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「注目されたいけど、誰も見ないでほしい!」という謎感情

わたしは多分、発信者に向いている。だって、発信をするのが嫌いじゃない。

それは、ブログに初めて触った14歳のころから薄々感じていた。

別に金銭なんぞ発生しなくても、「これ、めっちゃいい!」と思ったら写真を撮りたくなるし、記事を書きたくなるし、ツイートをしたくなる。

いかんせんわたしは書くことぐらいしか能がないので、自分が日々感じたことを言葉にして表に出したり、必要であれば顔出しもしたり、本の販促のためなら人前で喋ることも厭わない。

人の子なのでそれなりに承認欲求もあるし、「読みやすいです」とか「喋るのが上手ですね」とか、褒められたらそれなりに嬉しい。

一方で、陰キャなので、「今日は誰にも触れられたくない!」という日がたまにある。

何なら着替えたくないし、鏡も見たくないし、外に出たくない。外部との接触を一切断ちたい。

そんな日は、1日中部屋に引きこもって仕事をするか、もしどうしても外せない病院などの予定が入っていたら、おそらく普段のわたしの姿からは想像できないぐらい、くら〜いオーラを放ちながら待合室で待つ。

同様に、過去の自分の投稿を見て、「この写真消したいな〜」とか思ったりする。

登壇の予定が詰まっていたりすると、「ヤダな〜」と思ったりする。この気持ちは一体何なんだろう。

自ら手を挙げてしゃしゃり出ることはあっても、「じゃあ、お願いします!」といきなり指名されたら、しどろもどろになってしまうことも多い。

現に、わたしの自己紹介はクソである。

もっといろいろ言えることはあるはずだし、存分にアピールすべきなのに、いざ第三者に「何をしているんですか?」と聞かれたら、「アッ…ライターと作家をしています…」と短くまとめてしまいがちなのだ。

その、「注目されている時間」が苦手すぎて。

この、「多少は注目されたいけど、誰にも見られたくない」という謎感情を抱えながら、ずっと発信をしている。とてつもない矛盾である。

「自由に好きなことをnoteやTwitterで書いてみようよ!」と促すと、恥ずかしくてできないという人は一定数いるが、わたしにはその感情がよくわかる。

見られるって恥ずかしいのだ。
注目を浴びるって緊張するのだ。

それでも、わたしの場合は「誰にも見られたくない」気持ちよりも、「それでも伝えなきゃ!」とか「注目されたい!」とか「自分の生きた証を残さなきゃ!」という気持ちがちょっとばかし勝っているから、今もこうしてこのクソどうでもいい感情についてnoteを綴っている。

承認欲求と羞恥心の狭間にて。

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