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コヨアカンの思い出

 ホームステイ先の地域のコヨアカンは、中所得層や富裕層が住むところで、ごつごつした石畳が特徴的だった。段差があって歩きづらく、転ばないようにずっと下を見る必要があった。バリアフリーの観点から言うと全然高齢者やケガしてる人、病気もちの人には優しくないけど、見た目はかわいいし、愛着が湧く道だった。昔からそこに住んでいる人も多くて、毎日学校へ行くのに通る道の人たちは、私のことを覚えてくれて、“Hola!”と声をかけてくれたり、話しかけてくれたりした。話が終わらないおっちゃんもいて、毎回”今度パーティーに来ない?”とか誘ってこられると、だんだん気まずくなってきた。その道を通らなくなったりもしたけど、今となっては懐かしいし、おっちゃんたち元気かなあと思ったりする。

↓石畳の住宅街

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↓コヨアカンの中心地は、飲食店でにぎわう。

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↓中心に広場があって、その周りに飲食店が囲むように並ぶ。飲食店は高級なところもある

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↓住宅地はお花やコントラストのきいた家々が連なり、カラフル。

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↓中にはこういう怖~い廃墟も

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 家から徒歩30秒のところに教会があって、イベントも多かった。カトリックの花火のお祭りがあるときは、ゆでトウモロコシやメキシコ料理が食べられる屋台が出ていて、子どもから大人まで夜まで音楽に合わせて歌ったり踊ったりしていた。それも、当時は眠れないし最悪、と思っていたけど、静かで近所の人とのかかわりを感じにくい日本の生活からすると、恋しくなる。今は、メキシコでもそういうイベントなかなかできないのかもしれないけど、少なくとも爆音の音楽は流れていると思う。どっかしらで誕生日パーティーをして、人が騒いでいると、なんとなく寂しくない良さもあった。

↓ゆでトウモロコシの屋台(例)

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 家から歩いてよくカフェに行った。奨学金を節約するために、一日500円くらいを目標に生活していたから、カフェラテとパンとか、ケーキを食べるくらいがちょうどよかった。コヨアカンにはいろんなおしゃれなカフェがあって、行きたいところにGoogle Mapで全部マークして、今日はどこに行こうかと考えることにワクワクした。朝起きると、爆音で音楽をかけながら、メイクして気合を入れた。一人で長時間過ごしても放っておいてくれる広いカフェが好きだった。WiFiもあって。外からジロジロ見られたり、店員さんとの目線が合ったりするカフェは、次から行かなくなることが多かった。読書したり勉強したり、集中したいからだ。そうすると、WiFiあり、放置主義、警備員もいるスタバはとても安全で快適だった。日本のみたいに混んでおらず、ゆったりしていたなあ。特にコロナが流行ってからは、多国籍の人が集まるから、人目を気にしなくていいスタバによく通っていた。すごくお世話になった。家から歩いて15分くらいのところにあるなんて、便利だったなあ。他のカフェも、大体徒歩20分圏内にいろいろあった。

↓こじんまりしたカフェ

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↓近所のおしゃれなチェーンのカフェ。軽食もケーキもいろいろ。店内もきれいでかわいい。

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↓カフェの飲み物、食べ物の一例。生ハムパン、抹茶ラテ、メキシコ風オムレツ。ソースは豆ペースト。あんことは逆で、豆をおかずとして食べる。

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 コヨアカンはメキシコの伝統料理や工芸品、おみやげが売られる場所で、メキシコの地方から先住民系の人たちが国内移民として出稼ぎに来ていた。市場で何人かに、どこから来たのか尋ねると、南部のチアパスと答えていたと思う。他にもオアハカとかベラクルスとかから来ている人もいたのかもしれない。もっと会話すればよかった。チアパスは、日本でいうならば、東京から広島くらいまでの距離だから、かなり離れている。おばあちゃんもいたし、家族で商売している若い高校生くらいの女の子もいた。手作りの刺繡の入った、すごく手の込んだ布や服が2000円~3000円くらいで売られていると、安すぎる、と思ったものだ。中には、聞き取れない先住民言語を話す人もいたけど、先住民言語もチアパスだからこれ、とは限らなかった。民族によっても村によっても違ったりして、「私たちは○○語を話すよ」と教えてくれて、本当にいろいろなんだと思った。

↓市場の一つ

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↓道路で花を売るおじちゃん

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↓食べ物売り場はいつもにぎわう

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 市場のなかにも薬草売り場とかタトゥー・ピアスの屋台とかあって、いかついタトゥーをして、これでもかと言うほどピアスをつけてるお兄ちゃんたちが集まってると怖かったけど、基本優しかった。その、危険と隣り合わせのハラハラする感覚も懐かしい。合法なのか違法なのかの基準も曖昧で、でもみんなそれが当たり前で商売してる。それをよしと判断するのはこちら側の勘が頼りなのだ。友達がピアス選びのために長時間滞在しているのを見て、不安になって、「早く出よう」と言ったこともある。危険を察知するメーターみたいなのがすごく敏感になったと思う。

↓市場で売られてたアート

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 そういう野生の勘みたいなのを使うことが日本ではないから、のほほんとしてしまう悪さもある。メキシコにいた時は、男性ホルモンのテストステロンが多く出ていた気がする。強くないと襲われる、みたいな気持ちがあって、それってジャングルで野生動物に襲われないように五感を使うみたいな気持ちにも近いのかも。男性性と言われる部分も大事。前に進もうという自信を養え、自分でなんとかしようと思えるからだ。とはいえ、コロナが流行り始めた最後の方は、「何でもできる」と言う気持ちが「何にもできない」という気持ちに変わって、へなへなになった。外が怖くて、日本が恋しくなった。外はジャングル。チーターに遭遇したらおしまい。動物園の日本に帰りたい。刺激はないけど、安心しておいしいご飯にありつけて、快適な環境がある。そんな風に思っていたのかもしれない。


 今となっては、動物園に飽きてしまって、檻から抜け出したい気持ちが出てきた。でも、コロナが檻から抜け出すのを阻んでくる。修論や就活、向き合わなければならないことも山ほどある。いつ抜け出せるかわからないという不安が、ワクワク、ドキドキという気持ちを抑え込んでしまう。自分が作っている檻という幻想をうまく壊して、本当はジャングルに行くことはできるんだよ、と言い聞かせたい。

 私にはジャングルが必要なのだ。野生の五感を使いたいのだ。





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