白日の僕。の夢と願い

これは僕の失敗であり、黒歴史である。


中学時代の僕は自分自身に酔っていた。

成績は優秀、スポーツは万能、あらゆる賞を総なめ

学校の先生からの圧倒的な信頼。

中学生の生活の中で自分が欲しいと思うものは

なんでも自分の力で手に入れることができていた。


そんな中学校生活があと1年を切った中学3年生の5月、

僕はクラスで選ばれた自分のクラス旗を

製作しながら、ふと、思った

「こんなに自分の思い通りに何もかもが動いてしまうならば、このなんでも思い通りに行く理想の自分のままで死んでしまいたい。」


「あ。今が1番の死に時か。」


それから死ぬということを行動に移すことは無かったが

きっとこれからの人生は落ちていくだけかもしれない

そう悟ったタイミングだったのかもしれない。



6月。部活を引退した僕を待っていたのは受験勉強だった。

今まで土日ともに部活に時間を割いていた分がすべて勉強に

割かねばならないという事実が僕には耐えられなかった。

僕は成績が良かったが勉強をしなければいけないという環境において

勉強を全く持ってやりたいという気持ちになれる人間ではなかった。

そんな僕であったが周りの人には自分が理想とする完璧な人間を

演じていたため、周囲は僕がきっと有名な高校に入るということを

期待していたように感じた。

それは、母親も同じであった。

母の僕への願いは有名大学、一流企業、安定した収入。

当時の僕は片親で今まで育ててくれた母親を安心させたいという気持ちが

強く、絶対に母が望む未来を見してあげたいと健気に将来を考えていた。

しかし、僕は勉強が好きであるものの、

金銭的に余裕があるのであれば芸術系の高校、大学へと進学したいと

心の底から思っていた。

そうした僕の心に飼われていた思いは徐々に化けの皮を剥がし

今まで僕が築いてきた僕のイメージを一気に壊し始めた。


受験が近づくにつれて勉強に向き合えなくなり

アニメ、漫画、本、イラストへと逃げた。

そうした僕の様子を見た母は気をおかしくし、

僕を朝から晩まで罵倒するようになった。

やりたくない勉強、母からの罵倒。

辛くても、僕が笑えばきっと楽しい未来が来る。

そう信じて僕は毎日笑顔で、楽しく学校、塾で生活するように

心掛けていた。


11月に入ったころ。今後の僕の人生を左右する事件が起きた。

塾の3者面談。

僕は自分で言うのもあれだが、人当たりがよく

基本的に3者面談などで変なことを言われたりするような

子どもではなかった。

ところが、その時の3者面談は何かがおかしかった。

面談が始まるなり、

担当の講師が僕の人格を否定する話をし、

今のままでは希望の高校は到底難しいばかりか、

大学に入ることもままならないだろう

そう講師は少し笑いながら言った。

僕はその講師の話を受け、気がたるんでいる僕に向けて喝を

入れたかったんだと思った。


そう思ったのは僕だけだった。


母は家に帰るなり、

突然、泣き始め、

僕を今までよりもひどく罵倒し、

何もできないろくでなし人間だと狂いだした。

その狂いは僕が高校を卒業して母の目の前からいなくなるまで

永遠と続くことになる。


始めは母の狂いに、ポジティブな受け答えをして

元気になってもらえるように誠心誠意で接した。

けれど、思春期の子どもの心は脆く

母が言った。

「あんたは周りを盛り上げるために楽しく

 冗談を言って周りが笑ってたとしても

 あんたは人を不快にすることもたくさんいってんだよ。」

その言葉が僕の心を貫いてしまった。


それ以降、僕は今まで通り人前ではみんなが笑顔になるように

ふるまい続けるも

みんな、本当は心の中で僕を嫌っているのかもしれない

家に帰り恐怖を感じ、1人で泣いた。

狭い家の中、母と二人、

泣き声が聞こえると怒鳴る母に聞こえないよう

息をひそめて泣いた。


そんな精神状態であっても僕は人当たりがとてもよく

人前に出ると取り繕う天才であったので

中学校を学校表彰されて卒業し、

今まで積み重ねてきた成績で何とかは入れた

進学校というカテゴリーの高校に通うことになった。


高校では今までとは違う自分になりたいと思い、

勉強から遠ざかる方法を探した。

しかし、進学したのが進学校当カテゴリーの進学コースということで

勉強から逃げられない状況を自分から作ってしまっていた。

案の定、高校3年間、勉強することの意味が見いだせず

定期テスト勉強を一切することなく卒業することになった。


もちろん高校でギリギリの成績をとり続ける僕に母は永遠と罵声を続けた。


高校3年間は僕の暗黒時代だった。

高校1年生、高校2年生。クラスになじめない、友達、居場所ともに無。

教室。周りが友達と一緒にご飯を食べる中でのボッチ飯。

成績はギリギリ、卒業できるかできないかの狭間。

本当に辛かった。


高校3年生。とうとう僕はすべてに耐えきれなくなった。

家が嫌いだから学校には行くが、精神が不安定な上に胃が痛くて

保健室にいることしかできない。

成績の悪い僕であったとしても、一人ぼっちだったとしても

暗い人には思われたくない、せめて人前では笑おう。

そんな信念があったから、

誰にも相談できない。

ずっと誰にも自分の苦しみを話したことは無かった。

取り繕った自分を見せることが自分の中の美であり

本当の自分を人に見せることが悪であると思っていた。


でも、あの時はもう。自分以外何も見れない。

もう何もしたくない。追い込まれていた。

放課後、部活の友達と話をしているときに

自分の辛いことを気づいたら話していた。

話してしまったとき、今まで友達の前で笑っていた僕は

友達にとってピエロの様に見えるんだろうな。

僕以外にも辛い人は居るのに何自分に酔ってるんだって

思われたんではないかと思った。


友達は僕を全力で僕を肯定した。

僕はそれから友達を頼りにするようになった。


それから、高校卒業して家を出るまで

母とは一度も分かり合えなかったし、

苦しくてつらい日々の連続だったが

友達に相談し、友達が心のよりどころになったことで

僕は約3年ぶりくらいに心の底から笑えたような気がした。



僕にとっての失敗は友達に自分の辛さや弱音を吐くことができなかった

友達に気を許すことができなかったことにある。

実際にクラスにも友達と呼べるような人は居なかった。

僕はこの経験を通して、

自分一人では自分の苦しみを和らげることはできない。

そのことを学び、

友達の中でも、何もしない止まった時間を一緒に共有できる人

そんな人には自分をさらけ出したほうがいいと知った。



そういっても、僕もまだ人間不信が抜けず、人を信じることが

なかなかできない。

けれど、今、僕が信頼している友達は

くだらない僕を見ても、笑顔になって

一緒にいてくれる。

僕は彼らに支えられて今、笑顔でいられると思う。


僕は今年で大学を卒業し就職する予定だ。

大学では芸術と関係ないことを学んだ。就職先も同様である。

中学生のときは経済面で諦めた芸術。

今度は1から100まで芸術の仕事ができるように自分で計画を立てる

僕はそんな夢を今、描いている。

僕の描く夢は、友達がいなかったら描けなかった夢だろう。


もしも、高校時代に友達の存在に気づけなかったら

死んでいたんじゃないか。

最悪のことを考えてしまうことがある。

だから、今、辛いこと、しんどいことがある人に

友達じゃなくてもいい。誰か信頼できる人に

自分の弱さをさらけ出して、楽になってほしいと

切に願う。





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