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留学中にウクライナの子と出会った話②

この記事で私が去年の留学先でウクライナ避難民の子と出会った話、その子の言葉を動画にした経緯を書いたんやけど、

その”動画”がやっと完成した。


彼女の言葉で私が一番印象深いのは、
”I wasn't afraid of me. Ok, I'll die. That’s it.
But, my friends, people who are so close to me and who I love,
I can't imagine my life without them. I was so afraid of this.”

彼女は自分が死ぬことよりも、大切な人を亡くして生きる未来の方が不安だった。彼女の言葉とその現実が、切なくてたまらなかった。

実を言うと撮影から投稿まで一年の月日を費やしてしまっている。(長すぎて本当に申し訳ない。)この一年、戦争が終わる前に早く編集を終えないと彼女の言葉の重みが失われる焦りがずっとあったんだけど、その焦りが無駄だったのかというほど、戦争の終わる兆しは見えず、世界では新しい軍事衝突も始まり、彼女がウクライナに戻って家族や友人と再会できないどころか、彼女と同じ境遇の子たちが増えてしまった。

”If i speak people from Ukraine, sharing the thought i have is kind of that I have a guilty of who escaped, the guilty of being safe."

彼女はウクライナに残る家族や友人と話すと、ウクライナから逃げた罪、安全なところにいる罪を感じるという。同い年の彼女が、なぜ平和に生きることを罪深く思わないといけないのか。平和が当たり前の世界にいた私は、違う世界を知った。

彼女は私の作った動画に、こんなコメントを残した。
”Now my English is better. I have graduated   and started working here. My life has changed a lot, but there's still something that never change. It is what I feel about the people in Ukraine, about my city. And I'm ready to do as much as I can for them."

ウクライナ侵攻から2年近くが経ち、彼女もウクライナから身を移してから1年半以上が経とうとしている。"escape”した者として、自分の故郷に、故郷にいる人に、出来る限りのことをしたいと言う。

誰かのために、自分の大切なもののために生きる同い年の彼女が、強くて、かっこよかった。

誰かのために生きるって、結婚とか子育てにはあるあるの話かもしれないけど、
それとはまた違う。

歌手がチャリティーコンサートしたり、
映画監督が映画を通じてメッセージを伝えたり、
そういう、自分の強みを誰かのために使う、
誰かのために役立てるのって、
凄く素敵な生き方だなぁと。
そう生きたいなぁと。

彼女との出会いは、私を大きく変えてくれた。
何もできない自分が悔しくて、
自分は何ができるのか沢山悩み、努力した。
強く生きる彼女を見て自分も頑張ろうと思えたし、
今ある何気ない日常にも感謝した。

忘れない一期一会になった。ありがとう。


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