「嫌い」と感じるのは、自分に関係があるから
※ネタバレはないよ
「愛がなんだ」という映画が話題になっていたので、早速ライター友だちと一緒に観にいってきた。
観る直前に、"この映画は「ものすごく嫌いな人」と「ものすごく共感する人」に分かれるらしいよ"と言われて、どういうことだろう?と首を傾げていたけど、観てからやっと意味がわかった。
結論、これは恐ろしい映画だ。
何って、映画を観終わったあと、口を開くだけで、その人の今までの恋愛遍歴や恋愛傾向が全部バレてしまうからである。
友だちは「○○(登場人物)が嫌いだった」と言った。
わたしは、別の登場人物に対して嫌悪感を抱いていた。
でも、何故そうやって「嫌い」になるのかというと、おそらく、過去の自分、あるいは今の自分が重なるからなのだと思う。
「好き」の反対は、実は「嫌い」ではなくて「無関心」だと言う。
「嫌い」という感情は、少なからず自分と少し関係があるからこそ抱く感情だと、私は思う。
そして、登場人物の1人を「好きじゃない」というより「嫌い」という強烈な感情を抱くというのは、自分がその登場人物にひどく共感しながらも、目を逸らしたいからなのだと思う。
たとえば、私は目的がなく、ダラダラとしている人が嫌いだ。
それは、自分にも目的がなくダラダラしている時期があって、そのころの自分のことが嫌いだったからだ。
見ていられないのだ。
冒頭で、この映画を観たあとに、「口を開くだけで、その人の今までの恋愛遍歴や恋愛傾向が全部バレてしまう」と言ったが、要するに、どの登場人物に感情移入をし、どの登場人物を激しく嫌うかで、「その人」自身が浮き彫りになってしまうのである。
だから、「嫌い」という言葉は、自分をうつす鏡だな、と思った。
何かへの執着、何かへのトラウマ、あるいは何かへの強烈な愛が「嫌い」という言葉に変換されて口からこぼれてしまう。
「嫌い」について掘り下げてみる。
あんまりみんな気付かずに口に出すけど、その真意についてあれこれ考えを巡らせてみると、新しい気付きがあるかもしれない。
人間らしくて面白い何か。
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