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頑張ること、頑張らないこと

『頑張る』と聞くと、少し肩に力が入るような、多少無理してでもやらないといけないことのように感じるかもしれません。
嫌なことでも我慢してやる、そんなイメージもあります。
無理は良くないと分かっていても、頑張るのを止めることができない人もいます。

『心地よく演奏する』この境地に辿り着くためのプロセスは、正しい頑張り方を習得していくための道です。

今回は『正しい頑張り方』と『誤った頑張り方』についてです。

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正しい頑張り方とは?

正しい頑張りとは、無理なく頑張れるということです。
そしてどれだけ頑張っても、無駄に疲れることがありません。
使ったエネルギーが全て昇華されるような清々しさがあります。
演奏していても心地良くスムーズで、どこにも滞りや詰まった感じがありません。

これが私がいつもレッスンで言っている、声を開放している時の感覚です。歌うということは、全身を使って『声を開放する』ということです。

ところが、95%の歌手たちは無駄に頑張り過ぎていて、正しい頑張り方を知りません。すなわち『誤った頑張り』をしてしまっているのです。

誤った頑張りとは、成果につながらない、不毛な頑張りのことです。その誤った頑張りこそが、声を開放することができない理由です。

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ではなぜ頑張り過ぎてしまうのか?

それは、本当に頑張らなくてはいけないところで、正しく頑張れていないからです。

正しく頑張れていないがために、頑張らなくていいところで無駄に力が入ってしまう。この悪循環に陥っているのです。そして、この『誤った頑張り』のことを『癖(くせ)』と言い換えることもできます。

多くの人は、自分でも自覚がないほどに『誤った頑張り』が当たり前のことになっています。つまり、頑張ってるつもりがないんです。

だからこそ、誤った頑張りをやめる、ということは不可能に近いことなのです。もしくは、誤った頑張りを止めようとして、何も頑張ってない人になってしまうか、のいずれかだと思います。

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正しく頑張り切れない!

声の技術を習得していくためには、どこでどれだけ頑張るか、ということを感覚で覚えていく必要があります。このプロセスは、『誤った頑張り』を『正しい頑張り』に上書きしていくことでもあります。

正しく頑張るためには、その方法がちゃんとあります。この体の使い方でなければエネルギーを開放できない、という方法があるのです。それこそが声の技術です。

けれども、ここで多くの人たちが思い悩むことになります。
頑張らなくてはいけないところで頑張り切れない、という大きな壁にぶつかってしまうからです。

どれだけ頑張り過ぎてる人でも、いざ『こっちの正しい方向で頑張って下さい。』と言われると、それができないんです。

なぜでしょうか??

その理由は、正しい頑張りと、誤った頑張りは、真逆と言って良いほどに、全く違った頑張り方だからです。

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全く違う二つの世界

誤った頑張りとは、すぐさま結果を出そうと、最初から完成形を目指すような頑張りです。音楽大学などのレッスンでは、先生に完成形を提示されて、「このように歌いなさい、演奏しなさい。」と言われます。そして、そのように歌うにはどうしたら良いのか、自分なりに頑張るわけです。

それは言ってみれば、自分の外側に存在している正しさを追い求めるような頑張り方です。正しいことはいつも自分の外側に存在している。つまり、自分の外側に指針や答えがあるのです。

だからいつまで経ってもどこか不確かなまま、外の正しさに自分を合わせにいくことに精一杯になります。結果を出そう、うまくやろう、が先走ってしまうのです。

一方正しい頑張りとは、自分の中から湧いてくるエネルギーをサウンドに注ぎ込むためのものです。

そのためには、『自分がサウンドを生み出す人』になっていなければいけません。それはつまり、自分の意志で、自分の判断で、自らの責任で、サウンドを生み出し、音楽を表現する人にならなければいけないということです。
自分の中に主体性がなければ、サウンドを生み出すことはできません。

こればっかりは、先生の言うことに従っていればできるようになる、というわけにはいかないのです。自分自身と繋がっていなければ、正しく頑張り切ることはできない、ということです。

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全ては受け入れることから

無理なく頑張れるときというのは、私たちが本能に沿っているときです。それはつまり、体が本来の機能を発揮しているときです。

誤った頑張りをしているときというのは、私たちが自らをコントロールしているとき、すなわち本能に鍵をかけているときです。

『こうするべき。こうあるべき。』
社会や学校で教わってきたさまざまな概念によって、私たちの本能は鈍ってしまっています。その結果、思考優先で、自分をコントロールする習慣を身につけてきてしまいました。

『声を開放する』ということは、自分の中の本能に沿って、体を使うということです。そのためには、自分をコントロールすることをやめなければいけません。最初は不格好な声、美しいとは思えない声が現れることもあります。躊躇や不安、恐れを感じることもあるかもしれません。けれども・・・

これでいいんだ。

と、どんな声が現れようとも、どんな感情が現れようとも、それをよしとして、受け入れていくことが大事です。そして声を開放するときの感覚に慣れていくことです。

このプロセスこそが、声を磨いていく、ということそのものなのです。

外の正解に合わせる頑張りではなく、自分の感覚とつながるための頑張りこそが、正しい頑張りです。ベクトルが真逆なんですよね。

できない自分に落ち込んでる場合ではありません。
難しい難しい、と言っていても何も始まりません。

ただ、やることやりましょう、ということです。
どうやって体を使うのか。
そのために自分がやるべきことは何なのか。

もう一度このことを思い出してみましょう。

サウンドを生み出すのは「自分」です。
声を開放するのは「自分」です。

自分がやるんですよ!
やるのは自分ですよ!

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