かわいさはもっと無意味に飾られよ

 YouTubeに上がっているあらゆる動画ジャンルのなかでも私はゲーム実況を見るのがすきで、近ごろは2020年あたりに更新されていた瀬戸弘司さんの「あつまれどうぶつの森」実況を見ている。

 あつ森(どう森)はまちづくり系のゲームで、無人島からスタートして島をじぶんらしく作っていく。ほかの住民は基本的に動物だ。新たな住民とはランダムに出会える。そこで瀬戸さんは新しい動物に出会うたび、そいつの巷での人気がどれほどのものかというのをメルカリに出品されているカードの取引価格ではかっているのだが、高いものは1万円を超えているとのことだった。

 なにかのキャラクターのために支払う金額として、私の上限は相当低く設定されている。こいつはかなりかわいいぞと思っても、そいつのぬいぐるみやキーホルダーを所有しよう! の気持ちにはなかなかならない。かわいいものを手元に置いていつでも愛でたいという心が、私にはかなり欠けていることにはたと気づいたのだ。

 わが家には、展示で買ったコジコジのグッズがいくつか飾ってある。コジコジをまったく見たことがない人はあんまりいないかもしれないけれど、二頭身のからだにつぶらな目、全体的にまるい造形、ほっぺのくるくる、カラフルな服、圧倒的にとぼけたところなど、まあとにかく異様なほどのかわいさである。

 さくらももこの『ちびまる子ちゃん』に並ぶ代表作である『コジコジ』はほとんどギャグまんがなのだが、主人公である宇宙の子・コジコジがときどき虚を突くようなことや哲学めいたことを言って、読者が唸らされる。

「コジコジだよコジコジは 生まれた時からずーっと 将来もコジコジはコジコジだよ」というよく知られるせりふに代表されるように、存在が存在すること以上の意味を求める(求められる)こと、他者に愛される者であらねばならないとか、誰かの役に立たなければならないなどの言説に、コジコジはいつも疑問を投げかける。

 コジコジがとんでもなくかわいいのは前提にありつつも、キャラクターというよりは概念として扱っているところが私にはある。コジコジの物体としてのかわいさを飾っているようで、私は上に書いたようなコジコジの哲学性をおおいに飾りつけ、じぶんを励ましているのだ。

 ほかにもかわいいと思うキャラクターはこの世にたくさんあるけれど、かわいいというだけで所有したいところまで気持ちをもっていけない。この、気軽さからあまりにも遠すぎる、意味を受けとり、意味をあたえすぎる感性が、私の住む部屋の秩序をつくってしまっている。だけど、コジコジの言うことをほんとうに理解しているのならば、私はもっと無意味にかわいいだけのものを部屋に置くべきではないのか。かわいい存在は、かわいい存在というだけで飾られるべきではないのか。

 そんなふうに考えながら部屋をぐるりと見わたすと、意味もなく大口を開けて笑っているゼスプリのキウイブラザーズのフィギュアとしっかり目が合った。なんだ、私も無意味にかわいさ飾れるじゃん!




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