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「言の葉をさがして」本編

「……おとうさん、おかあさん……」

女の子が、泣いていた。
小さな体を、震わせながら。

「……どうして、いなくなっちゃったの?
 わたしのこと、キライになっちゃったの……?」

初老の女性が、細い両腕で少女を抱きしめる。
言葉は、出ない。

琴音ことねのこと、世界一だいすきって、言ってたのに……!」

少女の哀しい声だけが、空に響き渡った。

*****

キーン、コーン、カーン、コーン……

「……あー! 今日も終わったぁっ!!」

とある教室の一角で、藤川琴音ふじかわことねはイスに座ったまま背筋をグッと伸ばした。

「琴音っち、おつかれー」「ねー琴音ぇ。古典の授業、まじムズイんだけど!」「ことちん、得意なんだっけ。ちょっと教えてほしいなぁ」

授業が終わるなり、クラスメイトの女子たちが琴音の周りに集まりだした。

「得意ってほどじゃないって。でも終わったら、みんなで遊びに行こ!」「「「 さんせーい!! 」」」

明るい性格とハキハキした声を持った琴音は、人に好かれる要素をはたから見ても持っていた。けれど人に好かれる理由がそれだけじゃないことを、彼女は自覚している。

——彼女は『声音こわね』を操ることができた。

具体的には『人からどんな声が求められているか』を正確に理解し、再現する力があると言った方が分かりやすいだろうか。
例えば「大変だったね」という言葉を掛けるのにも、声のトーン・ボリューム・リズム・タイミングによって、印象はガラッと変わる。彼女はその表現を間違えることなく、いつも的確に、ときに効果的に相手に届けることができた。

相手の求める『声』に応えると、思った以上に信頼や好意が集まった。逆のことをすれば、思った通りの結果に。そんな経験を何度も繰り返してきた琴音にとって、『声音こわね』は人とのコミュニケーションに欠かせない術となり、同時に言葉だけでは何も変えることができない・・・・・・・・・・・・・・・・・・と信じ切っていた。

カラオケ行かない?と騒ぐ彼女たちを避けるように、1人の男子が教室を出ようとする。
「あっ!みんなごめん、ちょっとだけ待って!」
琴音はそう言って、彼を追いかけた。
有馬ありまくん、ちょっといい?」

その声に振り返った有馬晴之ありまはるゆき
「……何か用?」と、淡々と琴音に言い放つ。
「あのさ、さっきの『枕草子』すごいなーって思って!どこで読み方、習ったの?」

その言葉に眉をピクリと反応させた彼は「別に」と言い、じゃあどうして……と言いかけた琴音の言葉よりも先に、きびすを返して去っていった。

数十分前——

『春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる』
古典の授業。席を立って有馬がそう読み上げると

——琴音は幻に襲われた。
静寂の朝、煙立つ白い息、やわらかな光を増していく境界線……まさに彼が読み上げた世界が、目の前に広がるようなリアルな錯覚を起こした。

実は彼女にとって有馬は、以前から少し気になる存在だった。それは求めている『声』が分からない例外的で特殊な人間という意味で。そんな彼から『得体の知れない何か』を与えられたことに、琴音はさらに興味が湧いた。

*****

「ただいまぁー」
琴音は玄関に入ると、知らない人の靴を見つける。遊んで帰りが遅くなった彼女は、チャンスとばかりにそそくさと自分の靴を脱ぎ始めた。

「遅いにも程があるんじゃないかい」
「うわっ!ばーちゃんいつの間に!」
背後からぬっと聞こえた祖母の声に驚く琴音。
「今、来ている客、ちょっとお前も同席しな」

着替える間もなく客間に連れて行かれ、そこに居た白髪混じりの中年男性とあいさつを交わす。とある商店街の会長、と名乗ったおじさんは、改めて事情を説明してくれた。

「イメージ払拭のために、イベントを開催しようかと」

数ヶ月ほど前、担当している商店街で殺人事件が起きてしまった。お祓いは一通り済んでるものの、今後の運営にあたり祖母に『目に見えない部分』の不安や問題を解決してほしい——という依頼だった。

なぜこんな話しが来るかというと、祖母は『霊の声を聴く』ことができるからだ。この辺りでは知る人ぞ知る有名人らしく、お偉いさんとも繋がりがあるらしい。けれど琴音は死者の声は聞こえないし、霊が見える体質でもないので、これまで祖母宛ての相談には一度も関わったことがなかった。

「理由は分かったんですが、出し物で私も歌う・・・・とか、冗談ですよね?」
「お前インターネットで、歌を披露しているだろう? あれと同じようにやりゃあいいんだよ」
「まってまって絶対ムリだって!!」

声音こわね』を操れる彼女にも弱点があった。大勢の見知らぬ視線、もとい『声』が集中的に向けられると、それを汲み取ろうとして頭がパンクしてしまう。だから人目に晒されながら歌うのは、かなり苦手だと自負していた。

「気を取り込むのに音が要るんだよ。お前も出れば、いろいろ都合がいい」
「録音とライブではわけが違u」「下調べに行くから、次の休みは空けておくんだよ」

*****

次の休日。不安を抱えながら、琴音は祖母と一緒に商店街へ足を運ぶ。すると、どこかで見たことのある男子が居ることに気づく。

「有馬くん?」
「知り合いかい」と祖母が問う。クラスメイト、と言うと彼はこちらに気づき、ばつが悪そうな顔をして立ち去ろうとした。

「……そこに居るのは、母親かい」
祖母がぽつりとこぼす。目を丸くしてこちらを振り向く有馬。
「うちのばーちゃん、そういうの少し分かるんだ。ちょっと話、聞かせてくれないかな……」
琴音がそう言うと、彼は声を震わせながら、言葉を絞り出した。
「……母さん。通り魔に、刺された」

「ケンカして、勢いで『死ね』って言ったら……本当に死んだよ。せめてあの日、俺が、家を飛び出すようなマネさえしなれば……」

明らかに後悔の念に駆られている有馬だったが、琴音はやはり彼の求める『声』が分からず戸惑った。一般的に掛ける言葉は知っている。けれど、それが正しい・・・という確証がなくて、黙ってしまった。
そんな琴音の迷いをよそに、祖母は有馬に話を切り出した。

「お前さん。もしワシが『霊の言葉』を聞けるとしたら、母親の最後の言葉を、聞きたいかい?」
有馬は戸惑った表情を見せる。そんなことが可能なのかという疑心暗鬼と、真実を知る恐怖が入り混じっているように見えた。

そして少しの沈黙の後。有馬は、細くも芯の通った声で
「……もし本当なら、聞いてみたいです……」そう言った。
「そうか。なら少し待っていなさい」


聞かれたくない話もあるだろうから、という理由で琴音は遠くから2人が会話している様子だけをしばらく見ていた。最初、有馬は祖母に小さくうなずいて、それからいくつか言葉を交わしていたようだった。そして最後、彼は肩を震わせて、遠くからでも号泣してることが、分かった。

*****

「俺の母さんは、古典が好きだったんだよ」
商店街にある喫茶店で、有馬は口を開いた。彼は小さい頃、母親からたまに古典文学を読み聞かせられていたことをすっかり忘れていたらしい。それが教科書を開いてふと思い出し、枕草子も懐かしい気持ちで読み上げたそうだ。

「言葉の美しさにすごく敏感で、汚い言葉を使うたびに怒られて……それが億劫だったんだ」

琴音は有馬の話を聞くなかで『言葉の美しさ』という概念に衝撃を受けた。彼女にとって言葉とは『声音こわね』を乗せる記号のようなもので、美しいとか汚いとかいう判断を下したことがなかったからだ。

「有馬くんはさ、言葉が美しいって、どうやって分かるの?」
「俺もまだ、あまり分からない」
「……そっか」
少しの沈黙が、続く。

「あのさ、内容は聞かないけど……お母さんの気持ち、ちゃんと伝わってきた・・・・・・・・・・?」
「ああ。感謝しきれないほど、伝わってきた」
「……そうなんだ」
また改めてお礼させてほしいという有馬の言葉に、上の空で返事をする琴音。

彼女は、両親が居なくなった日のことを思い出していた。

……自分も、正しく・・・言葉を伝えていたら、何か変わったのだろうか。

もう戻らない過去に、苦い気持ちを抱えて、琴音は帰路についた。

*****

『歌の連絡に付き合ってほしい』

数日後、有馬と連絡先を交換した琴音は、彼にメッセージを送った。

イベントの日が迫る中、練習を重ねてきた琴音。けれど、やはり知らない人の前で歌うということに、彼女は強い抵抗感があった。
有馬であれば、人間関係はまだ浅い。相変わらず『声』が分からない点も含めて、練習相手として適していると思ったのだが——

「今のところ、こんな感じです……」
もしかしたら『声』とか関係なく、自分はただのあがり症だったんじゃないかという疑惑が出てくるほど、散々な歌い方だった。

琴音は恥ずかしさのあまり
「もう私を殺して……」と言った瞬間、さすがにまずい事を言ったと青ざめる。
「ごめん!そんなつもりはなくて……ほんとごめん!」
少しうつむきながら「別にいいよ」と言う有馬。
沈黙が、続く。

「あのさ、本当にありがとう」
沈黙を先に破ったのは、有馬だった。
「実は俺……死ぬことを、考えていたんだ」

琴音は驚いて、顔を上げる。
「けれどあの時、泣きながら母さんに何度も謝った時に……俺はどんな方法でもいいから、許されたかったんだって、気付くことができたんだ。だから今、違う選択肢を考えられているんだと思う」
「……」

こんな時、いつもなら的確な『声音こわね』で元気づけることができるのだけれど、琴音はやっぱり彼の求めている『声』が分からなくて、どう言葉を掛けていいか分からなかった。

だから
「……あのさ。実は私も、両親が居ないんだ」
普段なら話さないような話を、琴音はふと喋ってしまった。

「失踪?蒸発?そんな感じで。生きてるのかすら分からない。私は最後まで、あの人たちの本心を知ることができなかったし、これからも知ることはできないと思う」
「……」
「だからこの前、有馬くんがお母さんとちゃんと話せたの、不謹慎かもだけど……正直うらやましかった」
「……そう、だったんだ」

——これは勝手な経験則だけど、と有馬は前置きをして
「もし言えなくて後悔してる言葉があるのなら……誰かの前で吐き出してみるのも、悪くないと思う。俺は、心の傷を言葉にできたことが、すごく救われてたと思っている」

(心の傷を、言葉に……?)
彼女はその意味を理解できずに、戸惑った。

その瞬間。

——琴音は、また幻に襲われた。
自分の小さな両手に、ひとつずつ、大きな手が繋がれている。彼らは微笑みながらも、大粒の涙をこぼして……琴音の名前を、何度も何度も呼んだ。温かい体温、温かい眼差し、温かい言葉。このとき、私が思ったのは——

(そうだった、私は、ずっとずっと)
「2人のこと。世界で一番、大好きだった」

琴音の心に、じんわりと温かい『何か』が広がった。それと同時に、涙が止まらなくなった。
この違和感の正体は、何だろう。分からないけど、とても苦しくて……でも、温かい。

有馬は慌てて申し訳なさそうに謝ったが、琴音は心から感謝の気持ちを、言葉にした。

「……ありがとう。やってみる。ううん、やってみたい」

*****

イベント当日。
ステージと言っても、ストリートライブとさほど変わらない舞台。屋台やショッピング目当ての通行人から物珍しい目と『声』が向けられていることに、琴音は想像以上のプレッシャーで手が震えた。

そんな中「ことちん、がんばれー!」という声が聞こえる。他の2人がシー!と慌てて口をふさぎながら、3人の女子が同時に手を振ってくれていた。

少し遠くに有馬も居た。彼のお母さんと一緒に居るような位置で、こちらを見ている。

「変は気は要らないよ。お前が思ったことを表現してくれれば、それでいいんだ」
祖母が、背中を軽く叩いてくれたことを思い出す。

うん、大丈夫。みんな、居てくれている。

「……この曲は、大切だったけど、離れてしまった人たちへの想いを、言葉に詰め込みました。あなたの大切な誰かを思い浮かべなかがら、聴いてほしいです」

たくさんの『声』が聞こえる。
けれど今日からは、私の言葉・・・・も、伝えたい。

「それでは聴いてください… …

  『言の葉をさがして』」



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