アパートメント紀行(34)
アンティーブ(モナコ) #4
小管くんと市場で待ち合わせている。小管くんはエクスの学校のあと、ニースの少し先にある小さな町の語学学校へ通っていて、私からするともう充分にフランス語を話せている小管くんだけれど、仕事で使うからにはもっともっと勉強しないといけないそうだ。
小管くんが滞在する学校の寮と、私が借りたアンティーブの家の真ん中がニースで、エクスでの別れ際、時間が合えばニースでお茶でもと、私たちは軽く約束していた。そのあと、この辺りを調べたらしい小菅くんが、アンティーブのピカソ美術館へ是非行ってみたいと連絡をくれたので、どうせなら朝市にも行ってみようよと、日曜日の十一時、アンティーブの市場の前で待ち合わせをすることになったのだ。
私は少し早目に行って、先に朝市をぶらぶら見ようと思っていたのだが、小菅くんも同じ考えだったらしく、十時半にばったりと、市場の中で再会した。
私たちは典型的な日本人だね、時間より早く着いてるなんてというと、小菅くんは笑って、いや、そうとも限りませんという。僕はもう、日本に帰ってちゃんと働ける自信がないんですよという。南仏の、のんびりとした生活が心地良くて、もう満員電車に乗れないような気がしているという。
いいじゃん、すぐにアフリカ勤務じゃん、というと、そっか、と笑って、あ、ソッカ食べましょうよ、あそこに窯がありましたよと、若いのに言葉遊びをしてくれる。ソッカというのは、ヒヨコ豆のクレープのようなもので、この辺りの名物。
フランス語のちゃんと出来る小菅くんと歩くと、市場にあるハチミツが、珍しいラヴェンダーのハチミツであることを知ったり、山盛りのレモンが、コンフィに使うためのレモンであったりすることがわかる。
あと一週間で帰国する小菅くんは、お土産物を探していて、この市場は恰好の場所だった。小菅くんが、ポプリや石鹸を買っているのを横目で見ながら、私は猪肉のソーセージや、お惣菜コーナーの美味しそうな魚介のマリネなんかを見ている。
お腹空いてます? と聞かれ、うん、と答えると、じゃあ、ソッカに並びましょうという。ソッカの窯には行列が出来ていて、最後尾に並ぶ。時間がかかるのかと思っていたら、行列はするすると流れ、ソッカはあっという間に焼き上がるのだと知る。想像より大きかったソッカを一つだけ買って、さっき私が目をつけていた惣菜屋で、イイダコのマリネとアーティチョークの煮物を買い、市場の裏にあるピカソ美術館のエントランスの一角で、海を見ながら少し早いお昼ごはんを食べることにする。
さあ食べようとソッカのアルミホイルを開くと、小菅くんが、さっきどこかでビールを見たんです、ちょっと待っててくださいといって走り出し、私はまたソッカを包み直し、まだかなまだかなと待っていると、五分くらいして缶ビールを二本持って小管くんは戻って来た。
二人で地中海に乾杯し、見た目より味わい深いソッカに感動し、ハーブの効いたアーティチョークに舌鼓を打つ。この辺は本当に食べ物がおいしいねといいながら、日本に帰ったらまず何を食べるかという話で盛り上がる。
焼き鳥、おでん、ラーメン、そば、エトセトラ。食べたいものは無数に出てくる。小菅くんは日本に帰って一ヶ月でアフリカ勤務だから、一ヶ月の間にそれらを食べ尽くさないといけないから忙しい。
昨晩のアンティーブの花火大会の話をすると、その前日にも花火が上がりましたよね、という。ああ、そうそう、見た見た、そっちからも見えたの? と聞くと、ええ、学校の寮から見えて、アメリカからマドンナがすぐそこの別荘に着いたから歓迎の花火が上がったんじゃないかって噂だったんですよというので、二人して大笑いする。でも、ここならそういうこともあるのかも知れないと思い、あとですごい豪華なヨットハーバーへ案内してあげるよといった。
二度目の美術館は、一度目と違った視点から作品を眺められる。何度も通うといろんなモノが見えてくる。小菅くんが全室見て回っている間、私はミュージアムショップでついにピカソグッズを買い込む。そろそろ私もお土産を買い始めてもいい頃だったけれど、お土産を買うと途端に寂しくなるから、ずるずると先延ばしにしていたのだ。
海沿いの道を旧市街へ戻り、一度ですっかり覚えたアンティーブの街を、先輩ずらして小菅くんを案内する。ヨットハーバーでため息をつき、魚介の缶詰屋さんでお土産用に缶詰をたくさん買っている小菅くんを羨ましく思い、いくつか手に取りながら諦める。私の帰国までの道のりは経由地が多いから、あんまり重いものは買うまいと決めていた。
二人でまるで親子のように、ふらふらと街を散策し、海沿いのカフェでまたビールを飲み、今度どこかへ旅をする時は、こうやって誰かと二人で並んでのんびりしてみたいと思った。
小菅くんにそういうと、大丈夫ですよ、晩年を誰かと共に過ごしたい独身者はいっぱいいますから、と真顔でいうので、そうだよねと頷きながら、晩年って……、というと、あ、すみませんと慌てて謝る小菅くんが面白かった。いや、小管くん、私の今後の人生は晩年なのだ。小菅くんは正しい。
またお腹空きましたねえという小菅くんと、タイ料理のお店に入る。同じアジア人同士、フランクに話しかけてくれたタイ人のウェイトレスにチップをはずみ、駅から電車で帰る小菅くんと、ではまたいつか日本で、といって別れる。
私はバスに乗り、この前とは違う道を走るバスに少し不安を抱きつつ、知っている道に出てホッとして、また一つ手前のバス停で降りてしまう。ついでだからショッピングモールに寄り、多分ネットカフェだろうなあと思っていたお店へ入り、パソコンがあることを確認し、日本のことが好きそうな店員の男の子に、明日ゆっくり来ますといって帰途に就く。
翌朝、遅く起きてプールへ入り、お昼ごはんを食べて山を下り、ネットカフェで新しく取り直した飛行機のeチケットを印刷し、もう顔を覚えてもらったパン屋でいつもと同じパンを買い、汗だくになって帰り着いてまたプールに入る。
南仏で優雅にヴァカンス中というより、田舎の親戚の家に来て毎日プールへ入っている夏休みという感じがする。やさしい叔父さんと叔母さんが、いつも傍らで見守ってくれている。
一足先にヴァカンスを終えたリーナとエマから、写真つきのメールが届く。リーナがマークと訪れた南仏の小さな町の風景や、エマが笑って座っているパリの素敵なカフェの写真を見ながら、私も何か送らなくてはと思うけれど、この頃はもう写真を撮るという行為さえ忘れていて、近隣の有名な観光地へ行こうという意欲さえない。ここで、世にもうつくしいプールに入ってさえいれば、それだけで大満足なのだ。
それでも、タマラの旦那さんの叔父さんの回顧展を観るために、モナコまでは行くつもりだった。アンティーブから電車で三十分、車なら四十分ほどで行けるモナコまで、船で行くと二時間半もかかるようで、タマラがくれた時刻表を見ながら、遊覧船のようなものだろうかと想像し、朝一番の八時半の船に乗るには、ここを何時に出ればいいのかと逆算する。
久しぶりに目覚まし時計に起こされ、顔を洗い、今更ながら日焼け止めをたっぷり塗る。タマラ家の人々はまだ誰も起きていないようで、しんと静かな豪邸で、抜き足差し足忍び足、重い門をギギーっと開けて出発する。
坂道を下って地中海沿いの道へ出ると、海風が、新しい朝の匂いを運んで来る。そういえば海には、午後にしか来たことがなかったので、いつもカンヌ方面にある太陽を見ていたが、今、太陽はニース側にある。いつもと違う方角からの光は、海の色を違う色に見せてくれる。ビーチの人影もまだらで、生まれ立てのような海を見ながら太陽の方角へ歩いていることが、とても正しいことのように思えて気持ちがいい。
週末に花火を見た辺りを過ぎると、インフォメーションセンターがあり、地図によると、その前の埠頭が船の発着所になっているようだった。
思っていたより随分小さな埠頭に、人々が並んでいるのが見えて、あれだろうと思い近づいて行くと、チケット売り場があった。窓口の列に並び、前の人が予約番号をいっているのを見て、あ、予約が必要なのかと焦ったが、いざ私の番になり、予約はしていないんですというと、今日は空いているから大丈夫よと、あっさりチケットを買うことが出来た。モナコまでの片道チケットを手に、人の流れに沿って歩き、これから海水浴に行くんですという格好の人々が並ぶゆるい列の後ろにつく。
しばらくすると、四、五十人乗りくらいの漁船のような船がやって来て、そそくさと乗り込んで船室のエアコンの前で涼んでいると、キャプテンハットを被った船長から、モナコ? サントロペ? と聞かれる。モナコですというと、ウィーと笑顔で頷かれ、間違った船に乗っているわけではないと安心する。
特に合図もなく船は出航し、海を真っ直ぐに進んでいる。モナコは左だと思うのだが、真っ直ぐに進むのは、海のルールとかいろいろ理由があるのだろうと気にも留めず、大海原に点々と浮かんでいる巨大クルーザーの数にびっくりしていると、さっきのキャプテンが、ほら、あれ、あっちに見える一番大きい船、あれがアルファイドさんの船だよと教えてくれる。
アルファイドさんって誰だっけ? と思っていると、隣りで聞いていたマダムたちが、ほら、ダイアナさんの、と教えてくれる。ダイアナさんと一緒にパリで亡くなったエジプト人のお父さんの大富豪のアルファイドさんだ。それはもう船というより巨大なマンションが海に浮かんでいる感じで、大富豪の富の象徴にはため息しか出なかった。
マダムたちもため息をつきながら、すごいわねえ、でもきっと孤独なのよ、息子さんは亡くなっちゃったし、大金持ちはプライバシーも守れないでしょうから大変よ、といいながら、双眼鏡でアルファイドさんの船を覗いている。
ところで船は、どんどん真っ直ぐに沖へと向かっている。コートダジュールの海岸線が、遠くにかすむほどしか見えなくなり、私の目的地のモナコからは遠く離れて行くのがわかる。
もしかしてやっぱり船を間違えたのだろうかと不安になっていると、前方に、小さな島が見えてきた。どうやら船はそこへ着くらしく、スピードを落として入り江に入り、島の小さな波止場に着いた。
よく聞き取れないフランス語のアナウンスがあり、乗客が全員降りる様子を見せたので、私は焦り、スタッフに尋ねてみると、ここで船をチェンジするから、全員降りなくてはいけないという。
チェンジする理由はわからなかったけれど、全員が降りると、乗って来た船はあっさりと出航していった。三分の一くらいの乗客が、海水浴をするために島へ上陸して行き、残された乗客は、二つの列を作って並ばされた。モナコはこっち、サントロペはこっち、とスタッフがいっている。
なるほど、そういうチェンジか。さっきのマダムたちもモナコまで行くというので、安心して島の様子を伺う。まず海の透明度に驚いた。島の入り口には、雑貨屋さんのような店舗が一軒あるきりで、向こうの入り江にはカヌーが、こっちの漁港には小さな漁船が並んでいる。西洋人の姿が見えなければ、瀬戸内海の離れ小島のような景色だ。
それにしても暑い。海からの反射で、太陽の照射熱量が倍になっているように感じられる。観光客たちは暑さにやられ始め、桟橋に座って足を水につけたり、上半身裸になっている男性もいる。待てど暮らせど来ぬ船を、いつまで待てばいいのだろうとぼんやりしていると、遠くから一艘の船がやって来るのが見えた。
待ち疲れた人々は、無人島に流れ着いた人々が通りがかりの船に助けを求めるように手を振り出し、到着した船がサントロペ行きだとわかると、モナコ行きの人々は落胆し、サントロペ行きの人たちは狂喜する。
そんな自分たちの大げさな反応にみんな笑い出し、ほんの一瞬邂逅した人々が、行ってらっしゃい、またね、いいホリデイを、と笑顔で挨拶し合っている。サントロペ行きの船が出航してゆくのを見守りながら、私はなぜか、安寿と厨子王の物語を思い出している。
取り残された人々と、妙な連帯感で結ばれ、トイレを探してくるわという人の荷物を見ていたり、靴擦れしている人に絆創膏を渡したり、和気あいあいとしながら共に暑さと戦う。
もう四十分以上は待っている。モナコまで二時間半かかるというのはこういうことかと納得し、のんびりと島を楽しむ。正確にいうと、桟橋を楽しむ。
もしこのまま船が来なければ、この島でのんびりしてもいいかなあ、水着を持ってくればよかったなあと思い始めた頃、やっと船がやって来る。降りて来た子供たちと入れ替えに船に乗る。
涼しい船室でホッと一息つき、やっとモナコ方面へ向かい始めた船の窓から、海からしか見ることの出来ない豪華な別荘が建ち並ぶ海岸線を眺める。
のんびりとした船内放送のフランス語が少しだけわかって、観光船に変身した船の中からニースを認識する。船は、ゆっくりゆっくり海岸線沿いを進んで行く。自家用船が停まっている別荘は、陸からはどうやって行くのだろうと不思議になるくらい周りに何もない。ここら辺は、世界屈指の高級リゾート地なのだと改めて実感する。
やがて、モナコへ着きましたという放送が流れてくる。やっと港が見えてくる。モナコの港に密集している建物群を見て、全然違うのだけれど一瞬、熱海を思い出した。
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