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今目の前にある幸せ

元夫が、ふるさと納税できりたんぽ鍋やお米を送ってきてくれます。

自分の給料だけでつつましく暮らしている私としては、元夫からの配給がとてもありがたく、心から嬉しくて、LINEで喜びのメッセージを送ります。

一緒に暮らしている時は、夫の給料で生活費に困ることも無く、節約することもなく、のほほんとやってきた私。
ありがとうなんて言うこともなかったけど、本当はとてもありがたいことだったと今は思えます。

お礼のメッセージを送っていて思うのですが、自分のしたことを相手が喜んでいることがわかると、男の人はとても嬉しいんだなぁ、ということ。

何かしてくれても、いやそれ望んでないよ、とか、もう少しこうしてくれたら、なんて思っていると態度にも顔にも出ます。
でも、相手を喜こばそうと思ってやってくれている、その事実に気付いて感謝すべきですよね。

そういうことはわかっていたはずだけど、離婚して、自由になるお金が少なくなった今、やっとその意味がわかった気がします。

いや、ほんとありがたいとしか言いようがない!
人が何かしてくれることって、「有り難い」ことで、当たり前ではないんですよね。
ある程度自由になるお金がある立場だと絶対にわからない、いや、わかる人にはわかるかもしれないけど、私はわかっていなかった。

一度不自由になってみたら、自分一人の稼ぎでは出来ないことだらけ。
でも、だからこそ、出来ないことを数えるのではなく、出来ていること、すでに持っているものに焦点を当て、少ないものでやっていくことを楽しんでみたら、一つ一つのことがありがたく思えるようになりました。

先日、気に入って使っているゲルインクボールペンのインクがなくなりました。
替えインクぐらい、安く売っています。
でも、家には他にもゲルインクではないけどボールペンがあります。
それを使えばわざわざ買うこともないので、しばらくあるものを使ってみました。
確かになんの問題もないのですが、やっぱりゲルインクの使い心地が忘れられず、数十円の替えインクを数週間我慢した後、やっぱり購入しました。

久しぶりに使ったゲルインクの書き心地がとてもよく、本当に幸せな気持ちになりました。

当たり前にすぐに買っていたものを一度買わずにすごしてみる。
そのまま、意外と、あら?なくても良かったわね、となればそれはそれでラッキーだし、やっぱりないと不便だわと思えば買う。
なくなった→買う、という当たり前にやっていたことを一度踏みとどまって、考えてから買うと、ありがたみが全然違う。

夫からの食材の配給は、ゲルインクと同じ。
普段は買えない贅沢な食材が、全く期待していなかったのに送られてきたら、本当に嬉しいし、何より別れた後にこちらを気にかけてくれることがありがたい。
かと言って、べつに別れたことを後悔なんてしていなくて、新しい道を進んでいるだけなので、今自分は貴重な体験をさせてもらっていると感じています。

日々のことが当たり前ではなく、相手がしてくれたことは全部とても嬉しいこと。
それが、夫だけでなく、会社の人だったり、自分の子供だったり。
そこに気づいたら、心からありがとうと言う。
その気持ちが相手に伝わると、相手との関係も良くなります。
当たり前の、ただそれだけの事を、私はしてこなかったことを反省し、今実践中です。

特に男の人のやってくれることって、正直、あ、そこですか?っていうことも多いんだけど、それでもこちらのことを考えてくれてるんだなぁ、と考えたらその気持ちがありがたいし、ましてや好きで結婚した相手ならなおさら、可愛いと思えたり愛おしく思えたり。

でも、そんな気持ちって、自分のことばかり考えていると忘れるんですよね。
なんでもっとこうしてくれないの、とか、誰かと比較して、あの人はこうしてるのに、などと考えたり。
その人なりに考えてやってくれている事があるのに、それを無視し続けて、見ないようにしていると、やって欲しいことどころか、善意でやってくれていたことすら、もうやってくれなくなるでしょう。
誰だって、相手が喜んでいないと分かればがっかりするし、もうやらなくていいやってなるでしょう。
今あるものに気づいて、あるもので暮らすことと、今目の前の人の優しさに気づくことって似ています。
の前にないものが手に入ったら幸せになるのではなく、自分の目の前にある幸せに気づいたら、あっという間に幸せになります。

元夫に送ってもらったお米を美味しく食べながら、幸せだなぁってしみじみ噛みしめています。

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