『神山アローン』への応援コメント
各分野の識者の方々に、忝なくもコメントを頂いておりますのでここに紹介させて頂きます。(敬称略)
吉村萬壱(小説家)
徳島県で一番最初にマニキュアを塗った女「サッちゃん」の生き様に、私の心は鷲掴みにされた。
神山という美しい天空の村。そこに生きた一人の型破りの女の過剰なる生。劇団の花形女優にして数億円を稼ぎ出し、前科二犯にして娘に先立たれたサッちゃんの波乱万丈の人生が凄い。道を求めていた長岡マイルという一人の映像作家が、生活を賭して彼女の人生に喰らい付き、その栄光と後悔の全てを彼女自身に語らしめた傑作ドキュメント。
流麗な阿波弁と、男たちを魅了した名残りをとどめる魅惑的な踊り、そして随所に差し挟まれる詩的映像美が圧巻の、忘れられない一本。
その後のサッちゃんも是非見てみたい。(写真Ⓒ文藝春秋)
土屋敏男(日本テレビプロデューサー)
見終わったから今に至るまで自分に「作ることの意味」を問うていました。人はなぜ作るのか?と言うより前に「自分はなぜ作るのか?」
テレビを何十年もやってきて「みんな」が捨てられない自分があります。長岡さんの映画『神山アローン』そして『あわうた』はさらに「みんな」がいない。だから刺さる。その強さにたじろぎます。
僕らがテレビを作っていた時代に「チャンネル争い」と言う言葉があった。それは「見られるもの」と「見られる窓」が限られている時代だったから。今は一生かかっても見切れない動画が目の前に横たわっている時代。
とまた「みんな」を意識したことを考えています。
長岡さんは長岡さんにしか作れないものを作り続ける。僕は僕しか作れないものを作り続けます。頑張りましょう。
映画の感想になっていないかもしれませんが僕が見終わって考えたことです。刺さるものしか意味がない。僕には間違いなく刺さりました。
佐々木義登(徳島文学協会代表)
すべきであったのに出来なかった選択、犯してしまった取り返しのつかない過ち、それは誰にでもある。過ちは、犯した時間に戻ってやり直すことができない。過ちの対象が愛する人であるほど後悔の度は増し、人生は苦渋に満ちたものになる。
時間という残酷な現実の前で、諦念と未練に満ちた人生を語るとき、我々はその人の悲しみの深さに撃たれて耳を澄ますのだ。と同時に悲しみが人間の美しさを照らしだすことにも気付かされるだろう。
菱川勢一(映像作家、映画監督)
僕にはこれまでの生涯でいくつかの忘れられない場面がある。そのひとつが長岡マイル氏の姿だ。数年前の徳島国際映画祭での出来事。長岡氏が万感の思いで完成したばかりの「神山アローン」を上映した日。彼は客席の後方に座り、僕自身はその斜め後ろに座った。スクリーンに映し出された作品はこれまで味わったことのない感情があちこちから溢れるようなものだった。涙も溢れた。エンドロールが終わるや否や客席の拍手の中、真っ先におめでとうと言おうと思った時、その斜め前に座った男が人目も憚らず声を出して泣き出した。嗚咽をし、オイオイ泣いた。それが長岡マイルという監督であり。作品を愛し、そこに収めた人を愛する男の姿だった。そしてその姿がこの作品を表していると思った。この作品はまぎれもなく彼の代表作のひとつであり。そして、この映画にリアルタイムに出会えていることに感謝したい。
長島一由(映画監督/元衆議院議員)
私が石垣島の高校生たちにドキュメンタリー映画の作り方を教えていた時に、ゲスト講師として招聘した日本テレビの土屋敏男さんが題材として選んだのが、この『神山アローン』だった。
ある生徒がこの作品を観終ったあとに「ドキュメンタリーとは社会課題を切るものだと思っていた。1枚の写真やひとりの人物に真正面から向き合うことでも成立するんだ」という言葉にこの作品の魅力が凝縮されている。
ドキュメンタリーにおける、テレビと映画、それぞれのメディアの特性を踏まえた表現方法の違いとは何か。映画はテレビと違って余計な説明を極力省き、小説のように行間を読ませる余地がある。そのような気付きを観るものに与えてくれる作品である。
久保俊哉(札幌国際短編映画祭プロデューサー)
マイルさんとは、徳島国際映画祭を通じてお会いした監督。第12回札幌国際映画祭(SAPPOROショートフェスト2017)で、フィルムメーカー部門にノミネートし、その中の作品「神山アローン」が最優秀ドキュメンタリー賞の受賞した。このフィルムメーカー部門は、1作品だけではなく、監督のスタイルや作家性をみんなに見ていただく部門。お会いした時は、まるで小説家のような印象だったような気がする。そのあとはカメラマンの印象。
神山という場所で、何かに取り憑かれて生活そのものが作家活動になっている人なんだ。そんな風に思っていました。映像はすごくクールなんだけど、伝わってくるものがホットでウエット。徳島でマイルさんの作品上絵の時の純粋な涙にもらい泣きしました。そしてこの『神山アローン』はマイルさんの一部のように思える。他の作品もそうなんだけど、そこには写ってはいないが、確実に長岡マイルさんとその被写体が一緒にいるのがわかる。確実にマイルさんの視線の先にその被写体いて、そしてカメラを回す(いまは回さないけど)。街や人そのものをピュアに作品にしていく。そんなシンガーソングライターみたいなマイルさんがとても好きです!
瀬々敬久(映画監督)
年老いた女性にインタビューする映画といえば中国のワン・ビン監督による『鳳鳴 中国の記憶』をすぐに思い出す。この『神山アローン』はわずか30分の映画の長さで、あの3時間に及ぶ傑作ドキュメンタリーに負けないほどのエモーションを与えてくれる。
『鳳鳴 中国の記憶』が文化大革命の抑圧による中国史を語るのに対して、『神山アローン』のさっちゃんは四国の山中のいわば限界集落に住み続けた、本当に小さな一生について語ってくれる。どこにでもある、それでいて掛け替えのない人生。ワン・ビンが作り手として自分の気配を徹底的に消すのに対して「神山アローン」の作者は自分の生活と人生を、そっと映画の中に織り交ぜる。さっちゃんの人生とふっと交錯する。あの人についての映画でありながら、私の映画でもある。だからこそ、私たちの映画でもあるのだ。そこがとにかく素晴らしい。ぜひ見てほしい映画なのだ。
高橋洋(映画監督/脚本家)
一見なんてことない田舎の、しかしそこに人間の営みがある以上、その土地ならではの人間の不穏さをたたえた空気というものがあるはずで、サッちゃんと呼ばれるお婆さんが漂わせる不可思議な色気にはそういうものを丸ごと感じさせる何かがあるのだ。見ながらパッと思い出したのは、小津安二郎の『浮草』の登場人物たちだった。彼らは漂泊の身の旅芸人だからこそ、その土地が立ちのぼらせる空気に鋭敏に反応していたのだろうか。ひょっとしたらサッちゃんはその土地に根づいていながらずっと漂泊者のように存在していたのかも知れない。そんな人物はとっくにどこの田舎からもいなくなり、どこもかしこも似たようにフラットな風景になってしまったと自分は諦めていたかも知れない。しかし、少なくともほんの数年前まではサッちゃんのような人がいたことを作者はレポートしているのだ。小さなドキュメンタリーだからこそすくい取れるものがあること、それにふさわしい発信の仕方が今やあることをこの映画は気づかせてくれた。
菊地健雄(映画監督)
この映画は30分ほどの小さな作品にも関わらず、放っておけば忘れられてしまいそうな記憶の欠片を大事にかき集めて、その小さな欠片の集積の上に僕らも立っているという忘れがちな大きな事実に改めて気づかせてくれる。
さっちゃんの顔や手に刻まれたシワ、亡くなった娘さんに破かれた写真、美容室兼自宅に置かれた道具や家具、大きくなったお腹と生まれた赤ちゃん、重ねられる徳島県神山町の風景、作品の中で映し出されるそれらは、さっちゃん自身や長岡監督が語る言葉以上に雄弁に多くのことを語り、或いは、想像させて、とにかく観る者の胸を打つ。クリス・マルケル監督『サン・ソレイユ』のようにアウトサイダーとしての視線を持ちながら、一方で、後期の小川プロ作品のようにその土地で寄り添って生活しているからこその距離感で迫る、そのバランス感覚がとても素晴らしい。
自分の家族や田舎や過ぎて去ってしまった時間のことを考えさせられる、人と会うことにも神経を使わなければならなくなった僕らが今こそ観るべき必見の映画である。
石川初(慶應義塾大学教授)
見終えてから時計を見て、この映画がほんの30分の長さであったことに驚いた。もっと長い時間の映像を見ていた気がした。おそらく、この映画に込められている時間の複雑な重層が、上映時間を越えた広がりをもたらしたのではないかと思った。
異なるスケールの時間がいくつも重なっている。まずは長岡マイルさんの生の時間。ご自身による語りの同時進行感によって、これが見る私に強い補助線を引いている。古い写真に映されているさっちゃんの人生の時間。かつての輝きに満ちた白黒写真には昔の神山に想いを馳せてしまうが、それが破られた痕跡によって、写真のプリントそのものが家族の歴史の時間のなかにあったことを思わずにはおれない。屋内に置かれた様々なものが見せている地層のような生活時間。亡くなってからもいろいろなあり方で生き続けている娘さんの時間。所々に映される神山の棚田や石積みが見せる歴史的な時間。映画の冒頭と終わりでずいぶん老いを重ねられたように見えるさっちゃんの時間。ひとつのものさしで測れない複雑な時間が、ざらざらした味わいをもって神山の風景につながっている。重層し錯綜する時間のなかに長岡マイルさんは自らを投げ込んでいて、それによって神山の風景が私につながってくる。
私たちもご縁があって、この数年間神山町に通っている。神山の人たちの暮らしを見聞きしながら、そこに何らかの普遍を見出そうとつい急いでしまう私たちと比べると、長岡マイルさんに執拗に描かれた個別の生の切実さに打ちのめされるとともに、まだ神山には未知の出会いがたくさん待っているのだと、勝手に希望も抱いてしまうのだ。
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