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「無意識完ぺき主義」の私が見切り発車でnoteを始める

noteに登録して約1カ月がたった。
今、こうして、ようやく、”初めての記事”をカタカタと書き始めている。

1カ月も手つかずだった理由は
「どうせ書くならきちんとした内容を書かなくちゃ…」
「あれもこれも書きたいけど、まずはその前提がわかる内容から書かなくちゃ…」
「プロフィールとかきちんと作ってから書いた方がいいよね…」
「noteに連携できるSNSアカウントを作ってから書いた方がいいよね…」

など、たくさんある。
これらは「言い訳」だと言われるかもしれない。
たしかにある意味言い訳だと思うのだが、自分の中に
「どうせやるなら意味のあるもの・中身のあるものを書きたい」
「あわよくば、同じ悩みをもっている人などが共感できるような内容も発信できるようになりたい」
などという強い想いがあって、なかなか踏み出せなかったのだ。

これは、仕事でもそう。
「大きなイベントでプレゼンを任されたとき」
「転職1カ月後に、新人教育を任されたとき」など

いつも私は「期待されているであろうことの105~120%の結果」
を出すことができるように、準備や実践を全力で行ってきた。
どうせやるなら、「この人に任せてよかった」と心から
思ってもらえるような結果を残したいという思いが強かったからだ。

もちろん、責任のある仕事は「なかなか始められない」ことはなく
むしろ「始めたら終わることができない」の方が強い。

そういった「周りの期待に応えたい!!」という強い想いが
(周りが本当に期待してくれているかは、いったんおいておいて…)
無理に無理を重ねてしまい、2年前、心と身体を完全に壊してしまったのだが…。
(「絶対に潰れないね」と言われていた私が潰れた話はまた別の記事で…)

そして気づいた。
それまでは自分の長所だと思っていた「期待に応える力」は
「自分を極限まで追い込み、心と身体を削りまくっていた」という短所
でもあったのだ。


最近仲のいい友達にその話をすると「完ぺき主義やね!」と言われた。
基本的にすべてにおいてズボラな私は「完ぺき主義」とは程遠いと思っていた。
でも過去を振り返り、客観的に見てみると、たしかにこれはある種の完璧主義なのかもしれない。

自分でまったく気づいていない上に、自分を追い込み苦しめていた
「無意識完ぺき主義」だったのだ。

話がそれてしまったが…
「無意識完ぺき主義」の私が突然の思い付きにより、今日、見切り発車をする!
何か特別なことがあったり、誰かになにかを言われたりしたわけではない…

まあ、でも、よく、どこかの誰かが
「最初から完ぺきなんて不可能!」と言っているように
こうなったら勢いだけで見切り発車してみよう!
と、なぜかわからないけど、さっき、ふと思いたった。

きっと自分の中の完璧を求めていたら
1カ月後も1年後もnoteは白紙のままかもしれない…

「見知らぬ誰か」のために考えに考え抜いた文章の前に
「自分」のために、書きたいことを取りとめもなく書いてみるのもいいかも。
脱、自分を苦しめるバージョンの「無意識完ぺき主義」。

地図のない見切り発車ではあるが
自分が思ったこと、インプットして感じたこと
ここでは気にせずに書き綴っていこうと思う。
(ちなみに今日の記事は自己採点15点!笑)

いつか今日見切り発車してよかった~!
と思える日が来るように、たくさん学んでたくさん書くぞーーー!!!

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