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そもそも文章というものは人に見せるもんじゃない
…というのを堂々と人の目に晒しているわたしが言うもんじゃない。
わたしが文章を書きはじめたきっかけは、中学2年生のときにアメリカに引越し、しんどい生活を書き残しておけば、いつか糧になるかも…とはじめたブログだ。
ずっとそう信じていた。
でも最近、おばあちゃんから「昔の荷物が出てきたから整理してほしい」と連絡をもらい、おばあちゃんちに行く機会があった。
そのときわたしが目にしたのは、おびただしい数のノートと文字の羅列だった。
いや、これじゃん。
すっかり忘れていたが、もともとわたしはノートに文字を書き殴るような子だったのである。
埃をかぶってざらついたノートをパラパラと捲ってみると、まぁ目も当てられないほどの恥ずかしいポエミーな言葉たちが並んでおり、すぐにパタリと閉じた。
思い返してみれば、渡米して数日後には赤いノートを現地のスーパーで手に入れていた。アメリカ特有の、5冊どころか10冊ぐらいセットで売られている、裏写りしまくる質の悪いノート。
そこに最初に書いたのは、「アメリカの中学校1日目の記録」だったと思う。
当然誰に見せることもなかったので、ガシガシとありのままを書き殴っていた。
初日にして日本人の男の子と出会い、漫画を貸す約束をしたとか。出会う日本人すべてが天使に見えたとか。「トイレに行きたい」の一言が言えずに無力さを感じたとか。
それをしばらく続けたのち、「こんなところに書いていても、どこにもわたしがアメリカにいたという記録が残らないな」と気付いて、オープンに書くようになり、リアクションがもらえる喜びを知っていったのだ。
そもそも文章と言うのは人に見せるもんじゃない。
今現在小説家として働いている人たちも、きっと最初はノートに書いたり、パソコンのワードにカタカタ書いてはそっと閉じていたんじゃないだろうか。
でも、それを夢を叶えるために編集部に持ち込んだり、何かのコンテストに応募したり、ネット上に公開していった。
だからわたしが思うに、「最初から誰かに見せる前提で書かないこと」は自分らしく伸び伸びと書くうえで必要なステップだと思う。
先日お世話になっている編集者さんが、「全然公開できない文章がいっぱい溜まっている」と言っていた。きっと職業病だと思うが、やはり「誰かに見せる前提の文章」というのはこだわりが強くなるし、気軽にポイポイ公開できるもんじゃない。
今日会った友人は、Twitterでなかなか呟けないのが悩みだったが、思いついたことをメモする習慣がついて、そのメモのなかから「面白そうだ」と思ったものだけツイートするようになったという。
はじめは誰にも見せずにメモ書きで。「誰かに見てもらいたいな」と思ったら勇気を出して公開して。そうすると、だんだん見せることにもハマっていくはずだから。
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