クアラルン・プール
タイトルに違和感を抱いたあなたは正解だ。
正しくは「クアラ・ルンプール」である。
日本語は英語やフランス語と違って単語ごとに間を空けないので言葉をどこで切るのか分かりづらい。
特に外来語をカタカナで表す時にそれは顕著だ。
これを思い出したのは今日「パッチリセット」という文字列を見かけたからだ。
正しい意味は「パッチ・リセット」。設定が記憶された「パッチ」を「リセット」するだけである。
しかしこれを一瞥した時、頭の中では「ぱっちりセット」という言葉が浮かんだ。イメージとしてはアイプチ的な、目をぱっちり見せるセットの方法である。
である、と言ったが多分そんなものはない。少なくとも僕が見たようにメモ用紙に書かれて貼られるような言葉ではない。
勝手に切れ目を間違えて、勝手に変換していただけだ。
そんな切れ目が分からなくならないように我々は漢字を使ったりする。明治時代、戦後、何度か日本語は漢字廃止の危機に陥っているが、幸いなことに今日までこうして残っている。
しかしこれが口語だとそうはいかない。代表的なものは小学生が好きな「ぱんつくったことある?」だろう。これで「あるよ」などと言った日には「え〜お前パンツ食ったことあんのかよ〜!」と騒がれてしまう。
少し逸れるが、そういえばこの質問に「ない」と答えたら何がいけないのか思い出せない。パンを作った事のある人はそんなにいるものなのか?少なくとも僕は自分でちゃんとしたパンを焼いたことはない。
おそらくそんな深く考える質問でもないのだろうが、「パンを作った事がない」のはそんなに不名誉な事だったのか、思い出せない。
そう考えると先ほど外来語、と書いたがなんとなく落語にもありそうである。
もしくはアンジャッシュや、小林賢太郎のネタにも出てきそうな「言葉遊び」だ。
本来であれば齟齬が生まれないようにするが、ネタとして昇華できるなら面白い。
「一番好み」が「千葉コロミ」に聞こえるような人もいるみたいだが。
しかしどこまでいってもドンキホーテはドン・キホーテだし、プエルトリコはプエルト・リコだ。
おしまいに、オチの代わりの謎かけを一つ。
書きかけのnoteとかけまして、ガラスの床とときます。
その心はどちらも「したがきになる」でしょう。
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