見出し画像

アパートメント紀行(22)

ニース #2


 世界屈指のリゾート地で、二日間、ほぼベッドの上で過ごしていた。眠ったりテレビを観たり、料理をしたり。随分疲れが溜まっていたのか、眠っても眠っても眠り足りなかった。
 爽やかな、あまりの陽気に誘われて、海岸まで散歩してみることもあったけれど、直撃する太陽の眩しさにくらくらとして、早々に部屋へ戻りシーツの海へと潜り込んだ。

 ようやく体調が回復してきた三日目、ニースに来た目的の一つであるパニエ屋さんへ行くことにした。パニエは、英語ではバスケット。フランスへ来ると、迷わず買うのが大きなパニエで、こちらの人はよくフランスパンを入れて歩いている。
 日本にも売っているけれど、大きなサイズのものはなかなかなくて、それに小さなパニエでも高値だったりするので、フランスへ来る機会があれば買うことにしている。
 しかし飛行機代を考えると、日本で高値で買ってもいいんじゃないかといつも思うのだけれど、本来二、三千円のカゴを、一万円以上も払って買うことに妙に抵抗を感じてしまう。大きなパニエは、いつも荷物の多い私にとって便利な夏のバッグなのだ。

 ところで私は土地勘がいい方だ。一度訪れた街は、そんなに迷わずに歩くことが出来る。二日間たっぷり休養したので元気溌剌、バスにもトラムにも乗らず、海辺の遊歩道を歩いて、パニエ屋のある旧市街へと向かう。

画像2

画像24

画像24

 この遊歩道は、プロムナード・デザングレ。イギリス人の遊歩道という名がついている。十八世紀に避寒のため滞在していた裕福なイギリス人たちによって造られた道らしい。
 二ヶ月前、私が滞在していたイギリスのブライトンにはその昔、岩倉具視使節団が訪れて、伊藤博文を含む帰国した一行が、神奈川県の大磯を開発したといわれている。イギリス人の遊歩道を歩きながら、イギリス人は偉大だなあと尊敬する。コート・ダジュールも、大磯ロングビーチも、イギリス人が提唱した海辺の保養地の定義通り、いまやなくてならないリゾート地となっている。
 
 ニースの海岸は、砂ではなく小石で出来ている。それが残念という人もいるが、私はむしろ、靴が汚れなくて有り難いと思う。海岸で寝転ぶ水着姿の人たちを眺め、改めて気づく。
 ああ、なんとうつくしいビーチだろう。今更ながら、コート・ダジュールの、優雅で神がかっているほどのうつくしさに目を見張る。ここから望む地中海は、一点の曇りもない青。緑がかりもせず、灰色がかりもせず、見事なまでに純粋な青。
 二日間の休養で、視力も回復したようだ。心身が元気ではないと、うつくしい景色も目に入らない。さすがは海辺の保養地。

 紺碧海岸のうつくしさに、目が覚めるような気持ちになり、歩くほどにうきうきしてきた。真っ白いビーチパラソルが並ぶビーチを通り過ぎ、水色のパラソルと藍色のビーチチェアが並ぶビーチを通り過ぎ、白と藍色の渦巻き模様のビーチの下に同じ柄のビーチチェアが並ぶビーチを通り過ぎると、高級ホテルが立ち並ぶ遊歩道の中心地に到着する。

画像24

画像6

 ここから一本通りを中に入ると旧市街。古い建物がひしめき合い、人々が集う広場の周りにはカフェやレストランが立ち並び、バロック装飾の見事な礼拝堂の近くに、私のお目当てのパニエ屋はある。

 つい先週も来たかのような素振りで、店の外までカゴで溢れているパニエ屋へ入り、山盛りのカゴで足の踏み場もないような狭い店内から、ここ数年愛用しているカゴを探す。

 角砂糖を入れるような小さなカゴから、赤ちゃんが入りそうな大きなカゴまで、おおよそカゴと名のつく入れ物は全てありそうな店内で、見慣れたカゴを見つけ出し、いくつも重なった同じサイズの、だけど微妙に違う形のカゴをいくつか真剣に検討して、心にぴったりくるものを見つける。そのまま使いますと値札を取ってもらい、持っていたくたびれたショルダーバッグをカゴの中に入れ、見慣れているけど新品のカゴを肩にかけ、意気揚々と店を出る。

画像7

画像9

画像10

 パニエを買ってしまうと、ニースでのやりたいことは終わってしまった。アンティーク市が立っている広場へ行き、隣の花市も併せてふらふらと散策し、迷路のような旧市街を歩きながら、このお店のブイヤベースは美味しかったなあとか、あの二階のお店は牡蠣が美味しかったとか、ニース風サラダが美味しかったのはあの先のレストランだとか、数年前の旅で味わった食べ物の記憶ばかりが思い出される。その時の旅の連れとの小さな諍いを、ぎりぎりうまく治めていてくれたのは、素晴らしく美味しい地中海料理だった。

画像25

 旅の連れはやさしい人だったのに、私の心にはいつも不安が渦巻いていて、不安の正体が、己の心が作り出した妄想に過ぎないと気づいたのは、ごく最近になってからだ。
 もう傷つきたくないという過剰な心のバリアは、素直にモノを見る目を曇らせて、コトの進行を妨げる。どれだけ傷ついたっていいのに、そんな傷なんて勲章ですらあるのに、多分、傷つきたくないと懸命に我を張った心の奥底にあったのは、またいつか失ってしまのではないかという恐れだ。恐れは不安となり、不安はやがてそれを具現化してしまう。どうせ妄想するのなら、楽しい未来を想像しなければ。
 
 薄紫色のパラソルと、白いテーブルにかけられた紫がかったピンクのクロスが、青い空に素晴らしく映えているレストランのテラスで、ビールを飲みながらカニのリゾットを食べる。座っている椅子は、白いプラスティックのありきたりな形だけれど、背もたれと肘掛の一部分が透明の紫色で出来ていて、立派なアート作品に見える。
 初めてフランスを訪れた時から、私はフランスの街中の色に感嘆し続けている。この国で売られているものは全て、色の専門家によって厳しい審査を受けてから売られるのではないかと真剣に疑っているほどだ。

画像8

画像23

画像23

 太陽の光にじりじりと焼かれて、海で泳ぐ人たちを羨ましく思い、汗だくで帰り着いたアパートメントホテルのプールでこっそり泳いでみる。泳ぐというより、水に浸かるという感じで、小さなプールを、部屋にはないバスタブの代わりにしてゆっくり肩まで浸かっている。

 家や別荘にプールがあるのは、お金持ちだけなのかも知れないけれど、暑い日が続く夏には、プールの効用がよくわかる。焼けた肌を鎮めるには、冷たい真水に浸かるのが一番だ。

 まるで温泉にでも浸かるように、じっとプールの一角に陣取っていると、私の様子を盗み見ていた子供たちが、変な外国人がいると思ったのか、最初は遠巻きにちらちら見ていたけれど、やがて、ついにビーチボールを投げてきた。しょうがないので投げ返すと、またボールが返ってきて、そのうち、ああ、ビーチバレーごっこの仲間にされてしまった。

 きっと親たちは部屋で昼寝をしていて、海に連れて行ってもらえない退屈な時間をプールで過ごしているのだろう。そう思った私はサービス精神を発揮して、しばらく子供たちと一生懸命に遊んでみた。でもやがて、ボール遊びに飽きた子供たちが、あっさりじゃあねとプールから上がって行ってしまったので、一人取り残された私は、発揮したサービス精神の仕舞い方がわからず、なんとなく水中エクササイズの真似事なんかして水中をうろうろし、全身がふやけそうになってきたのでプールから上がった。

画像12

 部屋へ戻ってゆっくり料理をし、テレビを観ながらゆっくり食べる。デザートに食べたスイカはみずみずしくて、ベランダの窓からは山沿いを染めるダイナミックな夕焼けが見える。

 テレビでは、アメリカのドラマの主人公が流暢にフランス語を話していて、主人公の女優さんの声があまりにご本人とそっくりだったため、吹き替えであることに気づくのに時間がかかった。

 ドラマが終わって始まったニュースで、もうすぐツール・ド・フランスが始まることを知る。どうやら百周年らしい。それを記念して、今年は史上初のコルシカ島からのスタートらしい。それらはフランス語で理解したわけではなく、セッティングした英語の字幕と、アナウンサーのテンションの高さで理解した。寝る前に調べものをしようと開いたグーグルも、自転車レースになっていた。

画像24

 早朝から目が覚め、まだ人気の少ない海岸で、持参した手作りのサンドイッチを食べる。曇り空だったから見えなかったけれど、この海の先にコルシカ島があるはずだ(晴れていても見えないのだろうけれど)。
 海岸で何か食べていても、トンビに狙われないのは嬉しい。私が住んでいた街では、食べ物を出した瞬間トンビにさらわれてしまうから、海岸で食事は出来なかった。そういえば鎌倉は、ニースと姉妹都市らしい。海の色は全然違うが、海岸線が似てなくもない。

 部屋へ戻って洗濯をし、ベランダに干したタオルが飛ばないよう厳重に洗濯ばさみで止め、プロムナード・デザングレへと繰り出す。
 遊歩道の先が、遠くから見ても賑わっているのがわかる。近づいて行くと楽しげな音楽が聞こえてきて、昨日はなかった車とテントの列が見える。
 派手な紫の車には眼鏡をかけた大きなパンダが載っていて、黄色いトラックには巨大な文房具が載っている。ポップな水色のトラックには巨大な清涼飲料水。パンの形をしたバンもある。一夜にして出来た車列とテント群は、ツール・ド・フランスのキャラバン隊だった。明日から始まるレースの前夜祭のようなものだろうか、スポンサーのテントが並ぶ先に、テレビ中継のための舞台が設置されている。

画像13

画像14

画像25

 キャラバン隊は、レースのスポンサーとなっている企業で構成されていて、レースと共にフランス中を回り、商品やサンプル品を沿道の人にばら撒くことで人気らしい。今日はニースの海岸で、お祭り騒ぎを引き起こしている。私もただ歩いているだけで、フランスパンをもらったり、チーズをもらったり、ワインをもらったりして小腹が膨れている。

 わあっという歓声に振り返ると、ハリボーがばら撒かれていて、間に合わなかったけれど、わしは歯が悪いからグミは食べられんというようなことをいったであろうおじいさんから、美味しいグミのお菓子、ハリボーを譲り受けた。

 大会本部のテントに、約三週間に渡って行われるレースの行程表が張り出されていて、ニースを通るのは来週の火曜日だと書かれていた。私は日曜日にはエクス・アン・プロヴァンスへ行ってしまうから残念だなあと思っていると、なんと、木曜日にエクス・アン・プロヴァンスを通ると書いてある。やったー、見学出来るじゃないかと喜んだけれど、私は月曜日からフランス語の学校へ通うので、見られるかどうかはわからない。でもきっと、街に漂うお祭り気分は味わえるだろう。

 去年のレースの様子を映し出している巨大なスクリーンの手前のテントを通り過ぎた時、日本語が見えたような気がして戻って覗くと、ツール・ド・フランスをさいたま市で開催するという看板があった。さいたま市で開催してもツール・ド・フランスなのかと感心していると、隣のカワサキバイクのブースから、日本語で談笑する声が聞こえてきた。かっこいいカワサキのバイクが三台展示されていて、カワサキもスポンサーなんだとまた感心した。

画像15

画像16

画像17

 ロープで囲まれた場所に、博物館でしか見たことないような珍しくて古い自転車がたくさんあって、それには乗ることも出来るようで、順番待ちの人たちが、前後のタイヤの大きさが極端に違う自転車や、漕ぐたびにサドルの位置ががくんがくんと上下に動く自転車などに、若い人たちが上手に乗っているのを興味津々で眺めている。

 旧市街の広場には、今日は野菜の市が立っている。様々な形をしたトマト、色とりどりのスパイスやオリーブ、私が毎日食べている洋ナシは、ひょうたんのようにも見える。
 
 干した果物や野菜を売っているお店で、それらの原型を推理していたら、これはマーングだと女性店主が教えてくれる。そしてプチフランス語レッスンが始まる。
 
 マーングはマンゴー、オラーンジュはオレンジ、バナンヌはバナナ、アブリコはアプリコット。英語とフランス語は親戚だ。でもパタートゥはポテトではなくてサツマイモ。ジャガイモはポンムデュテール。ポンムはリンゴ、テールは大地。つまりジャガイモは畑のリンゴなのだ。

画像18

画像20

画像21

画像22

 喧騒から離れ、鉄道の駅まで歩き、ネットで予約していたエクス行きの列車のチケットを発行してもらい、だらだらとニースの街を散歩する。
 素敵なデパート、ギャルリ・ラファイエットでは、夏のバーゲンの真っ最中。欲しい服はたくさんあったけれど、トランクに空きがないので諦める。

 さすがに歩き過ぎて膝が痛くなってきて、一ユーロバスに乗ってアパートへ帰る。また少しプールに浸かり、料理をして、テレビを観て眠る。
 今、観光客でもなく住人でもなく、その中間くらいの意識でニースに居る。明日はまた街を散策して、明後日は列車に乗る。

 オラーンジュからヴィオレに変わる夕景の空を眺める。そのうつくしい薄紫色が紺色に変わった頃、細い月が西の空に浮かぶ。パルファン・ドゥ・リュンヌ。月の香りが漂うような夜だった。

画像23







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?