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離職と感謝と恨みつらみ


人間というやつ、遊びながらはたらく生きものさ。善事をおこないつつ、知らぬうちに悪事をやってのける。悪事をはたらきつつ、知らず識らず善事をたのしむ。これが人間だわさ。

鬼平犯科帳/池波正太郎

先日、離職の希望を会社に伝えました。

 休職してから一か月ほど自分を責め、「どうしてこんなことになったんだろう」と自問自答を繰り返していました。

 寺社仏閣をめぐり、遠くを旅し、本を読み、憧れの学者さんに会って、直接質問をしていました。

 旧友に会い、再会を懐かしむ。

 それでも、僕のこころは穏やかにはなりませんでした。

憎しみを肯定する

(自分の中にある、恨みやつらみを見ていない)

 ある日、ふとそう気づきました。

 ぼくは、今の会社にとても良い待遇で雇っていただきました。

 福祉従事者としては浅いキャリアの僕に、最高の給与と立ち上げの中心という重要な仕事を任せていただきました。

 2年間、ただひたすら良い仕事をと、努力を惜しまなかった。そう自負しています。

 次々と提案するアイデアを、会社は可能な限り実現してくれました。こんな職場はほかになかったです。

 何より、僕が当事者であることを見抜きながら、雇ってくださった社長と上司に本当に感謝しています。

 会社への感謝。

 それが、僕の中にある憎しみが見えなかった理由でした。


「Aさんが理由で離職者が出るのは僕で2人目です。どうか、臭いものにふたをしないで、同じことが起こらないよう検証してください。それが僕の最後の願いです」

 社長にそうお伝えしました。

 Aさんは、立ち上げから入社した、直接支援員の方です。

 彼女は、訓練で利用者さんによく間違ったことを教えていました。

 同期入社のBさんは、彼女をたしなめたそうです。ですが、彼女は「そんなことはしていない」と居直ったそうです。

 その後、Bさんは証拠をそろえてAさんに伝えても認めなかったそうです。

 Bさんは、それからすぐに「母の介護」を理由に退職しました。

 1年後、個人的にBさんとお話したところ、「6割がたAさんに付き合いきれなかったのが理由です」とおっしゃいました。

どうりで「辞めた人と連絡は取らないように」と上司がいうわけだ…

 翌日、上司にそれを言うと、「知ってたよ」とのことでした。


「あなたはそれでも支援員なの!」

 開所してすぐに、とある利用者さんの保護者の方からAさんは叱責されました。

 その利用者さんができていることを、できていないと保護者さんに報告したからです。日報には、できていると書いていたように覚えています。

 Aさんはその日、早退しました。

 僕は、当事者です。彼女がいい加減な仕事をするたびに、「自分より利用者さんは下」というメッセージがすすけて見えるように感じていました。

 Aさんは、よく日報に嘘を書きました。ある程度適当なことを書くのは、現実的に考えて仕方がない。

 ただ、管理職にとっては目標達成といった重要な項目について嘘を書かれると、その人の報告を信用してマネジメントができません。

 特定記録郵便を速達で出してと依頼すると、ただの速達で出す。

 キッティングを任せると、必ずミスをし、時に情報流出を起こす。

 公的な書類の作成を依頼した時に、期限を過ぎても放置していることが発覚したことがありました。それも、何十枚も。

 利用者さんの作成したアプリを、走らせることができないまま、そのアプリを評価したこともありました。

 彼女が僕に謝ったのは、覚えている限り二回だけです。

 ありがとうと言われたことは、なかったです。

 そのうち、彼女は自分のミスを隠しだしました。

 まぁ、でも、にんげんだからなぁ・・・。


「彼女のミスは僕のミスだから」

 管理職である以上、それは当然のことです。何度もミスがないか確認し、時に隠されたことを掘り返し、怒りをこらえてカバーする。

 立ち上げ3か月ほどで、彼女のマネジメントについて相談した人はこういいました。

「すんません、そんなデキない人は僕の周りにいないので、お力にはなれません」

「それは精神疾患を抱えてなくてもだれでも病気になるから、とにかく寝ること」

「あなたの施設に患者さんは紹介できないわ」

 上司に何度も「もう無理です」と掛け合いました。

「決められた人員で何とかするしかない。会社員だから…」

 いつも上司はそう僕に言いました。


 退職したBさんと交代で雇ったCさんを解雇しようか悩まれていた時は、必死でCさんを残してほしいと頼みました。僕がつぶれるからです。

 プログラミングの指導をすべて僕が見ていたため、エンジニアの支援員Dさんを急いで雇い、出社日を1週間早めて勤務してもらえるよう調整してくださいました。

 それでもAさんはなにがしかのミスやトラブルを起こす。

 とある利用者さんが何度も迷いながら、口ごもりながら僕に言いました。

「Aさんがみくりやさんを馬鹿にするのがちょっと…」

 そのときぼくは、Aさんをかばいました。

 だんだん上司が視線を伏せる機会も増えました。

上司は優しい人です。

 僕にとって、それはひととしていちばんたいせつなことなんです。

 だからこそ、応えようと努力を続けました。

 Aさんは悪い人ではありません。ただ、どうも耳が悪く、人の話が聞けないようです。

 記憶力も極端に低く、2つお願いをすると1つ目を忘れます。

 文章を理解することが苦手で、書類に書いていることを会議で質問することもしばしばでした。

 回覧する書類は、彼女の席で止まっています。

 何度か重要書類が無くなったときは、彼女の席から見つかりました。

「Aさん、あなたは音を言葉として理解するのが苦手なんじゃないですか?」

 しばしば電話応対で、相手の名前を聞き取れないまま、適当な名字を伝えることがあったので、僕はそのことを指摘しました。

「うえからめせん・・・」

 涙を浮かべて彼女はそうつぶやきました。


出来ないことをやらせようとしている

 それがこの問題の根幹でした。

 Aさんの能力の限界を責めるのは、人格否定なんです。

 つまりこれは、マネジメントの問題だった。

 上司は、Aさんに花を持たせようと、2年間合わない仕事を任せ続けた。

 僕はそれを2年間カバーし続けた。

 ミスを指摘しようとすると、上司からストップが入る。

 それとなく会議の場所でみんなに報告すると、上司がなかったことにする。

 彼女のミスを隠されることにより、僕は孤立感を募らせ、

「他の同僚は『僕が、”Aさんがミスをしていることを、上司がみんなに隠している”という妄想に囚われている』と思っているんだ」

 僕は、被害妄想に囚われていき、病みました。

 今でも不思議なのは、どうしてその時僕を休職させようという提案が出なかったのかということです。


「職場に戻ると、また僕はおかしくなると思うんです」

 社長と上司にそう伝え、離職の希望を伝えました。

 Aさんは年末をもって異動となりました。ですが、大画面でオンラインの会議をするたびに、彼女のミスが露呈し、僕は怒りを抑えるのが苦しくなる。

 躁が出そうになる。

 思い出せば、開所してすぐ、彼女は僕の書く文字がどれだけ下手かを、ヘラヘラ笑いながら事細かに説明してきました。

 その時、僕は躁転したんです。

 躁を抑えて小声になる僕に、彼女は何の悪気もない顔で

「テンション低いんですか?」

 と質問してきました。

 上司にはなんどか

「彼女と働くことが、僕の発症リスクを上げています」

 と伝えたものでした。


凸凹が生きる社会を作る

 Aさんを正社員として雇用したことそのものは、率直に言ってマネジメントのミスだと思います。

 ですが、雇用した以上会社はAさんをとても大事にされました。

 大病院に無理やり解雇させられた経験のある僕にとって、致命的なミスを続ける不器用な彼女を守ることは、嫌みでもなく本当に素晴らしいと思う。

 あれほど凸凹の多い彼女を、叱らず何とか実戦レベルまで育て上げた僕たちは立派だった。

 だから、仕事のできない彼女が活躍できるこの施設はまさに福祉施設の鑑なんじゃないかな。

 だから、お願いします。

 彼女の凹を受け入れてあげてください。

 彼女の苦手を、ちゃんと隠さず見つめ、みんなで補ってください。

 苦手な仕事を、ちゃんと避けるようにしてあげてください。

 得意なところだけを見ないでください。

 迷惑をかけていることを、伝えてあげてください。

 二人の支援員の人生を犠牲にして、会社に残ったことを伝えてください。

 どうか、誰か一人に、彼女のバックアップを押し付けないでください。

 もうこれ以上、彼女のために離職者が出ないために。

 ぼくの、最後のお願いです。


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