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チカちゃん

最近、noteでバズっているというエッセイを読んだ。男性が書いた、一見女性の気持ちに寄り添ってくれるような内容のエッセイだった。

前評判は「すごくいい」と聞いていたので、筆者は男性でありながら女性に対してさぞかし理解がある人、あるいはそうしたジェンダーにとらわれず人として接することが出来る人なんだろうな…などと、ほんのり期待しつつ読み始めた。

だが、結果的に言うと全く違った。むろん、前評判を聞いて安易に期待してしまった自分も悪かったと思う。この筆者やエッセイの内容がどうのというより、不特定多数の人間が無料で読める記事のひとつに、ほんの一瞬でもそれ以上の何かを期待してしまった自分がまず恥ずかしい。私は傲慢であった。

それを踏まえてのあくまで個人的感想。確かに女性の気持ちに寄り添おうとする筆者の姿勢は随所に感じられるものの、それら全てが”他の男とは違う女性に理解ある優しい俺”を主張したいが為のパフォーマンスに思えて仕方なかった。特に女性の気持ちをイメージして代弁している場面では、女性ってこう思ってるんでしょ?俺にはわかるよと得意気に言われているようで、あんたに何がわかるんだよ…と別の意味で泣きそうになった。

一周回って、女性に対する侮辱だと思った。

こんなエッセイが絶賛されたりバズったりしている世の中は、正直どうかしていると思う。特にその神輿の一部(もしくは大部分かも知れない)を女性が喜んで担いでいることには、驚きを禁じ得ない。

でも、何も今に始まったことではないか…。

あーあと大げさに溜息をつきながら、あんなに綻びだらけの羊の皮を被った狼も見抜けないなんて本当に皆男を見る目がないよね、と、一人うそぶく。

女同士の友情なんていうのは建前で、気づけば私達の話題の中心はいつも「男」だった。幼稚園の頃からずーっと。私○○君が好きなの!という恋バナに始まり、男子にスカートめくりをされても、やだーと怒ったそぶりを見せつつ、皆子供ながらに「私は女として魅力的だから選ばれたんだ」と心のどこかで自負していた。あの子は選ばれなかった魅力ないのねと知らず知らずのうちにマウントを取り合って。少々不名誉な思いをしても、男に選ばれることがステータスだった。

帰り道、幼馴染の女の子が突然、私の幼稚園専用の黄色いかばんについているキーホルダーを指して「変なの」と言った。それは母のお下がりの、革でできた確かに幼稚園児にしては少々渋く大人びたデザインのものだった。そして、女の子のキーホルダーは流行りの可愛らしいキャラクターもの。

それまで、自分のつけていたキーホルダーが変だと思ったことは一度もなかったが、その時から私はそれが変だと思えて仕方がなくなった。帰ってから、それを買うにもお金がかかるよね贅沢だと思いつつ、どうして私のはママのお下がりの変なヤツで、可愛いキーホルダーじゃないの?と母に泣きついた。

その後、キーホルダーがどうなったかは正直よく覚えていない。そのままだった気もするし、新しく”可愛い”キーホルダーを買ってもらった気もする。重要なのはそこではない。

内容は変われど、今も同じようなことで悩んでいるということだ。

むろん、今となっては私のキーホルダーを指さして誰かに「変なの」と言われたって、不快な気持ちに一瞬なるぐらいでどうってことはないし、当時子供だった幼馴染の女の子の発言を責めるのも的外れだということがよくわかる。でも、今も本質は全く変わってないという事実にぶち当たって、愕然とする。

今の私は、キーホルダーのことはどうでもよくなっても、いい年して結婚や出産をしていないことに対して、世間から…とりわけ既婚者の女性陣から「変なの」と言われ続けている気がして(実際似たようなことを言われたこともある)、肩身が狭いし、安心して呼吸できる居場所がない。

私はあの頃、可愛いキーホルダーを母にねだったように、今は結婚したいし子供が欲しい。本当は、結婚や出産はおろか、どうして男と恋愛しなきゃいけないんだろうと思うことすらあるのに、自分が「変なの」と後ろ指をさされない為に、一刻も早くそれが欲しい。

あの頃から何にも成長していない。そして、今更母に泣きついても、そればかりはどうしようもできないどころか、母が父と結婚して私を産んだ時点で、私達は既に大きく分断されていたことにふと気が付く。

いくら母が親心で私に気持ちを寄せてくれたところで、私がいくら母を理解しようとしたって、私が結婚して出産する以外の方法で(本当の意味で)母と分かり合えることはないし、また他の既婚者の女性達と仲良くなれる気もしなかった。

私達は、男によって分断されている。そのことがとてつもなく憎い。

つまらない男に引っかかって結婚して子供を産んで、社会的成功をしなくても許されて、旦那の愚痴を言いながら主婦として暮らせる世の中が。出産という大仕事がありながら、社会に出て男と同等に戦わなければならない世の中が。何をしてもしなくても結局、女の幸せは結婚して赤ちゃんを産むことだよと言われてしまう世の中がー。

なんで、この世界に生まれてきてしまったんだろうと、この年にして思う。でも、そんな甘ったれた問いを口に出すのが許されるのは、せいぜい10代までだろう。同世代は、結婚して次々に子供を産んでいる。凄いな~と尊敬すると同時に、よくこんな世の中にポンポン子供を産めるよなあと思う。人生に苦しみはつきものだし、どうせ最後は皆死んでしまうのに…。

世間から見ると私の方がおかしいのだろうが、私からするとそちらの方が「変なの」と思えて仕方ない。そして、自分が女に生まれて結婚や出産おろか、その他の何ひとつ成し遂げられていないことが、悲しい。結局は、自分だって男性のことが好きで無意識に求めてしまっていることが、悔しい。

変なの。変なの。変なの。


チカちゃんー。記憶が朧げだが、確か彼女はそう呼ばれていたと思う。本当は別の読み方なんだけれど、皆そう呼ぶし、その方が呼びやすいみたいだからどっちでもいいよと言われた気がする。

スマホのメールを整理していて思い出した、数年前にほんの一瞬だけ会った、遠い街に住んでいる同い年の女性。それまですっかり忘れていたけれど、またねってメールした気持ちは嘘じゃなかった。私は、故郷から離れた遠い街で一時、彼女の存在に救われた。

その時はお互い彼氏もいないし結婚なんて考えられないねって笑い合っていたけれど、時を経て今は彼女も結婚しているだろうか。もしかして、子供もいるだろうか。

もしそうだとしても、私達は分断されいていないと信じてみたい。彼氏がいないって笑い合えたみたいに、お互い立場が違っても、せめて「変なの」と言って笑い合えるようにー。

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