「友情」は「恋愛」を超えられないの?
「何人と付き合ったか、が話題になることはあっても、何人の友達がいるか、そのうちの何人から真に心を開かれ、わかり合えているかが語られることはない。
恋はいつ終わるとも知れない軽いものなのに、長く、ずっと続く友情の方は、話題になることが、ない」
辻村深月の『盲目的な愛と友情』の一節に胸が張り裂けそうになった。
AパートとBパートで2人の女性視点に分かれて語られるこの物語は、タイトルのまんま、「盲目的な恋と友情」についてが描かれている。
Aパートの女性は恋に溺れ、Bパートの女性はAパートの女性を思う。しかし、AパートではBパートの女性はあくまでサブ的にしか登場せず、彼女の恋愛を支える駒にしかすぎない。この2人の思いの違いに、胸が苦しくなってしまう。
思春期の女の子同士の友情って"恋"に似ている。
AちゃんがBちゃんと仲良くしていたら「どうして私の一番になってくれないの?」なんてメンヘラ彼女みたいに嫉妬してBちゃんを影でコソコソ悪く言うことなんてザラだ。
それだけじゃない。
私たちにとって一番の天敵は親友の「彼氏」だ。
私も大切な親友に彼氏ができたときは、いつも複雑な気分になる。
10年以上かけて築いてきた友情を軽々と超えて「Aがいつもお世話になってます〜」なんて上から挨拶してくる。
うるせぇ!!!!3ヶ月やそこらで対等になったみたいな顔すんな!!!!こっちのほうが長い付き合いなんじゃ!!!!
と言いたいのをグッと堪えて笑顔をつくるけど、本当はすごく苦しい。あの子の隣にいるのは私のはずなのに、私が1番あの子のことをよくわかっているのに、とどす黒い感情が渦を巻く。決して恋心ではないんだけど。
そんな微妙な気持ちを言語化してもらえて、思わず親友に読んでほしい気持ちになった。重いと思われるのが嫌で言葉にしたことはないけれど、本当はこんなふうに思っているんだよって。
「恋愛が、それほどまでに友達を疎かにしていいことなのだと。その浅はかな思考がまかりとおるこの世の中に、ほとんど、嫌悪感を覚えた」P235
話のなかで、自分のアドバイスをまったく聞かず、恋愛にのめり込んでいくAにBは苛立ちを覚えていく。
どうして友人との遊びのドタキャンは許されないのに、「彼氏と喧嘩したから話し合いしたい」という理由があれば許されるんだろうね。
どうして「友情がいちばん!」と言いながら「友だちならわかってくれるよね」という暗黙了解のもと、恋愛を優先させてしまうんだろうね。
伝えたいけど伝えられない。やっぱり友情は恋みたい。
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