しんどいから、ごはんが美味しくなるんです。
わたしは声優を目指して日々稽古に励んでいるけれど、時折ふと思うことがある。
それは、「楽しいんだかしんどいんだかわからない」ということ。
先日、二泊三日の合宿をしてきたのだが、普通にしんどかった。
バスで7時間かけて辺境地に赴き、見ず知らずの40人超の人たちとひとつ屋根の下で共同生活を送りつつ、肉体を酷使するワークをやり、ダメ出しをされて落ち込み、筋肉痛とアザでボロボロになった身体を布団にうずめて眠たい目をこすりながらひたすら台本を暗記する。
苦行か!!!!!
しかも、この合宿は4万円もする。
まぁまぁな大金を払って鞭で叩かれにいくという、なんだかものすごいイベントなのである。
でも、せっかく参加するのだからと苦手なリーダーに立候補してみたり、追加で練習時間を増やせるように打診してみたり、やれることはいろいろやってみた。特にリーダーなんて超絶苦手だけど、「やるしかねぇ」と気合いを入れて臨んだ。
すると、運が良かったのか、たくさんセリフのある役に選んでもらえた。うれしい反面、「こいつリーダーもやってるし、しゃしゃり出てるな」とか思われたらどうしようとか、セリフをもらえなかった人たちの分まで頑張らなくちゃとか、チームをなんとかまとめなきゃとか、さまざまなプレッシャーで胃が痛んだ。
集まっている40人は仲間でもあり、ライバルでもある。
バチバチバチ、そんな音が聴こえてきそうなほど切迫した空気のなか、平和主義のわたしは頭を抱えた。
そうして、発表前の最後の夜、みんなが寝静まったあと、寝不足でボーッとしながら、内出血した太ももをさすりながらひとりセリフを口の中で転がしてるとき、「何やってんだろ」なんて気分にもなって少し涙が出てきた。
平日の3日間。東京のみんなは美味しいものでも食べてるんだろうな。4万円あったらアジアに旅行に行けそうだよな。可愛い服とか買えそうだよな。
なんで自ら茨の道を選んでるんだろうな。
そんなことがふっと頭をよぎる。朝から晩までしごかれて、声も枯れてしまって、いろいろと限界が来ていたのかもしれない。
しんどい、何だこれ。とにかくしんどい。そんな思いでいっぱいだった。
でも、そうして迎えた本番は、何故かめちゃくちゃ楽しかったのだ。
練習よりも良い演技ができた気がしたし、観客が笑ってくれるたびに嬉しくて、胸がいっぱいになった。
結果、いろいろあったがチーム賞ももらって、最後はなんだか泣いてしまって、クタクタになりながらも充足感を抱きながら帰りのバスの7時間を過ごした。
そうして思ったのが、しんどいと楽しいって表裏一体なのかもしれないということ。
なんだかうまい例えが見つからないのだけど、たとえば、大して練習もしてないのにうっかり勝ってしまった試合って、楽しくないんじゃないかとか。
プロテインって実は美味しくないけど、辛い筋トレをやった後に飲むと格別に美味しいんじゃないかとか。
ふつうに定常的にもらう仕事より、苦労して準備した資料で勝ち取る仕事のほうがやり甲斐があるんじゃないかとか。
何かこう、ラクしてもまぁまぁ生きていけるなかで、自らハードモードになっていると「意識高い」とか「ストイック」とか、すごい蛇足な気がしてくるけれど、実はそんなことがないんだなと思った。
最高に楽しい瞬間を味わうために、最高にしんどいことをしているんだなって。
それは、しんどさを自ら選んだ人にしか味わえないご褒美みたいなものなんだろう。
美味しいごはんは、普通に食べても美味しいかもしれない。でも、しんどいことを乗り越えたあとに食べるごはんは、もっともっと美味しいのだ。
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