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急にマンガのライターになってしまった

2021年3月、4年ほど生活をかけてやってきたバンドの活動終了を発表した。フェスに出る、テレビラジオに出る、アルバムをリリースする、ワンマンライブする…とか生まれてはじめてのことをいろいろやった4年間だった。

2020年春以降ライブがほぼなかったので実感が薄いなりにも、なんかちょう必死だったなーとか団体を続けるのは大変だったなーとか考えていた。リスナーが感謝を伝えてくれたり音楽やめないでとメッセージをくれたりして、音楽やってきてよかったなと思ったし今もやってるしこれからもやると思う。楽しいから…

とはいえ世の中の大多数の人にとっては、私がこのバンドで何かを表現することもスタジオや会場で起こっていることもなんら関係のないことだった。実際、私たちの音楽を知って楽しむ人が世の中にもっともっと増えていたら、私たちはたぶん今もこのバンドを続けていただろう。

私は去年マンガを読むことがすきになった。これまでも本や映画で物語を楽しむことはあったけど、マンガで描かれるものになんか感動してしまった。

大きな活動をひとつ終えてしまうと、なにか新しく活動をはじめようとするときには腰が重くなる。だから何かをすぐにはじめるぜと思っていたときに「アル」というサイトに出会い、しかもライターを募集していた。

元々文章を書くのがすきでマンガもすきになった私は、軽い気持ちで800字のテスト記事を書き応募してしまった。こういうのは簡単に受かるもんじゃないと思っていたので採用通知が来たときは結構びっくりした。

そのテストライティングをもとに、はじめてリリースされた記事がこれ。

Twitterでこの記事の告知がたくさんの『BANANA FISH』ファンから「いいね」されているのを見て、私は戦慄した。

元々有名な作品だからこそのいいね数ではあるけれども、自分のすきな作品に対して急に小さな責任を負ったような気がした。同時に、かつてバンドの海外リスナーが丁寧なアルバムレビューを書いてSNSで広めようとしてくれた記憶が蘇った。

何かを作る人にとって、それを受け取ってくれる人の存在は本当に心強い。心を動かされるものにあふれている世界で自分が作ったものを手にとり愛してくれる人がいるなんて本当に奇跡みたいなことだ。

すきなマンガについて書かれた文章によって作品のファンが増えたり既存ファンが読み直したりすることは、小さくても確実に作者の心を支えるということを、私は身をもって知っている。そしてそれが創作活動を続けるか終わりにするかのはざまにいるときの決定打になるかもしれないことも。

音楽と同じように、誰かにとってどうでもいいものでも別の誰かの心が大きく動くものがこの世の中にはいっぱいある。これからもそういうものがいっぱいあり続ける世の中だといいなと思う。

「アル」には作品を愛している人ばかりいて、なぜか私がうれしくて泣けてくる。私は他のライターに比べてマンガを読んできた歴史が短く読んだ作品数もすくないけど、だからといってその分作品を愛していないということにはならないと信じて文章を書いていくつもりでいる。

最近ようやくこんなマインドになってきた。
ライターになったぜェ!という感覚はしばらくなかったけど作品ファンからの反応や他ライターの活動を見て少しずつ身についてきたのかもしれない。

そしてすべてのことが次に自分がなんか作ってやるぞって情熱を注ぐものに必ずつながっているから、音楽やめちゃうの?って連絡くれる人。私にとって音楽はやめるも続けるもなくて、道草を大いに楽しんでいるところです。てか今も音楽やってるからねーーー!!


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