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悲しいときに泣ける”柔らかさ”を失くさないで

今日は声優レッスンで、これでもか、というくらいに泣いた。

文字にするとチープになってしまうのだが、目を閉じて、隣に大切な人がいると想像し、ふたりで船に乗っていたら気づいたら遭難してしまい、最終的にその人が死んでしまう、というものだった。

先生の声に耳を傾けながら、大好きな親友が隣に座っていて、よく行っていた七里ヶ浜の階段になっているところに腰を下ろしている様子を想像する。

隣にストン、と親友が座って他愛のない話をしはじめたとき、わたしは嬉しくなって思わず笑った。

その友人が、船のうえで動かなくなった。

わたしがめいっぱいオールなんて漕がなければ、こんなことにはならなかったはずなのに。

そこからはもう覚えてないけれど、めちゃくちゃに泣いた。今年に入っていちばん泣いたと思う。

手を叩かれて気付いたら、床に涙なんだか鼻水なんだかわからない水溜まりができていた。

役者は表現することが仕事ではなく、行動することが仕事なのだという。

だから、わたしたちは「アクター」と呼ばれる。

何かしらの出来事が起こったとき、どんなふうにアクションするのか。

感情を出すのではなく、感情が生まれたうえで行動をするのだ。

そんなふうに瞬間的に動くためにはとにかく柔らかでいることが大切である。

起こることすべてを受け止められたり、影響されたり。

固い人というのは、心も動かなければ身体も動かない。

たとえば、悲しいはずなのに何故か泣けなかったり、走り出したいのに足が曲がらなかったり。

わたしたちは大人になるにつれて、ちょっとずつ、固くなってしまうのかもしれない。

大切な人がいなくなったとき、なりふり構わず大泣きできるような心を持っていることに安心した。

自分を殺さないよう、動けなくならないよう、柔らかくありたい。

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