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“推し"には、家族も友人も勝てないかもしれない

今日はわたしの推し、モーニング娘。'22の加賀楓ちゃんのバースデーイベントだったのだが、多幸感溢れる空間にニッコニコ、特別アンコールに大号泣、と情緒不安定モードで参加させてもらった。

…でさ。

この楓ちゃんが12月にグループを卒業してしまうということで、こんな短期間にそんなライブ行く??? ってぐらいライブに行きまくってるんですね、わたし。

お母さんからは「そんなに行って飽きないの?」と言われるけれど、これが不思議なことに飽きないのよ。

一時期友だちが呪術廻戦の映画を5周ぐらいしていてアホかと思ってたんだけど、わたしも同じ人種となってしまったらしい。

ツアーを重ねるにつれ、パフォーマンスの精度が「まだそんな余力を残してたんか!」と思うほどメキメキ上がっていく様はもはや芸術だし、ひとつとして同じパフォーマンスはないので、全国ツアーすべて行く人の気持ちもわかるようになった。

それはさておき、推し活ってとても忙しい。

特にモーニング娘。はほぼ毎週末ライブをやっているので、行こうと思えば毎週ライブの予定でうまるし、JAPAN JAM、ロッキン、カウントダウンジャパンなどのフェスもあるし、CDのオンラインサイン会やチェキ会、バースデーイベント、クリスマスイベント、カウントダウンコンサート…

などの現場はもちろん、YouTubeチャンネルにもコンテンツが毎日のように上がるので本当に飽きない。エンタメがこれでもか!というぐらい詰まってる。

そうすると何が起こるかというと、推しを中心にして生活が回り出すようになる。

予定はライブを中心に組むようになるし、友だちとの予定も「この日は推しのイベントが入るかもしれないので当落出たら連絡するね…!」と調整するようになる。

何なら今月、業務委託先の飲み会も推しのライブとかぶったので行けない。推しとは最優先事項なのである。

こうして書いてみると「バカバカしい、たかがいちアーティストにそこまで入れ込むなんて」と思うかもしれないが、これが本当にバカにできない。

「幸せだなぁ」と感じる瞬間は人それぞれにあると思う。

たとえば、温泉にのんびり浸かっているときとか、友だちとカフェでだべってるときとか、高級旅館でおいしいごはんを食べているときとか、結婚式で祝福されているときとか、仕事で成果を出して表彰されたとか、いろいろあるじゃない。

あの状態がずっと続いてるのが推し活だと考えてほしい。

設定した壁紙を見て、「うわぁカワイイ!」となり、ブログを読んでニマニマし、ライブでハートを撃ち抜かれ、動画を観て涙を流す…と瞬間的な「幸せ」はもちろんなのだが、推しが心のなかに住み着いてる限り、ずっとずーっとあたたかで幸せな気持ちに包まれる。

“好き"なだけで満たされる。

この感情を永遠に自分に提供してくれる存在がどのくらいいるだろうか?

この前、男友達が「彼女が俺よりも推しのライブを優先するんだよな」とボヤいていたが、それも仕方がないと思う。

推しって、普通に家族や友人と同列に並ぶんだよ。しかも、考えているだけで幸せなのだから、何かを求めるわけでもなく、人間関係の煩わしさもない。

ただただ相手の幸せを願うだけでこちらにも幸せが降り注ぐ。そんな人、なかなかいないじゃない。

そんなわけで、最近のわたしは推しを中心にまわっており、仕事も人間関係も全部ほっぽり出しそうでちょっぴり怖くもある。

超ポジショントークで申し訳ないが、どうか推しのいる人たちを尊重してあげてほしい。

たかが推し、ではない。推しは決して趣味の一部ではなく、家族や友人と同じぐらいに大切な唯一無二の存在なのだから。

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