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「無理かも」で自分を殺してはいけない

私は声優志望のくせに滑舌があまりよろしくない。

でも、「滑舌があまりよろしくない」と決めつけているのも自分だなぁと思う。もちろん、事実としてもあるけれど、自分自身が「よろしくない」と思えば、それは本当によろしくなくなってしまう。

それほどまでに、「思い込み」の力は自分に強く作用する。

それでいくと、「難しそう」「厳しそう」「無理そう」と、思い込みだけで何かを諦める人は意外と多いような気がした。

たとえば「発音は10歳までしか身につかない」という思い込みで、英語の発音を強化することを諦めてしまったり。

「美大を出ていないからデザイナーになるのは厳しそう」と自ら選択肢を狭めてしまったり。

「自分は話すのが苦手だから人前に立ちたくない」と後ろに引っ込んでいたり。


そう考えると恐ろしい。まだ本気でやっていないのに、やる前から諦めてしまうのだ。

そして、他人から言われたり、一般論で言われているのなら尚更だ。

「辞めたほうがいいんじゃない?」

「一般的には難しいって聞いたよ」

「あなたには向いてないかもしれないよ」

そんなふうに言われると、何となく「そうかもな」なんて気がしてくる。


ところで、「声優志望」は「諸説」が多い。

◯歳までにデビューしなきゃいけない、顔が可愛くて歌がうまくてダンスが踊れなくてはいけない。

一般論としてはそうなんだろうけど、でも「顔が可愛くないから」「年齢がオーバーしてるから」で諦めるのは何かなぁと思ってしまう。それがメジャーなルートだとしても、なんかこう「例外」みたいなのもあるはずなのである。いやあると信じたい。別の需要があるかもしれない。

でもそんな可能性も、自分で「無理だ」と思ったら潰れてしまう。

この世は何が起きるかわからないし、やってみないとわからないこともあるはずで、「こんなの仕事になるはずない」と思っていた私のヘタクソなイラストですら仕事になるような現状なのだ。

ただ、大事なのは「とことんやれる」環境を作ることだと思っていて、私の場合はエラく時間がかかったが、何とか時間と場所の自由を無理やりもぎ取ることができた。

そんなわけで、もしかしたら秋から学校に通うことになるかもしれない。

まさか、自分が社会人になってから「学校」に行く可能性が出てくるとは思ってもみなかった。

でもこれも、「今から学校に通うなんて無理だ」と自分で思い込んでいたら取れなかった選択肢だと思う。

結局、自分を殺すのは自分でしかない。

「辞めなって言われたんだもん」「ネットで確率が低いって聞いたんだもん」と言い訳しても、そのルートを選んだのは自分なのだ。

だったら、どんなにまわりに言われようが、逆風が吹いてようが、自分だけは「無理だ」って思っちゃいけないよね。というお話でした。

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