自分のこと愛したくてがんばってる
2月に入ってから、昼夜逆転して「4時寝15時起き」という絶望的な生活リズムになった。
1〜2日ぐらいならまだしも、それを6日間連続でやってしまい、うまく活動できない日々が続いた。なんせ目覚めたら時計の針が「3」を指しているものだから、「あーあ、今日も終わっちゃったな〜」という気持ちが積み重なっていく。
のそりと起き、昼食なんだか夕食なんだかわからない、納豆ごはんと味噌汁を腹に入れ、パジャマのままYouTubeを観たりしていると、あっという間に夕食の時間となる。
「えっもしかして今起きたん???」
という母の言葉に、「いや、15時から起きてたよ」とエラくも何ともない返事をして、普通に夕食を食べ、ドラマを観て、21時ごろに申し訳程度にPCをいじり、一応1時ぐらいにベッドに潜るが眠れない。
そりゃ眠れるわけない。さっきまで寝ていたのだから。
そんな話を、6日間ぶりにベッドから這い出して会った友だちにすると、「まぁそんなこともあるよね」「いっぱい寝れていいじゃん」と言われるのだけど、もちろん、自分がこんな生活に対して「ああ、幸せ〜!」と思っていたのなら、これ以上のことはない。
問題は、この生活をしている自分に対して、「あたし最高!!!!!」って思えていないことだ。
だって、本当は好きなはずの漫画も小説も読む気力がないし、せっかく予約したヨガも「今日はいいや」ってキャンセルしちゃうし、かといって別に疲労が蓄積しているわけでも、具合が悪いわけでもないし、眠りたいわけでもなく、ダラダラしたいわけでもない。
自分でもよくわかってる。ただベッドの上から動いていないだけ。でも、それが積み重なったことで、わたしはわたしを確実に嫌いになっている。
そもそも、「自分のことが大好き!」って人はあまりいない。正確に言うと、「自分のことを好きでいるために生きている自分が好き」なんだと思っている。
わたしも基本的に自分のことはあまり好きじゃないけど、こうしてフリーランスとして食いつないでいる自分はちょっぴりエラいと思うし、健康のためにストレッチしている自分は素敵だと思うし、ADHDを認めて受け入れていることはいいことだと思う。
でも、さすがに6日間もトドのように転がっている自分は愛せない。
わたしは、わたしの信念のもとに何かしているわたしが好きだ。
別に、転がっているわたしのことが嫌いなわけじゃない。ただ、堂々と転がっていない自分は嫌だ。「しばらく何もしたくなーい!」と思ってベッドに潜るのならいいけど、何かしたいという気持ちはあるのだ。転がるなら、転がると決めて転がりたい。
そう、わたしは不本意に転がっている自分が嫌なのだ。
「ありのままの自分を好きになろう」というけど、それはちょっとむずかしい。肯定してもいいけど、好きにならなくていい。
わたしはADHDである自分のことを卑下してないけど、別にADHDなわたしを愛しているわけではない。そんなん当たり前である。「あぁ!ADHDでよかった〜!」なんて思うわけないやろ。
だからやっぱり、自分のことを好きになるためには、なんかしないといけないのである。自分が自分のこと、好きだなぁって思えるようなことを。今のわたしの場合はきっと、とりあえずベッドから這い出ることである。
だから、今日は重たい腰を上げて買い物に行き、メルカリの発送をして、仕事の資料を完成させた。今からお風呂に入って、本を片手に寝ようと思う。
大それたことはしてないけど、チャリンチャリンと「自分への好き」が貯まっていく音がする。
ぐうたらだけど、自分の好きな自分でいたいんだ。まぁ、なかなか難しいんだけど。
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