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睡眠と私

眠ることが好きだ。
夜眠りにつくのはもちろん、それのみならず隙あらば眠りたい。電車もバスも、一人で乗車する場合には座ると必ず目を閉じる。

これは、こちらの意識とは関係なく自然と視界に入る人や物、耳に入ってくる声や音に、意識が持っていかれがちだからかもしれない。
入り込む情報から連想ゲームのように思考をあれこれ巡らせてしまい、気づくと頭の中でどうでも良いことをぐるぐると考え、ありもしないことへのいらぬ心配にまで発展していたりする。
大したことは考えていないのだが、それでも脳が休まらない感覚だ。

これが、人や物に興味があり自らの意思で観察した結果ならば良いのだが、私の場合そうではない。興味は無いし、むしろ知りたくも考えたくもないのだ。
それにもかかわらず、なぜか気づくとあれこれ脳をフル回転させており、なんなら若干疲れていたりもする。百歩譲って、これにより何か有益な発見やひらめきがあったりと、前向きなものであればまだ良いのだが、大概そうではないからやっかいだ。
そんな気質も手伝って、脳と心を休めるために、なるべく情報を遮断し本能的にとにかく眠りたいと思うのかもしれない。

子供の頃は、そんなことまで考えていない。ただただ眠いから寝る、シンプルにそれだけだ。
いつでもどこでもよく寝る子供だった。しかも、未だにそうなのだが一度寝たらなかなか起きない。朝起きることが苦手で、母は私を起こすことに苦労していたらしい。
弟はすんなり起きる、なんなら小さな物音でもすぐに目を覚ますのに、お姉ちゃんは大きな声で呼ぼうが体をゆすろうが、全く起きないと。
同じ家庭で同じように育っている兄弟なのに、こうも違うから不思議だ。
…毎朝起こしてもらっていたやつが何を偉そうに「不思議だ」なんて言っているのだ、という感じだが。お母さん、本当にありがとう。

そんな、朝起きるのが苦手な子供にとって、親元を離れる修学旅行は緊張でしかなかった。
私はちゃんと起きられるのか…友達に起こしてもらうわけにもいかない…元来の真面目さと、人に迷惑をかけてはいけないという頑なな思い、そして小心者の気質も手伝って、だたただ不安でいっぱいだった。
そしてそんな状態でいざ当日を迎えると、緊張もあってか、けして大きくないアラームの音でスッと目覚めることができたのだ。

一人ですんなり起きることができてよかった!やればできるじゃん私♪と自信をつけて終われば良いのだが、生粋の卑屈な小心者である私はそうではなかった。
これは…日頃は、完全に緊張感なく、絶対に起こしてくれる母の存在に甘えきっているということなのかもしれない。
今日はいつもと違う緊張感があったから起きられたけど、これが続けばたぶん日常に近くなるから、もって数日だろう…。
このまま大人になったら私はどうするんだろう…いつまでも母に頼るわけにはいかない…お母さんに電話で起こしてもらっています!なんていう会社員は聞いたことがない…これはまずい…小学生の私の脳内はそんな心配でいっぱいになった。

そして、どうすれば朝起きられるのかと母に相談をした。おそらく深刻さいっぱいの顔をして。
すると母は、大人になれば自然に目が覚めるようになるから、そんなこと心配しなくても大丈夫だと豪快に笑った。
本当に?…こんな私が?と思いながらも、母が言うのだから間違いないだろうと、その後も変わらず叩き起こしてもらう日が続いた。

40歳となり、もうすっかりいい大人となった今、おかげさまで人の力を借りることなく自分で起きている。…数個のアラームをかけてはいるが、きちんと自分で起きている。
誰も起こしてくれないという緊張感を、毎日うっすらまとっているからかもしれないが、自力で起きられるようになって何よりだ。

しかし、母から聞いていた話と違う点がある。
母だけでなく、今日まで色んな大人から聞かされてきた「大人になったら嫌でも朝早く目が覚めるようになる」「むしろ長くは寝られない」「トイレに行きたくて夜中に目が覚めてからしばらく寝付けない」…。
今のところ一つも当てはまらないのだ。
トイレに行きたくて目が覚めたことなんて一度もないし、翌日が休みの場合は平気で何時間でも眠り続ける、朝早くに自然と目が覚めるなんて信じられないのだ。

朝早起きして読書をしたりゆったりと時間を過ごす、朝の時間が充実すると生活がより有意義なものとなる…朝活なんていう言葉を耳にするようになって久しいが、どうにも私にはこの先も一生縁のないもののように思えてならない。
未だに、一分でも長く眠っていたい、まだ寝られる、もったいない!と思う毎日だ。
すっと目覚め朝日を浴び、白湯なんか飲んでゆったりと充実した時間を過ごす…どう考えても健康的だし、良いことしかないのだと簡単に想像できる。なんて眩しいライフスタイルなのだろう…そして、私にとってはもはや完全なるフィクションだ。縁遠すぎて、映画のワンシーンくらいの感覚でしかない。

いい大人となり、人それぞれ、人には向き不向きがあることをすでに知っている。それでもやってみたい!という情熱があれば、挑戦すれば良い、むしろ挑戦すべきだと思う。
今のところ、私の中で朝の充実を味わうことへの情熱は皆無だ。私は何より眠りを優先させることで、余計なことを考えてしまう脳を休ませ、せめて機嫌よく穏やかに日々を過ごせるように備える、ちっとも眩しくはないがそんな生活で十分だと感じている。

もし、今後歳を重ね、明け方自然と目覚めるようになる日が来たら、その時はたとえ80歳だろうが90歳だろうが、眩しいライフスタイルを堪能してやろうと思っている。

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