恩田陸と煙草

恩田陸の小説を、かれこれもう十年以上読んでいる。学生時代、とくに中学高校では図書室で借りてよく読んだ。すべての著作とはいわないが、タイトルはほぼ知っているし、七割くらいは読んだことがあると思う。

学生時代にたくさん読んだ作家だから、手元に持っているのは文庫本ばかりで、それも中古で買ったものが半分以上。最近また読みたくなって、『ブラック・ベルベット』の文庫本を中古で買った。

うちに帰ってその本をひらくと、染みついた煙草のにおいがした。あ、と思い出すことがあった。そういえば、『黄昏の百合の骨』の文庫本も、このにおいがしたような。それだけじゃない――私が手に取る中古の文庫本で煙草のにおいが染みついているのは、高確率で恩田陸なんじゃないか。これは数年越しの発見だ。

プルースト現象、という言葉を、私は中学生のころに知った。辻村深月の『名前探しの放課後』に出ていたからだ。マルセル・プルーストの大長編『失われた時を求めて』で、ミルクティーのにおいで過去を思い出すことから名前がついた。

私が『黄昏の百合の骨』の文庫本を買って読んだのは、少なくとも十年近く前だ。物自体は実家にあって、もう何年も触れていない。ここ数年は思い出すこともなかった。その本の存在を、本をパラパラしたときのにおいひとつで思い出すのだから、プルースト現象というのはどうやら本当に経験できるものらしい。確かほかにも、『黒と茶の幻想』の上下巻のどっちかは煙草のにおいがした気がする。あとは『ブラック・ベルベット』のシリーズの前々作にあたる『MAZE』か、あるいは『象と耳鳴り』あたりか。高校生くらいのころは、煙草を吸うような大人が読むようなものを自分が読んでおもしろいと思えることが不思議だったけれど、自分も読書の楽しみを覚えた証拠のような気もしてどこか嬉しかったのを覚えている。

恩田陸の作品には、喫煙者が出てくる印象がわりとある。デビュー作の『六番目の小夜子』や同じく初期の『ネバーランド』なんかだと、高校生の男の子が吸っていたような。そのほか、学園ものの『麦の海に沈む果実』なんかも煙草のにおいはよく似合う(前述の『黄昏の百合の骨』『黒と茶の幻想』はどちらもこの本と同じシリーズ)。

思えば煙草のにおいの印象的なものはすべて、私のお気に入りと重なっていたりする。そもそも学生時代に文庫で購入しているもの自体、気に入ったものを手元に置くためでもあったから、確率として高くなるという背景はあるのだが、それを差し引いても、プルースト現象を起こすだけのご縁と魅力があるのは、恩田陸作品だけだ。学生時代を含んで現在にまたがる十年は、とても大きい。

読書に不慣れだった中学生の私に、読んでいる途中がおもしろくて楽しい、という感覚を教えてくれたのは、『ネバーランド』であり『麦の海に沈む果実』だった。図書室の貸し出し本だったそれらから煙草のにおいは当然しなかったけれども、その後何年もかけて少しずつ増えていった中古の文庫本の中に時たま現れた煙草のにおいは、私の意識の深いところで読書の原体験とも呼ぶべき経験と結びついていたのかもしれない。

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