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「俺」と、「僕」と、「自分」と「私」

男子あるある言います。
「友達に俺って言い始める時期と母親に俺って言い始める時期、ちょっとラグがある」

一人称って難しい。でも、それが日本語の豊かさだったりもする。noteでも文体によって変えてたりする。カッコつけて私とか書いてますけども。
なんとなくだけどタイトルの序列は使用頻度で考えてたり。多分「俺」が一番多い。他にもふざけて「拙者」とか言うかもしれないけどほとんどないのでノーカン。「おいら」「小生」も使わないかな。

君の名はって映画があってね、といってももはや紹介する必要すらないと思うけど。入れ替わった三葉が瀧くん(名前ちゃんと覚えてない、あってるかしら)の友達と話すときに一人称に迷うシーンがあったのよね。「私?」「僕?」「俺?」みたいになるんだけどそれが英語字幕だと全部 "I" になっちゃってウケるね、ってツイッターで見た気がするよ。

ところで僕は敬語が苦手だ。別にタメ語がでちゃうとか、ちゃんとした敬語が喋れないとかそう言う意味ではなくて、苦手。(まあちゃんとは喋れてないと思うんですが(そういえばなぜか「ですけど」はだめだって上級生に言われてたな、結局よく分からなかったですけど))
なんとなく壁がある感じがして、はっちゃけられない。別に自分が敬語を使われる分には全然かまわないんだけど、ていうか自分なんて人に敬語を使ってもらえるような人間じゃないと思ってるから正直なんだっていいんだけど。(でも初対面でいきなりタメ語でこられると一瞬でATフィールド展開しちゃうんだよね、わがままだよね。あと敬語でも店員だったり客だったりが上から目線だったりするともう完全にダメ、まあそれはその人が悪いのかもしれないけど)
とにかく自分が敬語を喋ってる時の人格はまた別な気がしてしまうくらい、なんていうか難しいと思っていたりする。
逆に、タメ語で喋り始めるとちょっと喋りすぎちゃったりして困ったりもする。どっちつかずでごめんなさいネ。

エビデンスはないんだけど、(ってかエビデンスってウケるな、海老じゃん。あと不用意に横文字使うのあんまり好きじゃないよ、根拠って言いなよ)
根拠はないんだけど、話す言語とかによって人格って影響されちゃったりするのでは?と思ったりします。例えばだけど英語で喋ったりする時って黙ったら負けな感じがするからとにかくテキトーでもいっぱい喋ろうとしちゃうけど日本語だと間を考えたりとか、ネ。
そういえば木村先生もスペイン語で話すときは別人格が出るって言ってたな、(てかスペイン語話せるの普通にいかついよな)やっぱり影響はあるのかもしれない。
僕は方言がないから分からないけど前に地元に帰ると方言が出て人格変わるみたいなことを熱弁されたことあったっけ、結局よく分からずじまいだったけども。

そういえば日本人は人格の捉え方が西洋と違うね、みたいな話をされたこともあった。なんか泥酔してる時とか、めちゃくちゃ真面目な時とかあるけど全部ひっくるめて自分だよねみたいな考え方って西洋にはあんまなかったりするって話。だから二重人格!とか言って怖い話にするらしいけど日本人てあんまりないかもね、みたいな。(とりあえず書いてみたけどちょっとよく覚えてなかった、見切り発車もいいところ。)

なんの話だったっけ。
そう、敬語。敬語で喋ってる時って大体目上の人に話す時だからどうしても緊張してるのかもしれない。ってか多分自分は年上と話すの苦手なんだと思う。だって長男だもん。まあ長男だからそんなことも我慢できるんですけど。もちろん年上全員じゃないケドね。でも難しいノヨ。めちゃくちゃ話変わるけどなんか弟いるって言うと「一人っ子だと思ってた」って言われるのよく分からないのよね。なんでかしら。

じゃあ敬語なんてなけりゃいい!って思うかっていうと、これがまた別にそうでもないんだな。
さっきも言ったけど日本語の表現の一種として考えると別に一人称がこれだけあるんだから話し方がいっぱいあったっていいじゃない、と思うし。
母国語の表現の豊かさを味わえるのは嬉しいよネ。(こうやってカタカナを入れられたりするのも日本語の好きなところ。かわいいヨネ)(あと、こないだネットで「人は自分の母国語は他の言語に比べて難しいと思いたがる」って記事を読んだよ。日本語って難しいって思ってるけど、どうなのかしらね。ちなみに喋るのは比較的簡単だと考えられてるらしいよ。読み書きが鬼レベルみたい)

大体、文字が三種類もある時点でウケる。バカじゃん。(これを「馬鹿」と書くのか「ばか」と書くのかでも印象が変わっちゃうってすごい)アルファベットとか26個覚えたら書けちゃうんだもんね、大文字入れても倍でしょ?それでようやく50音みたいなもんじゃん。
まあ困ることもあるけどね、知らない土地の名前とか読めって言われても知らないし。「雑司ヶ谷」とか初見じゃ無理でしょ。
でも漢字にもなんか雰囲気があっていいよね。いろんな感じがある。漢字だけにね。(これはダメでしょ。)
例えば「戦い」って書くのと「闘い」って書くのだとちょっと違う気がするよね、うまくは説明出来ないんだけど。

あとはものの数え方も好き。日本語学習者からしたら地獄だろうけど。
「つ」「個」「枚」「本」「頭」...
たくさんあって楽しい。「匹」と「頭」の違いとかあんま分かってないけどね、でもせっかくだからちゃんと数えたいなと思ってるよ。
便利なのは究極「個」ってつけとけば何とかなるところだよね、万能カード。うそ、カードは「枚」の方がいいな。

ってか多分ちゃんと決まってないけど「個」「本」「枚」あたりの使い分けが無意識にみんなできるのすごいよね、暗黙の了解って言うか。しばらく考えたけどあんまりいい例が浮かばないので、次。

でも、ちょっと前に調べたら日本語の語彙は特別多いって訳でもないらしい。一番は英語だってさ。今は使われてない古い単語とかも入ってるらしいけどめちゃくちゃあるっぽい。まあゲルマン語とラテン語のごちゃ混ぜみたいな感じっぽいしね、そりゃ多くもなりますわ。まあ語彙が多けりゃいいってもんじゃないけどね。豚は「pig」で豚肉は「pork」。何じゃそりゃ。日本語なんで後ろに「肉」つけりゃ何でも食べれるのにね。
あとやっぱり漢字っていいよね、文字に意味があるから。「insomnia」って見ても全然予想つかないけど「不眠症」って見たら「ああ、「症」ってついてるし「不眠」なんだから眠れない病気なんだな」くらいまで分かっちゃう訳じゃん?便利よね。
ただまあ、「辛い」と「辛い」が一緒なのとかは不便だったりするけどね。文脈を読めってことかな。(ちなみに最初が「つらい」で次が「からい」のつもりで書いてます。)

そんな感じで何となく日本語っていいよね、みたいなことを書き連ねてきた訳ですけども。
せっかくなので最後に日本語ならではの言葉遊びを一つ。

「この文章」とかけまして、「遠足の前の日」とときます。
その心はどちらも、

「オチつかない」でしょう。

では、お後が宜しいようで...

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