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『不愉快な本の続編』

著者の作品は相当数、それも刊行をほぼ同じくらいの時期に読んでいたのだが、この作品は何故か手にしていなかった。それが、ふとしたことから手にすることとなったのだが、著者の関係性を描く想像力の巧みさは相変わらずで面白かった。

冒頭で自身を芋虫と断じ、自らの歩みを不愉快な本の続編と称している雰囲気はシニカルだけれど、そもそも芋虫はともかく“不愉快な本の続篇”という喩えがどんなものかを探しながら読むこととなった。          主人公は厭世感を漂わせて入るものの、実は金貸しができるほどには社会にコミットしているし、誰に迷惑をかける訳でもなく生きている。しかも、わざわざフランスの大学に入る選択さえもしている。そこでヒモとして生きる術を学び、帰国後は真っ当なヒモ稼業に勤しんでいた訳であるが、あっけなく結婚してしまう。それも傍目には綺麗で羨まれるような女性と。

この結婚を期に登場した叔父によって主人公が何らかの理由で故郷や家族と疎遠になっている事がわかるのだが。そして、予想だにしない嫁の浮気に想像以上に打ちのめされて離婚し、自ら家を出る。ここで彼の自意識の中にある自らをヨソ者と称する心根があかされる。それを裏書きするかのような実家の失火の話を知ることにより。東京を去った主人公は富山へと移り住み、そこで専門商社に勤める。

富山の街にも会社にもそれなりに溶け込み、唯一の楽しみとして近代美術館で過ごすことを覚えた時に突然学生時代の同僚と遭遇する。ほとんど記憶になかった女性であったが、旧交を温める内に定期的に会うようになるが、異性としての意識はもたずにいた。そんな折、彼女が、彼女は東京から富山に定期的に出張で訪れていたのだが、空き巣をしている現場に遭遇してしまう。そして、彼女に泥棒をやめさせる為に自らも美術館に展示してあるジャコメッティの銅像を盗み、彼女に渡す。

富山を後にし、故郷の呉に戻り、墓参したところで弟の死を知る。彼にとっては生きて存在していなければならないはずの弟が死、自らは生きている。カミュの異邦人の如く、夏に死ぬはずだった自分が生きているのに。彼は死ぬことさえできない自分に絶望しながらもようやく自らの死を選ぶ事ができそうだ。ラストでまさに彼は自身の人生を不愉快な本に例える。そして、この人生を他人事として語られることを拒みながら。

異邦人を引いていることから有り体に言えば不条理を描こうとしたのだろうし、まさに著者が考える不条理が描かれている。主人公にとっては弟の死がまさに不条理であったのだが、それはもしかしたら自らが結果として手を下したのかもしれないという不条理もありうる。自らの意思で様々な選択をしているようで結果として自らの運命は最初から決まっていたかのように語られている乾くんの人生。でも、ラストで叫ぶあんたのモデルは一体誰なんだ?という問いかけが乾くんの唯一無二の生き方への矜恃なのだろう。

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