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ゆぴの10分日記

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帰り道の10分間で書く独り言のような日記。よわっちくても生きてるだけでえらいえらい!
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2019年11月の記事一覧

自分の行動に意味付けをする

今日は友だちがやってる豚汁のプロジェクトのアイデアソンに参加してきたんだけど、ちょっと面白いことがあった。 模造紙を壁にはって、そこに付箋でペタペタとアイデアを貼り出していくのだが、その様子を見て、無意識のうちにペンに手が伸びた。 「あ、グラレコの出番だ」と思ったのだ。 模造紙にペンを滑らせたら、寝起きの頭がしゃっきりとした。 遅れて来た子もグラレコを見て議論に参加してくれて、やった意味があったと思えた。 そして、そこで初めて、あぁ、わたしはいつでも無意識のうちに

匿名だと悪口ホイホイ言えちゃうのなんで?

たぶんだけど、自分宛じゃなくてもいわゆる「クソリプ」や「クソコメ」というのを結構見てきた人生だと思う。 仕事で何個かSNSを運用していることもあり、好き放題言ってくるDMやコメントをいくつも件名だけみて飛ばしてきた。 そのたびに、「なんだかなぁ」と思ってしまう。 だって、たぶんだけどこの人たちに、「よーし、わかった!じゃあ話を何でも聞くから今からカフェで落ち合おう!」と言っても誰も来てくれないと思うのだ。 たぶん腹の虫の居所が悪いときにたまたま見て、イラッとして衝動的

自主的に生きるか、雇われて生きるか

フリーランスをやっていて思うのは、フリーランスや会社員には大きな誤解がある、ということ。 フリーランスになれば、裁量権が得られて自由に仕事ができるのだ、と思われがちだが、実際はちょっと違う。 フリーランスはあくまで業務形態が変わるだけ。 重要なのは自分ごとか、他人ごとか、という仕事に取り組むスタンスなのである。 まず、他人ごとの仕事は、とりあえずお金のためにやる仕事。言われるがままに、ホイホイと受ける仕事。面白いかはさておき出来るからやる仕事。 次に

だらだらしたい、したくない

うでうでしてたい、だらだらしてたい、というのは全人類の願望だと思っているけど。 定期的にうでうでしている身からしてみると、「たまにはシャッキリしたい」というのが本音である。 人の自己肯定感はジェットコースターみたいで、すぐに上がるし、すぐに下がる。 それでいくと、うでうでだらだらしていると、楽だなぁと思う一方で、なぁんか自己肯定感が下がっていく。 本当にいいんだろうか、こんな体たらくで良いんだろうか。適当なままでいいんだろうか。何も成長してないんじゃないか。 何も考

自分の意見を持たないことが大人なの?

10代限定のイベントでグラレコをしてきた。 「10代が社会を考え、意見を言っちゃダメですか?」 というイベントで、グラフィッカーとしての参加ながらもじっくり堪能してしまった。 そのなかで、印象的なお話がふたつあった。 ひとつは、大人がよく使う「YES, BUT」の言葉について。 何か意見をしたことに対して、「その考えは素晴らしいと思う。でも…」と、賛成しているようで反対をする。 もちろん、それにはちゃんと意味があったり、相手を思ってのふんわりとしたクッションのよう

時間は自分で延ばしていける

きっちりまっすぐ定規で引かれたような道を歩きながら、「東京の道もこうだったら迷わないのに」と思う。 半年ぶりに京都に来た。前に来たのはフリーランスになりたての4月で、もう半年が経とうとしている。 あまり馴染みのない土地でパソコンを開いて作業をしていると、隣から聞こえてくる言葉はもちろん関西弁で、それが一層異国感を際立たせていた。 前に、「時間を延ばす方法」について取材をしたことがある。 そのとき、時間学の教授は、”楽しみながらディテールに注目することで、認識する出来事

行き当たりばったり流されてみる

ライターの仕事で大阪に出張に来た。 それにしても、何とも行き当たりばったりな1日だった。 準備もまともにしないまま、朝起きて適当に物をリュックに詰めて新幹線に飛び乗った。 取材テーマは直前に決まり、思いつくままに質問をしていった。 取材を終えたらめちゃくちゃおなかが空いていたので記憶を頼りにたこ焼き屋へ行って、カウンターでたこ焼きを8個、無心で頬張った。 スマホを見たら、友だちから連絡が入っていたので、待ち合わせてごはんを食べた。 ごはんを食べている最中、別の友だ

待っていてもシンデレラにはなれない

「待つこと」って美徳なんだろうか。 「わたし待つわ」的な、強くしゃしゃり出ず、じっと時を待つことが、ある種の奥ゆかしさとしてあるような気がする。 「まだですか?」なんて急かしたらせっかちな奴だと思われてしまいそうだし。 逆にマイナスな印象を与えてしまうくらいなら、口をつぐんだほうがマシだ、なんて。 …でも、思うけれど、それで何か変わったことってあっただろうか? 一度、そうやって「果報は寝て待て」精神で待っていたこともあったけれど、そのうち何だか記憶も曖昧に

「忙しく見える暇な人」であるべき

毎日忙しそうって言われちゃったー! 実際には、そんなに忙しくないのにー! 今月原稿5本くらいしか買いてないのにー!(暴露) …というわけで、度々わたしのなかで議題に上がる「忙しく見える人」「暇そうに見える人」だが、個人的には「忙しく見える暇な人」が最強だと思っている。 暇そうに見えれば、誘われることも多い反面、仕事面では「どうせ暇そうだからなぁ」なんて軽んじて見られてしまうかもしれない。 一方で、忙しそうに見えれば、誘いづらいけれど、逆にふらりと行けば「来てくれたの

永遠に消えない”ぽっかり”と向き合う

いつも欠乏感がある。 たとえるなら、つねにおなかが空いているみたいな。食べても食べても満腹にならないみたいな。 「何をしててもしあわせ〜!」 という友だちがいるが、いつになったらそこに行けるんだろうと延々と考えている。 どうやったら「何をしててもしあわせ〜!」になるのか。このぽっかりとしたスキマは何なのか。 お風呂に入ってるときとか漫画を読んでるときとか友だちと話しているときは”ぽっかり”も忘れられるんだけど。 いつか誰かが自分を満たしてくれると信じていたけれ

あと80年もあるんだしさぁ

「おばあちゃん、長生きしてね」 毎年訪れる祖父母の誕生日の手紙にはそう書いていた気がする。 でも、いつからかその言葉を書くのをやめた。 おばあちゃんが、歳を重ねるたびに「あんまり長生きしてもねぇ」と言うからだ。 おばあちゃんはもう歳も歳なので、すでに兄弟を何人か亡くしている。友人もそうだ。最近では、新しい出会いよりも永遠の別れのほうが多いと思う。 そのたびに、おばあちゃんは悲しむのではなくこう言う。 「良かったねぇ」 と。 安らかに眠れて良かったねぇ、というこ

自分の歩幅で、自分のペースで

焦る〜!!! 優秀な人と一緒に仕事をしたり、ツイッターで伸びている人を見たり、元職場の新人の子が育っているのを見ると焦る〜!! わたしももっとライティングしたいぞ〜! デザインもやりたいし動画もやってみたいぞ〜! …といろいろ手が出したくなるところをグググッと堪えるのは結構難しい。 なんだかウェーブに乗り遅れてしまう感じがするし、かつては足並み揃えて歩いていた仲間たちに置いていかれそうで怖い。 今はたまにライティングして、稽古しての毎日なので、なんだか普通の人じゃ

ひっこし、こわい

物件を2軒見てきた。 ひとつは今住んでいる駅の隣駅の物件。 街の雰囲気もどこか似ていてホッとしながら商店街を抜けたが、実際に部屋を見てみたらいわゆる「脱衣所」がなく、お風呂のドア開けたら廊下です!!という間取りで、それはちょっと寒そう…と思ってしまった。 もうひとつは、今の住まいから20分ほど離れた、見知らぬ駅。部屋は特に可もなく不可もなくといったところだったのだが、駅周辺を眺めていたら悲しい思いに襲われた。 「引越したくない!!!」 という訳わからん事態になった。

お金でしあわせを買っちゃいそう

最近お部屋探しをしている。 今の家はかなり妥協をしたので収納ナシ・6畳・ユニットバス・駅徒歩10分くらい。 さすがに狭いのでもっと広いところに住みたいし、トイレットペーパーがしおれるのはもうイヤだし、もっと駅近がいい。 そうやって探していくと、今の家賃よりどうしても3万円くらい高くなってしまう。 うーん、3万円かぁーー。 変な話、毎月3万円くらいは確実に浪費している自信はある。おいしいものを食べたり、ガジェットを買ったり。そこをまるまる削れば何とかはなるはずなのだ。