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「ひとの言葉を盲目的に信じない」という処世術的な何か

原田マハさんの『生きる僕ら』という小説を読んだ。

長年引きこもり生活を送り、母の用意する物資(コンビニのおにぎりなど)にケチをつけながら生きていた主人公。ある日、母に見放され、ひとりで家に残されてしまう。

年賀状を頼りにたどり着いた父方の地元で、人々のあたたかさに触れながら次第に社会との繋がりを持っていく…というような話なのだが、突き放すだけでそんなにうまくいくのか⁉︎ とわたしもまたケチをつけたくなった。

主人公がひとりで一歩外へ踏み出したのは大きい。

でもやっぱり、1番大きかったのは「孤独」になったことで「人」を求め、「人」に出会ったことのように思う。自分にはない考えを持っている人、尊敬できる人、大きな愛で包み込んでくれる人。

人との出会いは人生を変える。

ほぼ同時期に、小野寺史宜さんの『ひと』という小説も読んだのだが、そこでも同じようなことを思った。

両親をなくし、大学を辞め、天涯孤独となった主人公。未来の見えないなかでひとつのコロッケを譲ったことで繋がった縁が、人生を切り拓いていく。

「大切なのはものじゃない。形がない何かでもない。人だ。人材に代わりはいても、ひとに代わりはいない」

その言葉に胸を打たれた。

社会のなかで働いていると、「自分は代替可能だ」と感じてしまうことが多いけれど、誰かにとって自分はかけがえのない誰かなのだと思うと心があたたかくなる。

そんな、人生や己の価値観に多大な影響を与える「人」との出会いだが、わたしは彼らの言葉に耳を傾けるとき、気をつけていることがある。

それは、「半分だけ」耳を傾けることである。

新しい人は、自分のなかにない考え方や知見をシェアしてくれるけど、経験則というのは大いに偏りがあると感じる。

たとえば、「若いうちにどんどん失敗するべき!」という人がいたとして、それはその人が「いい感じの失敗」をして「糧にできた」からこそ出てくる言葉であって、万人に当てはまるとは限らない。

その人はその人の価値観の範疇でしか物事を言えないのである。

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