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はじめまして、京極佐和野(きょんさん)です。

文章というより・・・ですが、自己紹介まとめてみました。
生まれて60数年になりますので、昭和チック?な内容になります。
今後もお見知りおきください。
生涯現役が目標!
時代の流れを受け止められずに悩むミドルやシニア世代のお役に立ちたいと切に願い、NOTEを書くことにしました。

大阪市東成区出身 1958年生まれ
学校卒業後、男性化粧品会社のマーケティング本部に所属し、新商品や商品リニューアルに携わる。結婚を機に退社し、東京郊外で専業主婦として8年間過ごす。夫の借金が原因で、右も左もわからない福岡の地に引っ越し、どん底の中で損保代理店の研修生としてスタート。

就職は、したいこと・できることより収入が優先
保険の営業は、7歳5歳3歳の3人の子育てと経済的に問題を抱える私にはとても都合がよかった。参観日や病気などで私が付き添わないといけないことが多いため、比較的時間の都合がつけやすい営業職はありがたかった。また、経済的にも、保険業界は他業種に比べて給与がよく助かった。

今の時代を逆行するようだが、自分の価値観や得意なことで職業を選択するというよりは、家族の生活を考え、収入や勤務時間を優先して職業を選んだ。

損害保険は1年更新だから、友人知人ができると契約が増えていくと聞き、自分もできるかなと安易に考えていた。しかし、私は自分が思っていた以上に引っ込み思案で人見知りだった。見ず知らずの土地でPTAにも参加するが友人知人がなかなかできなかった。

まさかの27か月研修
当然、営業成績が振るわず困ったが、入社当初は営業と同時に保険の知識を身につけることがたくさんあり、知識を得ることに喜びを感じた。その知識をお客様のニーズに合わせて提供する営業スタイル、いわゆるコンサルタント営業を展開。どうしたらあってもらえるかを考え、地場にエリアを絞って見積もりをもって直接訪問。土日も返上で回った結果、火災保険部門では、研修生でトップの成績を収め27か月の研修を修了することができた。

FP資格を取得で紹介が増える
やっと保険代理店として独立したもののオールコミッションの経営は厳しく、売り上げと生活が安定するまでに時間がかかった。さらに、保険の自由化で生命保険と損害保険の垣根がなくなり、円形脱毛症を発症するまで精神的に追い込まれた。
しかし、なんとか仕事を続けたい一心で、ファイナンシャル・プランナー(FP)資格を取得する。
当時の営業スタイルは、ご自宅に訪問して契約をすることがほとんどだったので、自動車や火災保険の話だけでなく、ご家族の教育費やお仕事、家計の話になることが多く、様々なお客様の経験や価値観に触れることができた。
その経験を活かせる資格がFPだった。
家計の全般をアドバイスできればお客様にもっと喜ばれ、私の収入も増えると考えたからだ。
インターネットが普及していない時代だったので、情報は自分で調べるしかない。当然お客様の金融に関する知識は低く、保険でいえば会社や知り合いのつきあいから誘われるままに契約し、総合的に考えることもなく何に加入しているか把握している人も少なかった。
どんな保険に加入しているか、解説するだけで喜ばれた。また、保険を一冊のファイルにまとめてあげることを思いつき実践。保険に詳しい、親切ていねいと重宝がられて紹介が増えた。

ところが紹介に陰りが・・・
残念ことに自分にとっていい時代は続かない。インターネットが盛んになり同じようなことができる人が増え、保険の単価は下がり競争は激化。対抗するために代理店経営から43社保険会社を扱う総合代理店に活躍の場を移し、幅広い知識と保険商品で収益は増えると思った。しかし、保険業界の激戦は価格だけでなく、保険の内容にも及ぶ。内容が微妙に違ったり付加できる特約の種類が違ったりするので、お客様に誠実であろうとすればするほど悩みが深くなり疲弊した。

FPとして独立を目指す
そんな時、TVやネットの世界でもFPの活躍が目立つようになり、子どもが全員独立する50代からファイナンシャル・プランナーとして活動すると決め、5年がかり上級資格であり国際ライセンスのCFP🄬を取得した。
もともと人の話に耳を傾けることが苦にならず、悩みや問題には必ず背景となる出来事があると信じ、聴くことでどうしたらそれを解決できるかお客様と考えるのが得意だった。
「100人いれば100通りの人生ストーリーがある」と考え、自分らしい生き方や価値観を見つけて、一歩を踏み出してもらう。これが、これまでの経験からの私の理念だ。

そして60歳を機に保険業界を引退し、FP事務所を開所した
正直、保険業界を去るには勇気がいった。25年間お付き合いただいたお客様、ご紹介をたくさんいただいたお客様、私が落ち込んでいるとき励ましてくれたお客様、保険と言う仕事には未練はなかったが、お客様との別れがつらかった。まったく営業経験や知識がないところから、まさか25年続けられるとは思ってもみなかった。人の話を聴くのが好き、目標に向かって頑張る人に寄り添いたいと自分のしたかった仕事をお客様との対面の中で気づくことができた。貴重な25年間だった。

保険や金融商品を扱わないFP誕生!
もちろんFP業務を行う傍ら保険や金融商品を販売することはできたが、敢えてしなかった。
その大きな理由は、遺言を書いた自身の経験からだ。60歳の時に顔面けいれんがわかり、開頭手術をした。術前の説明を聞き、怖かった。半身不随になるかも、耳が聞こえなくなるかも、最悪目を覚まさないかもなんていろいろ想像した。最後に遺言を書いて手術に臨んだ。人間いつ死ぬかわからない。元気で仕事できる時間も限られている。ならば最後ぐらい自分の思う通りやってみたい。
その思いがふつふつと湧いてきた。

確たる自信はなかった、しかし・・・
保険や金融商品を販売するという行為とお客様のライフプランに寄り添う行為がうまくバランスがとれない利益相反に触れない自信がなかったという方が正しいかもしれない。
また、FPと名乗る人がほとんどそういった保険や金融商品販売をメーンとして経営を成り立たせていることにも抵抗があった。とにかくお客様にとって最良のアドバイスができる自分になりたかった。

コンサルタントの商品は、私!
しかし、現実に「販売する商品が全くない」というのは経営が厳しい。
ホームページをつくっても問い合わせがほとんどこない。セミナーをしても集まらない。
厳しい状態が続く。そんな中、時間だけがたっぷりあったのでWEBでの執筆にチャレンジしたところ、多くのアクセスをいただき、その月の優秀賞に選ばれた。ひょっとしたら、こんな私でもできるのかなと思った。投稿しながら細々FP事務所をつづける。

キャリアコンサルタントとのW資格
FPの勉強会などに参加するうち、先輩FPからの紹介でFP資格講師に携わるようになる。そして求職支援機関に出向く中でキャリアコンサルタントの資格を知り、興味を抱く。
同時期に「人生100年時代の人生戦略(ライフシフト)」を読み、豊かな人生には、お金の知識はもとより仕事や働き方を通して価値観や生き方など、自分自身を知り、活かすことが大事になると確信をもつ。キャリアの捉え方や心理学や発達理論などを学び、キャリコンサルタント資格をとりキャリアコンサルタントになる。

仕事の幅が広がる
おかげで、大好きなライフプランのコンサルティングに幅ができた。お金の相談に来られても、仕事の話題ができるようになり話を深掘りできるようになった。キャリアの相談でも社会保険などの制度についても触れることができ喜ばれる。FP資格のみの時は1時間半のセミナー講師しか依頼が来なかったが、6時間2日連続研修の依頼が来るなど、講師の幅も広がった。

新しいことにチャレンジするのが大好き!
私をよく知る講師仲間は、「よくそれだけ次から次へとアイデアが生まれ、新しいことにチャレンジできるね」と言われるが、決してそうではない。時代の流れとお客様に沿ったアドバイスをしたい。「人生の好循環を生み出して、喜んでもらいたい」それだけをいつも考えている。カスタマイズできることが自慢。

生涯現役といきたいが、どうだろうか?
最低目標は72歳だ!

現在は、事務所やZOOMでのファイナンシャル・プランニング、キャリア(主にジョブカード作成)相談業務の傍ら、シニア向けのライフプラン研修や資産運用セミナーなどの講師、マネーに関するコラムを提供している。
プライベートでは、孫と時々お出かけし、サイクリングするのが楽しい。おかげさまで、元気に日々を過ごしている。感謝。


保有資格

  • CFP®(※CERTIFIED FINANCIAL PLANNER®、サーティファイド ファイナンシャル プランナー® 日本FP協会会員)

  • 1級ファイナンシャルプランニング技能士(資産設計提案業務)(厚生労働省認定)

  • 国家資格 キャリアコンサルタント

  • CDA (特定非営利活動法人日本キャリア開発協会認定)

  • 金融教育支援員(一般財団法人 ゆうちょ財団認定)

  • 2種証券外務員(日本証券業協会)

  • ラジオ体操指導員(全国ラジオ体操連盟認定)

  • スカラシップアドバイザー(日本学生支援機構認定、平成29年~現在)

  • 企業講師.com 認定講師(ガイアモーレ株式会社


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