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アパートメント紀行(15)

マドリード #1


 当初の予定では、リスボンから地中海沿いに列車に乗ってバルセロナへ行くつもりだったので、マドリードに寄る予定はなかったのだけれど、列車で行くには、グアディアナ川という国境の川を越えなくてはならず、そのためにはフェリーかバスに乗り換えなければいけなくて、そんな若いバックパッカーのような芸当は出来ないので飛行機で飛ぶことにしたのだが、生憎、リスボンとバルセロナを結ぶ便がずっと満席で、それならばとマドリードに飛ぶことにしたのだけれど、マドリードは、驚くほど暑かった。

 空港から、アトーチャ駅までタクシーに乗る。マドリードには四泊しかしないからと、利便性だけで選んだ駅前のホテルがどこにあるのかわからなくて、タクシーの運転手さんと一緒に、目を凝らして駅の雑踏付近を探し、あ、あれだ、とホテルの看板を見つけた時には、少しがっかりしてしまった。

 駅前のビジネスホテルという感じのすこぶる小さなホテルは、リスボンのホテルに比べると質素で、星を二つ落とすとこんなに違うのかと驚いた。おまけにフロントには誰もおらず、ほぼ同時に着いたばかりのイギリス人ご夫婦と一緒に、閑散としたロビーで随分待った。

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 やっと現れたフロント係は全く悪びれる様子もなく、順番にチェックインすると、渡されたのはカードキーではなく重くて大きな真鍮の鍵で、もちろんドアマンもベルボーイもいないので、重い荷物を自分で部屋まで運ばねばならず、私と、私の荷物だけでぎゅうぎゅうになったエレベーターはすごく古くて、もしこのエレベーターが止まってしまったら私は発狂するかも知れない、とまで思った。

 部屋へ入ると、いきなりベッドがあり、他にはトランクを広げるのがやっとの空間しかなく、バスタブには栓がない。しばらく呆然として、思い直す。これが普通なのだと。私はこれまで贅沢をし過ぎたのだ。

 窓を開けると、アトーチャ駅が眼前に見える。小さなアパートのような部屋にはちゃんと鍵もかかるし、素敵な茜色の木の扉のついた窓は全開出来る。栓がないとはいえバスタブもあり、安心して眠れるベッドもある。うん、悪くない。人生と同じで、無いものを数えるのではなく、有るものを数えなければいけない。ここでは利便性を選んだのだから、そう、まずは駅へ行って、バルセロナ行きのチケットを買わなければいけない。私は荷解きもしないまま狭い部屋を出て、駅へと向かった。
 
 ホテルから徒歩一分、アトーチャ駅の構内は、まるで亜熱帯植物園のようだった。ホテルの窓から見えていた駅の外観は、古いヨーロッパの様式美を持つ重厚な煉瓦造りの落ち着いた感じだったのに、中へ入ると現代的で、広々とした吹き抜けのガラスと鉄のドームの下に、まるでジャングルが移設されたのかと思うほどの緑の木々が生い茂っていて、ガラスの天井から燦々と光を浴びて生き生きとしている植物の周りには水路があった。

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 水路を囲むベンチには、流れる水のせせらぎを聞きながら、本を読んだりうとうとしている人々が座っていて、その姿を見ていると、駅というより静かな公園にいるような印象を抱く。待合室やカフェテラスもゆったりとしていて、人々で賑わう通路の奥の方には、薬局や雑貨屋や化粧品屋やパン屋などがあった。

 アトーチャ駅は、マドリードの中心部にあるマドリード最大の国鉄駅で、二〇〇四年三月十一日に、大規模な列車爆破事件が起こった場所だ。今、この、のんびりとしたうつくしい駅が、大惨状となって血に染まっていたことを思い出すのは難しい。だけど、記憶の中に悲劇の記憶が刻まれていると、行き交う人々の笑顔や話し声、さらにはただ人々が歩いているというだけの普通の事象が、いかに奇跡的で素晴らしいことであるかに思い至る。私たちは、たくさんの歴史的悲劇の上に生きている。それを忘れないでいることが、私たちの義務だ。

 チケット売り場を探す。スペインの新幹線、AVEのチケットを買うには、窓口で数時間かかるとガイドブックに書いてあった。うだるような暑さのマドリードの午後、今後の予定はチケットを買うことだけにして、このうつくしい駅でゆったり過ごそうと決めた。

 マイナスイオンで満たされているような駅の構内をぐるりと歩き、チケット売り場を発見する。確かに窓口は噂通りの行列で、発券機から番号札を取ってみると、発券された私の番号は、窓口に表示されている番号プラス約二百だった。二百人分のチケットを発券するのに、窓口業務の四人はどれくらいの時間を費やすのだろう。
 しばらく窓口の様子を見ていると、彼ら彼女らの機械的ではない丁寧な仕事ぶりに、ああ、これは、やはり二、三時間は軽くかかるなあと諦念し、カフェでお茶でも飲むことにした。

 まるで亜熱帯地方にいるかのようなテラスでコーヒーを飲みながら、スペインのガイドブックを読む。マドリードについては何も調べていなかったし、ただトランジッドのつもりで来ただけだから、どこに行きたいという希望も期待もなかった。しかし、どうやら駅周辺には美術館がたくさんあって、それも土曜日の午後からは入場料が無料とか、日曜日は一日中無料とか書いてある。今日が金曜日だと気づいた私は思わず小さくガッツポーズをする。

 世界三大美術館の一つであるプラド美術館は、駅から徒歩十分。それより近い徒歩三分のところには、ピカソの「ゲルニカ」があるソフィア王妃芸術センターがあり、さらにプラド美術館のそばには、個人コレクションでは世界第二位というティッセン・ボルネミッサ美術館というのがある。

 何より一番の魅力は、きっと美術館は涼しいだろうということ。マドリードは、標高六百五十メートル。イベリア半島のちょうど真ん中に位置し、九世紀後半、半島を支配していたイスラム教徒が丘の上に建てた小さな砦がこの街の発祥だとガイドブックには書いてあったけれど、私の感覚では、標高六百五十メートルというのは、丘というより山だ。
 ヨーロッパの首都の中で一番標高の高いところにあるスペインの首都は、とてもうつくしい街だったけれど、イメージと相反して常夏のように暑かった。

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 アトーチャ駅の吹き抜けにある小さなジャングルは、私にとってはふいに現われたオアシスのようなものだった。新幹線が開通する際に、古い駅舎を壊すことなく再開発して植物園にしたというマドリードの偉い人のアイデアに脱帽する。
 私はすっかりアトーチャ駅を気に入り、コーヒーを飲み終わって窓口の番号を見に行くが、三十番くらい繰り上がっているだけで、相変わらず窓口は混雑していた。
 
 まだ長いこと順番は回ってこないだろうから一度ホテルへ帰ろうと思い、途中、水の自販機があるのに気づいて小銭を出しながら自販機に近づいて行くと、大きなリュックを背負った私と同い年くらいの金髪の女性が、取り出し口のところにかがみこんで何やら苦戦しているのが見えた。
 
 私が傍まで近づくと、ねえ、ちょっとこれ持っててくれない? というので、渡された一リットルボトルの冷えた水を持って様子を見ていると、どうやら取り出し口にもう一本詰まっているのを取ろうとしているらしく、私も一緒になって取り出し口のカバーを押さえたりして二人で苦戦した挙句、取り出し口には、一本ではなく二本の水が詰まっていたことが判明した。

 ふう、と二人で作業を終えて立ち上がると、金髪の女性が水を一本私に渡してくれる。あ、とお金を渡そうとすると、違うのよ、これ、勝手に出てきたの、といって彼女はくすりと笑う。一本分のお金で、三本出てきてしまったそうだ。

 一仕事終えたような充実感で彼女と別れ、歩いて一分のホテルの部屋へ帰ると、まだ駅の構内にいるような感じがする。なので私は、このホテルを勝手にステーションホテルと改名し、植物園の駅舎をホテルのロビーだと思うことにした。

 狭い部屋の長所は、すぐに冷房が効くところだ。それに、秘密基地感も持てる。徒歩一分で汗だくになった服を脱ぎ、裸でうろうろしていても安心感がある。ぺらぺらの薄手のシャツを着て、五階の窓から外を見下ろすと、駅に出入りする人々の流れが見える。まるで探偵になったような気分で眼下を眺めながら、この狭い部屋を好きになっている自分に気づく。

 部屋の隅にある冷蔵庫を開けると、中は空っぽだった。さっきもらった水を入れてもまだ空間がいっぱいある。高い値段になっているお酒やソフトドリンクに手を出す危険性のない冷蔵庫は素晴らしい。
 駅で買ったチョコクリスプを一口齧り、残りを冷蔵庫へ仕舞う。クローゼットの奥にあるセキュリティボックスは壊れていたけれど、盗まれて困るものは身につけておけばいい。

 部屋を出て、外に出ると、強烈な熱気がマドリードの午後を覆っている。シエスタの制度はまだあるのだろうか。こんな時間に歩いているのは、観光客だけなのだろうか。駅周辺に無数にあるバルも閑散としていて、立ち止まっている人はほとんどいなかった。

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 それにしても熱い。駅前で信号待ちをしている間に日焼けしてしまう。やっと信号が青になったけれど、長い横断歩道を渡り終えるまでに熱中症にかかりそうだった。
 
 窓口へ行くと、番号が随分進んでいる。あと三十人ほどで私の番だった。ちょうど一つ空いていた椅子に座り、のんびりと待つ。
 隣に座っていた年配の女性が、あなたは何番? というようなことをスペイン語で聞くので、日本語で、えっと、これです、と番号札を見せる。すると、あら、私の次じゃない、といった感じで彼女が笑い、全然わからないスペイン語で世間話をしてくる。仕方がないので、なんとなくわかるふりをしながら、どこかでスペイン語はわかりませんと断りを入れようとタイミングを見計っていたのだけれど、万国共通なのか年配の女性の話は長く、なんの話なのかさっぱりわからなかったけれど、黙って聞いているしかなかった。
 
 そのうち、あ、もうすぐよ、という感じで彼女が立ち上がって窓口の方へ歩いて行ったので、私も立ち上がり、彼女から少し離れたところで自分の番号が窓口に表示されるのを待った。
 
 私の一つ前の番号が表示され、嬉しそうにいそいそと窓口に向かう彼女の姿を微笑ましく見ながら、言葉が通じるかなんてことはどうでもよくて、ただ、話を聞く、という態度が重要なんだろうなあと思った。同じ言語を使いながら、話が通じないことはよくある。大切なのは、ちゃんと耳を傾けるということだ。

 やっと私の番号が表示され、若い女性の係員のいる窓口へ行く。運良く彼女の首には英語とスペイン語がオッケーですというカードが下がっていたので、難なくバルセロナまでのチケットを購入出来た。

 部屋へ戻り、やっと荷解きをする気になり、洗面道具と少しの衣類を出してクローゼットにかける。トランクに鍵をかけて部屋の隅に立てると、部屋は少し広くなった。エアコンの風が直撃するベッドに寝転び、天井から釣ってある棚に乗ったテレビをつけてみる。陽気なスペイン語の洪水を聞きながらうとうとし、いつの間にかシーツにくるまって眠っていて、気がついたら三時間も経っていた。

 お腹が空いたので外へ出る。もうすっかり暑さは収まっていた。さっきは閑散としていた全てのバルやレストランが、違う街にいるのかと思えるほど賑わっている。
 駅前なので観光客向けの値段なのかも知れないけれど、英語や写真つきのメニューがあったので、木陰のあるレストランのテラス席に座り、ビールとイワシのから揚げを頼む。隣席の観光客が食べているバゲットサンドが気になって見ていると、これはスパニッシュオムレツのサンドイッチよ、と教えてくれたのでそれもオーダーする。

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 寝起きのビールは美味い。揚げたてのイワシは、日本ではシコイワシと呼ばれている小さなイワシを丸のまま揚げたもので、レモンを絞って塩で食べる。リスボンのイワシも美味しかったけれど、ここのイワシも美味しい。ジャガイモがたっぷり詰まったスパニッシュオムレツのサンドイッチは、思っていたよりボリュームがあり、自分で作るのより百倍美味しかった。

 旅に出て二ヶ月、知らないお店に入って一人でごはんを食べることに慣れてきた。どんなレストランで食事をしていても、誰かが話しかけてくれるから、楽しく美味しく食事が出来ている。ヨーロッパの人々は旅人にやさしいのか、それとも私が他人と視線を合わせ過ぎるのか、とにかく今のところ楽しくやっている。

 マドリードは高地だからか、酔いが回るのが早い気がする。疲れているのかも知れないと思い、早々に部屋に引き上げて、さて、と思案する。栓のないバスタブにどうやってお湯を張るかを考える。
 トランクを開け、栓になるものを探す。うーん、Tシャツを丸めて排水口に詰めるしかないかなあと思っていると、トランクの底にガムテープを発見する。あ、これだ、と十五センチほど切って排水口に張り、お湯を入れてみる。ああ、大丈夫だ。お湯は順調に溜まってゆく。

 ゆっくりと湯船に浸かり、はあ、気持ちいい、とひとりごちる。独り言は悪いことではないと、私の大好きな叔父が教えてくれた。楽しい時は楽しいといい、楽しい空気を膨らませる。疲れた時やつらい時は、はあ、と大きな声でため息をつき、身体の中の悪い空気を外へ出すのだ。

 私の大好きな叔父は、私の亡き母の弟で、親族からは乱暴者で要領の悪い大人だといわれていたけれど、私は子どもの頃から大好きだった。母の最期の時も駆けつけてくれて、ただ、じっと、母のそばにいて、母が亡くなってからは、ただ、そっと、私のそばにいてくれた。
 どうしようもなくつらい時に、そばに寄り添ってくれる人のやさしさは、寄り添われている人にしかわからないのかも知れないけれど、私の最初の夫が突然の事故で亡くなった時、一人の刑事さんが、ずっとそっとそばに寄り添っていてくれて、あれからもう二十年以上も経つというのに、私は時々あの刑事さんのことを思い出し、悲しい夜は記憶の中のやさしさに包まれて眠ることがある。

 唐突に思い出される記憶というものは、何が触媒になって出てくるのかわからないけれど、今夜は、亡くなった人たちのことを思い出している。死というものには敵わない。時間が経てば経つほど、死者は神聖なものとなり、生者の愚かさを際立たせる。死にゆく全ての人が、死を境に、愚かしい生者から神聖な死者となる。なんかちょっとずるいよなあと思わないではないけれど、私もいずれそうなれるのならばしょうがない。
 
 気持ちいいなあと入っていたお風呂で、突然に死者たちのことを思い出し、私は

わんわん泣いてしまったけれど、涙を出し切ったらすっきりする。これも一つの健康法だ。せめて旅の最中は、ゆらゆらと揺れる気持ちに正直に対峙することが、体調管理にいいような気がしている。

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