フリーランスを目指す今、日本の教育について考える

私は28歳。
大手メーカー勤務(3年目)
フリーランスになることを決意し、日々勉強中。

日本の教育についてぼんやりと考えたことがあったので、共有したい。
会社に入社し、異動を繰り返していく中で以下のことを考えた。会社は鳥かごのようだ。会社は与えられた自由の範囲内(定められたルールの中)で仕事をする場所。そのルールの中(自由で不自由な場所)で働いていれば、会社から給料をもらえる。鳥かごの中にいる鳥も鳥かごという不自由の中で自由に動くことができ、鳥かごの中にいれば人間から餌をもらえる。
日本の教育の目指すところは会社や組織の中でルールを忠実に守り、限られた自由の中で働く優秀な人材(国がコントロールできる優秀な人材)を育てることだと思う。
この教育の前提に疑問を持つ人が少ない/もしくはそもそも考えたことがない人が多いという意味では日本の教育は成功したといえるが(国民をある程度コントロールできる)、世界的に見たらこの時代遅れの教育が日本が沈みゆく泥舟と世界から揶揄される原因である。

私は大学を出て、会社に入ること自体、ほんとうに正解なのかわからなくなった。日本人は答えのある問いに答えるのは得意。答えのない問いに答えるのは苦手。受験では、答えのある問いに多く正解する、より難しい答えのある問いを解ける人が合格という教育であり、そもそもこの教育自体に限界がある。数学のテストで、考え方が合っていても計算ミスで減点されるってそもそも意味があったのか?電卓もっていけばいいじゃんってなぜならないのだろうか?
社会に出たら答えのない問いの方が圧倒的に多いのに、答えのない問いを解く機会が与えられていないのだから、社会に出ていきなり対応するのは難しい。日本教育の犠牲者が自分も含め、今の若い子たちなのだろう。
実際にすぐ答えを求めようとする若者が多い/受動的な若者が多いのも日本の教育が原因である。
個人的感覚だと、会社に入って20代のうちに自分が何者かになろうと努力する(学び続ける)人が1,2割くらいはいてもほんとに学び続けることができるのはほんの一握り。学び続けることから逃げると、あっという間に30代。その後結婚や出産などのライフイベントを通して守るものができる。守るものができてからは何者かになることを諦め、たとえ苦しくても家族のためと言い聞かせて働き続ける人生になる。そのあとは文句を言いながらも定年まで世間一般的な人生と同じ。結局時代は変われど、このまま何もしなかったら職場にいる30代,40代が将来の自分だ。逆に私にとって人生を大きく変える最後のチャンスが今なのだと再認識した。

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