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本当の京都と完全な自由

「京都行きたいなー」が口癖だ。「沖縄行きたいなー」「北海道行きたいなー」も同じように口癖になっている。その割には滅多に旅行にも行かずに過ごしているが、話を合わせるためとかではなく本心からそう言っている。

最後に京都に行ったのは多分4年前の冬だ。2月の終わりの都は寒く、凍える思いをした記憶がある。博多に行った卒業旅行の帰りだった。最終日に皆と別れたあと僕は一人で博多に住む友達に会いに行ったのだ。
「行きはよいよい帰りは怖い」
初日、博多に午後集合だった我々は各々の交通手段で現地に向かった。飛行機、新幹線、僕のように青春18きっぷを選んだのは僕を含めて5人だけだった。

往路は良かったのだ。5人もいれば寝過ごすこともないし、暇もしない。あれこれと話しながら長旅を楽しんだ。
問題は帰りだった。皆より一泊多く博多に滞在したせいで、他の仲間はもう先に東京へ向かう列車に揺られていた。
まだ暗い博多駅から始発に乗って、ただただ一人で電車に揺られた。

小倉、関門海峡、岡山、広島、神戸…。おそらく、殆ど夢の中だったのだろう。ほぼ記憶がない。とにかく、夜には京都に着いていた。
することも行くあてもなく、ぶらぶらと歩いた。「京都で学生をやっていたら、こんな感じだったのだろうか」と当時読んでいた本の舞台が京都であった事を思い出しながら繁華街を一人歩く。仲間もいないが、敵もいない。誰にも遠慮する必要もない。どこに泊まるか、何を食べるか、完全な自由がそこにあった。

そんな記憶が、未だにこびりついている。別に神格化しているわけではない。ただ、あの明け方に見た鴨川は忘れがたく脳裏にうつる。

「京都行きたいんだよねー」というのは本心だ。友人は「もう少し前に行けば良かったね」と言った。それを聞いて思い出した。

そういえば、流行り病の始めの頃、京都は観光客が減って人が少なくなったと聞いた。「本当の京都が見れる」と誰かが言っていた。たしかに、この数年間の間に、せっかくだから一度くらい行ってもよかったなと思ったりする。

しかし、「本当の京都」とは如何に。街を歩けばどこもかしこも観光客に向けた雰囲気で、人が溢れている、それこそが本当の京都なのではないか。
そもそも、どこかに本当の姿というものがあるのか。
万物は流転していて、1秒たりとも同じ瞬間などない。観光客だと見下された時も、予想以上に手厚くもてなされた時も、土地勘もないのに道を聞かれた時も、全部本当で全部嘘だ。

きっと、僕には僕の京都があって、それこそが本当だ。明け方の京都タワーも、朝日を反射する鴨川も、洛外の朝マックも全部ひっくるめて僕の京都だ。

近いうちに旅に出たい。完全な自由を得る日々を、あと何回あるか分からないその瞬間を味わいに行きたい。

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