありがとうと言えるような、そんな人が羨ましい。
自分はちっぽけだと思う反面で、「ひとりで頑張らなくちゃ」と思うことがある。
誰かに頼ることが申し訳なくて、恥ずかしくて、ひとりで成し遂げることこそが素晴らしいと思ってやっていたら、本当にひとりになっていた。
こんなに逞しくなるつもりなんて、なかった。
でも、ひとりで戦っていたら、いつのまにか「ひとりでも大丈夫そうな人」になっていた。
強い人と弱い人は、何が違うんだろうと思ったら、自分は弱いと認められるかどうかだと思う。
だって、人間はそんなに強くはない。
それを、なんとかして踏ん張って強く見せて、強いと自分をごまかして生きていく。
わたしだって、本当は弱音を吐きたい。
でも、弱音を吐いたら負けてしまいそうで、言葉を口のなかで転がす。
結果として、「あなたは大丈夫」のレッテルを貼られてしまう。
声を出して泣きたいと思う反面で、声を出して泣いたら負けだとも思う。
何と戦ってるのかはわからないけど、弱さを見せられるのはある意味で才能だとも思うんだ。
疲れたと思ったら疲れたと言って、泣きたいと思ったら泣けて。
絶対そっちのほうがいい。
弱いっていいな。
わたしは弱さに憧れる。弱いと認められる人が羨ましい、心底。
なんかまとまらないけど、ベースとして人間は弱くて、強がるよりも弱いと表明できる人のほうが絶対に人間らしいし、認められるし、生きやすいという話でした。
強がるの、やめたいね。
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