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アパートメント紀行(30)

エクス・アン・プロヴァンス #8


 言葉の全く通じない相手と、身振り手振りで意思の疎通を図り、私はマットの上に寝転んでいる。授業を休み、思いついて来てみたタイマッサージの店で、タイ人女性にツボを押してもらっている。
 
 時々痛みに耐えかねて、日本語で痛い痛いというと、感じのいいタイ人女性は面白がって、あなた身体が固いわねえといい(多分)、私の手や足をあらぬ方向に曲げては押し、伸ばしては押しを繰り返す。お互いに、言葉は通じないのになんだか可笑しくて、げらげらと笑いながら六十分のマッサージは終了し、私はマットの上で力尽きた。

 翌日も授業を休み、水着持参でテルメ・エクスティウスへ行く。入り口にローマ時代のお風呂の遺跡があり、一部分だけガラス張りになった床からは温泉の源泉と、ローマ人が入っていたお風呂の跡が見える。

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 高級サロンのようなテルメには、マッサージルームがいくつもあって、バスローブを着た人たちが、空調の効いた快適な部屋で長椅子に寝そべっている。
 更衣室で水着に着替え、バスローブをまとってお風呂へ続く通路を歩いていると、途中にジムがあり、必死で自転車を漕いでいる人たちが大汗をかいている姿が見えた。
 その先にジャグジーがあり、恐る恐る入ってみると、え? これが温泉? というくらいぬるく、身体が冷えてしまう前に露天風呂へと移動する。

 外にあるから露天風呂だと思い込んでいたのは私の浅はかな誤りで、そこは温泉プールだった。周囲にパラソルが立ち並び、バーカウンターもあり、人々はデッキチェアに寝転がり、カクテルを飲んで寛いでいる。
 
 予想とは全然違う温泉だったけれど、私は浅いプールに無理やり肩まで浸かり、これは温泉だ温泉だと自分にいい聞かせる。そのうち陽射しが強くなってきて、ぬるいお湯が気持ち良くなってくる。
 
 マッサージとお風呂効果で元気になった私は、木曜と金曜はちゃんと授業に出た。またサボっているらしいカミラの行方が気になったけれど、こんな年配だらけのクラスは彼女にとって面白くはないだろうと同情もする。そして、ほぼ理解出来ないまま最後の授業も終わり、私は終了証をもらった。

 クラス全員で写真を撮ったあと、エズキとエマと三人でランチへ行き、久しぶりにエマの愚痴を聞く。エマは、日曜日にエクスを出てパリへ行くのだが、どうやらアランとどこかで話が行き違っていて、土曜日に部屋を出なければならなくなったという。日曜日までいることも可能なのだけれど、その場合は一日分の追加料金が発生するらしい。契約では土曜日までだというアランと、いや、日曜日までの料金は払ったというエマの話し合いは決裂し、結局、エマは土曜日に出て行くことにしたらしい。

 どちらの話が正しいのかわからなかったので、なんともリアクションに困る。このような場合、両方の言い分を聞いてからではないとジャッジは下せないけれど、概ね、こういう場合、まあ、そうなの、大変ねえと同情するのがベストな対処法だ。

 愚痴をいう人は、正しい意見を求めているわけではない。ただ、相槌と共感が欲しいだけだ。エマの英語がちょっとわかりづらいふりをして、共感めいた態度を取ってみる。別に自分に言い訳をする必要はないのだが、エズキも少し困った顔をしていたので、二人でエマにわからないよう肩をすくめた。それからみんなで連絡先を交換し、エマは、じゃあ、LAで待ってるわといい、エズキは、またどこかで逢えることを信じているわといって、やさしくハグをしてくれた。

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 翌日、遅くに起きて歯を磨いていると、玄関のドアノブに紙袋がぶら下がっているのに気がついた。なんだろうと開けてみると、可愛らしい新品のノートが一冊と、走り書きのような手紙が入っている。
 
 それはエマからの手紙で、アランに腹が立つのでもうここを出ます。あなたに挨拶出来ないのが残念だけど、LAでまた逢えるからオッケーよね。じゃあ、また連絡してね、エマ。と書いてあった。

 歯磨きをしながら私は吹き出しそうになり、素早いエマの動きに感嘆する。いつここを出て行ったのだろう。昨晩はいたはずだ。

 午後、庭にいたアランにエマのことを尋ねると、知らない、彼女はアメリカ人だから全然理解出来ない、といった。昨日エマは、アランはフランス人だから全然理解出来ないわ、といったことを思い出して可笑しさが込み上げてくる。引っ越して来る時は、わざわざ車を出してまで手伝いに行ったアランなのに、二人の間に何かあったのだろうか。否、それは考えまい。

 そうゆうわけで、学校の仲間たちがみんな去ってしまった。寂しさはあるけれど、また一人に戻れた気楽さもある。のんびりと街へ出かけてみる。
 
 今日の市は花の市。黄色いパラソルの下で、色とりどりの花々が売られていて、それを絵に描く人々のキャンバスにも、鮮やかな色の絵の具が塗られている。

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 人々の肌は小麦色に焼け、街の至る所でピンクや黄色や紫の花々が咲き誇り、土産物屋の屋台では、花々の色に負けないくらい主張をしているカラフルな陶器類が重ねられていて、その横のカゴ屋さんには、魅力的なカゴがたくさんあり、私は買いたい衝動と戦いながら、もしもここから車で日本へ帰れるのならば、私は今日、ここにあるうつくしい色をしたモノたちを、後部座席一杯に詰め込んで帰るに違いないと思った。

ざっか

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 マサコの提案で、私のプライベートレッスンは週に四回。月曜と火曜に一コマずつ、水曜は休み、木曜と金曜にまた一コマずつ、ということになった。これなら無理なく通えるし、毎回授業は十一時からだ。マサコはもう、すっかり私の体内リズムを把握している。

 マサコは正社員だけれど週三日勤務で、フランスの雇用制度はいいのか悪いのかよくわからないわあといい、時間のある二人は、近所の冷凍食品専門店で、冷凍ラーメンを買ってどちらかの家で食べたり、マサコの友人が働いている日本食レストランからもらった残り物の日本食を食べたりして、この頃はよく一緒に過ごしている。

 行こう行こうと思いながらずっと行っていなかったセザンヌのアトリエへ行ったのは、エクス滞在残り三日という日だった。
 八月の二週目、エクスの街では夏の終わりが近いのか、正午前後の数時間を除き、もう半袖では肌寒く感じるようになってきていた。
 
 セザンヌのアトリエへは、数年前に観光旅行で来た時に、ガイドさんに連れられて来たことがある。しかし訪ねた時間はちょうど昼休みで、中へ入ることは出来なかった。
 その時一緒だった恋人とは、旅の終盤、もうすっかり気持ちがかみ合わなくなっていて、アトリエの閉ざされた扉が、自分たちの未来のように思えたものだ。旅行から帰って数ヶ月後、私たちは別れた。
 
 今、セザンヌのアトリエの扉は開いている。あの頃はすごく街から離れているところにあるんだなあと思ったけれど、滞在してみると、ここは、街からほど近い丘の中腹。アランの家からは歩いて十分ほどだった。

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 セザンヌが設計したというアトリエは、開放的でありながらもこじんまりとしていて、壁の棚や机の上には陶器や彫像、それから本物のリンゴやオレンジなどの静物のモチーフが、センス良く無造作に転がっている。
 
 窓からは明るい陽射しが燦々と降り注ぎ、木の床にゆらめく光の文様が素晴らしく幻想的で、淡い黄色の外壁と淡いブルーの窓枠、そしてレンガ色の扉、全てが私の理想のアトリエだった。

 アトリエの庭はまるで森で、今週末には庭で映画の上映会があるらしく、すでに見えない人々が座っているような白い椅子がいくつも並んでいて、眺めていると妙に落ち着いた。

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 庭でのんびりとセザンヌの世界を堪能していると、日本語のお喋りが聞こえてきた。振り向くと、年配の日本人女性が四人、ばたばたと忙しそうに庭やアトリエを見て回っている。一人の女性と目が合ったので、こんにちはと挨拶すると、あら、日本の方? こちらに住んでらっしゃるの? と聞かれ、あ、ここというかあの辺に少しだけ、と答えると、ねえねえ、ほら、ここに日本人がいるわよと、彼女が仲間たちを呼んだので、わらわらとおばさまたちが寄って来て、私たちはね、ニースからエクスカーションで来たのよ、もう時間がなくてね、ああ、もう迎えの車が来るんじゃない? ねえ今何時? 

 もうすぐ十二時です、と圧倒されて私が答えると、私たちはこれからマルセイユへ行ってブイヤベースを食べるのよ、という。ブイヤベース食べた? と聞かれたので、はい、ニースで、というと、あら、ニースにもあったのね、といいながら、おばさまの一人が迎えの車が来たことに気づき、じゃあ、またね、ごきげんようと口々にいって賑やかに去っていった。

 おばさまたちは元気だ。死んだ夫が生きていた頃、賑やかなおばさまたちを見て笑いながら私を振り返り、あなたもきっとあんな楽しそうなおばさんになるんだろうねといったことがある。その時の彼の素敵な笑顔は、今も脳裏に焼きついている。私は、楽しそうなおばさんになることが出来ているだろうか。

 少しずつ、荷造りを始めている。市場で買った服やサンダルをトランクに詰め、日本から持ってきた夏服をマサコやナミちゃんにもらってもらう。
 これで、私が日本から持ってきた服はなくなり、服は全部入れ替わった。

 エクスを出発する前日、マルセイユに住んでいるアランの叔父さんが亡くなって、明日は私をエクスの駅まで送ってくれる予定だったアランが、ごめん、今からマルセイユに行かなきゃいけないんだと謝りに来た。
 タクシーを予約してあげるというアランと、じゃあ、またね、とハグとキスをして、最後の夜はマサコの家でごはんを食べた。借りていた炊飯器のお礼にと、私の部屋に残っていた食材を全部マサコの家に置いてきた。

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 翌朝、アランが予約してくれていたタクシーは、予想に反して時間通りに現れた。私は名残惜しく車窓からエクスの街を見納めて、あっという間にTGⅤの駅に着く。

 フランスの列車が時間通りに来ないことにはなんとなく納得しているが、直前までどのホームに入って来るのかわからないのは不安の種。タクシーを降りたところから、一番線と二番線にはそのままごろごろと荷物を押して行けるのだけれど、三番線と四番線へ行くには、エレベーターに乗ってホームの上の通路を渡ってまたエレベーターに乗るという面倒くさい工程を踏まなければいけない。

 駅の入口の電光掲示板に、私の乗る列車の到着ホームの掲示が出るまで、私は辛抱強く待っていた。同じ電車に乗るというおばあさんが、どっちかしらね、と掲示板を眺めながらいう。同じように待つ人々が増えて来て、みんなの期待が高まってくる。

 出発五分前になって、ついに電光掲示板に一番線と出る。私たちは歓声をあげてハイタッチをし、おばあさんと私は握手をする。そしてそのままホームへ突入し、チケットに印字された車両番号を確認し、しばらく待っているとアナウンスが聞こえてきた。私の乗る列車は二十分遅れで到着するらしい。
 
 あ、私、フランス語を理解している!
 
 私が笑みを浮かべていると、アナウンスを聞き取れなかったインド人のファミリーが、今なんていったの? と尋ねてくる。私は得意げに、電車は二十分遅れるそうですと答え、この夏限定、ちょっとだけ三ヶ国語がわかる人になっている。
 二十分後、列車は滑るようにホームに入って来る。さよなら、愛しのエクス。私は意気揚々と列車に乗り込んだ。

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