神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 83

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大森林:再び編

83 広大な森

 ファンゲンランケの消化液は、魔力に触れると固まってしまう。このことを、私は少し軽く見ていた。
 その結果なにが起こったかと言うと、私のズボンとぱんつがばっりばりになった。
 特殊な性質を持つ消化液ではあるが、魔力を通すまでは液体だ。その状態なら、洗えば落ちる。
 ではなぜばっりばりになったかと言うと、シンプルに、洗いかたを間違えたからだ。
「なんか、動くたびにぱりぱりぱりぱりズボンの砕ける音がするんだけど」
「ズボンは砕けてないよ。ズボンにしみ込んで硬化した消化液が砕けてるんだよ」
 なるほどなあ。たもっちゃんの言う通りかも知れない。ただ、それは今はどっちでもいい。
 順序としては一本目の木を攻略後、オムライスを食べてさらに二本、合計三本のファンゲンランケの木を丸裸にした。
 素材も結構大量にとれたし、恐怖の実のボウルも残り少なくなった。もうそろそろいいかと言うことになり、消化液の採集を終え、びっちゃびちゃの私が洗われたのだ。
 レイニーの強力な洗浄魔法で。
 そうだね。これも魔法だね。魔法って付いてるわ。名前からして。そりゃね。固まりますよね。消化液。
 私は相変わらず魔法と言うものがよく解っておらず、使えるのはこぢんまりとしたマッチ的な火の魔法だけだ。
 あとはアイテムボックスがすごい便利と言うくらいだが、これは魔法ではなくスキルの一種だ。スキルと魔法は性質からして異なり、魔力を消費しないものらしい。
 だから木の中で使っても消化液は変質しなかったし、だから村人レベルの私でも好き放題に使えるのだそうだ。へー。
 それ、先に言っといて欲しかった。
 消化液でびっちゃびちゃの下半身は、洗浄魔法の魔力によってばっりばりになった。ただし、ローバストで買ったブーツは脱いでいたので無事だった。
 ぱんつの替えはさすがにあったが、ズボンはいまだに一本しか持ってない。
 このあと私はぱりぱりぱりぱりなにかが砕ける音のするズボンで、森の中を歩くことになる。嘘だ。ほとんど自分で歩いていない。
 苔の地面に足を取られて何度も何度もすっ転び、首輪の鎖をびよんびよんびよんしてイライラした金ちゃんに荷物のように運ばれた。
「先に水で洗うべきだったな……」
 気付いてやればよかったと、深刻に反省するような顔付きで。水のしみ出す苔を踏み、霧のただよう森を歩いてテオが言う。
 研ぎ澄ました剣のようにきらめく髪を水滴にぬらす姿は絵になるが、そんな真剣に悩まないで欲しい。
 洗浄魔法を使ったのはレイニーだったし、そのレイニーに洗ってくれと頼んだのは私だ。それも、完全に魔法で手早く綺麗にしてくれと言うつもりで頼んだ。
 このズボンが接着剤にひたしたかペンキをぶっかけて乾かしたみたいな感じになったのは、控えめに言っても十割くらい私がポンコツなせいだった。どうか気にせず、早急に忘れてくれるとありがたい。
 ぱりぱりぱりぱりズボンの砕ける音をさせながら、トロールの金ちゃんにはこばれること二日か三日。多分そのくらいだと思う。
 我々は霧にしめった森を抜け、ごうごうと流れる川に出た。
 その川を、私は最初湖だと思った。広いのだ。ものすごく、川幅が。
 向こう岸は相当に遠く、遠い水際の草や葉の色がどうにか解ると言うくらい。水はおどろくほどに透明で、澄み切った川底は岩や石がごろごろしているのが見える。
 透明な水は結構な速度でどんどん流れ、だから私も湖ではなく川だと解った。その川も、少しくだるとすぐに終わった。その先には地面がなくて、巨大な滝になるからだ。
 ただし、それを滝と呼ぶのだと気付くにはまたいくらかの時間が必要だった。
 その光景は最初、地面にばっくり開いた亀裂に大量の水が吸い込まれているように見えた。
 近くに行って亀裂を覗くと、森の間を切り裂くようなその地面の切れ目はめまいがするほど高く切り立つ絶壁の崖だ。
 湖かと思うほど広い川の大量の水がざばざば絶えず流れ込み、断崖にはさまれた谷底に荒れ狂うような激流を作る。
 その勢いはすさまじく、谷底にぶつかり砕けた水は渓谷をはさむ断崖絶壁を吹き上げて崖の上まで息苦しいほどの水煙を運んだ。
 大自然である。
 その、人間なんてほんの小さな存在にすぎないのだと。どこか圧倒するかのような光景に、私は。
 なんかもう、やだなと思った。
 もうやだ、自然。
 雄大すぎて、ちょっと引く。
 私たちはいつの間に、こんな広大な森の中にいたのだろうか。
 いや、話は聞いていた。大森林、広い。見渡す限り、大森林。
 ただイマイチ実感がなかった。しょうがない。森の中にはもさもさした木と草だけだ。視界一面全部森。視野が異様にせまいのだ。
 こうしてスコンと開けた場所に出て、やっと、なんて大きな森の中にいるんだろうとじわじわ実感がしみ出してきた。
 すごいなあ。やだなあ。やだなあ、ほんと。
 帰りたい。もうちょっとだけ緑の薄い、知的生命体が多めの社会に。
 自然とか、もういいんだよ。文明的なものに触れたいんだよ私は。
 あと、取り急ぎ新しいズボンが欲しい。レイニーに何度も洗浄魔法を掛けてもらって多少はマシになってきたけど、なんかこれずっとはいてるとちくちくしてきた。
 谷底から吹き上がる水煙を浴びて、全身びっちゃびちゃになりながら私はぼんやりそんなことを思った。
 我々は崖の上にいた。
 そしてすぐそばを流れる、雄大と言うほかにない巨大な川や滝を見ていた。
 たもっちゃんも水煙でずぶぬれになりながら、しかしそんなことには構わず私の横で立ち尽くす。どこまでも広がる大自然を前に、圧倒されているのかも知れない。
 と、思ったけど、どうやら違った。
「しまったなぁ」
 呟く声は、本当に残念そうだった。
 ごうごうと流れる大きな川を見ながら、たもっちゃんはおしむようにさらに言う。
「見て、リコ。魚いるよ、魚。リンデンでも連れてきてあげればよかったなぁ」
「わかる」
 湖かと思い違いをするような広い幅を持つ川は、その水面のあちらこちらでびちびちと魚がはねていた。
 魚を素手で捕まえるクマ。超見たい。
 その気持ちは、すごくわかった。
 ただ、しばらく眺めて気が付いた。ここの魚は、普通ではないと。
 魚は水に住むものだ。川にいても不思議ではない。ただ、泳いでくる方向が変だった。
 びちびちはねる魚たちは残らず、川下からやってきて上流に向かって遡上しているのだ。
 それはいい。そう言う魚は、地球にもいる。
 しかしこの場所の川下と言うと、切り立った崖から轟音を立てて絶えず流れ落ちているこの巨大な滝と言うことになる。
 それは、ちょっと意味が解らない。
 川が崖を流れ落ち、滝になる。その境目で、滝の中から飛び出して上流の川にびちびち飛び込む魚たち。強い。
 キミたちは、みんな滝をのぼってきたと言うのか。いや、それ以外にないけど。のぼっているのは、垂直の滝だ。のぼれるのか。垂直に流れ落ちている水を。登竜門なのかな。キミたちは、これから竜にでもなるのかな。
 とりあえず、私が知ってる魚類とは違う。
 遡上する魚は、おっさんの太ももとふくらはぎを合わせたくらいの大きさだった。顔はいかつく、目付きは鋭く、口は堅くとがって噛み付きそうで恐い。
 そのことを知ったのは、大きめの石がごろごろ転がる川原の上に魚が水揚げされてきたからだ。
 地球産のサケと言い、川を遡上する宿命を背負いし魚は顔が恐くなければならない決まりでもあるのだろうか。
 こんな魚を獲れと言って川の中に突き落とされても、リンデンは多分よろこばないだろう。私なら、とりあえず川に落とされる前に手近な人間を巻き添えにする。
 しかし、そこへ自ら飛び込む者がいた。
 金ちゃんである。
 多分大森林出身のトロールは、たくましかった。見た目より速い川の流れにざぶざぶと、太ももくらいの深さまで入ると無造作に水の中に片手を突っ込む。そして雑に水をすくうような動作で、水中から川岸に向かってぽいっとなにかを投げ上げた。魚だ。
 金ちゃんが水の中に腕を入れぽいぽい水をすくうような動作をするたび、川原には重たく恐い顔の魚がびったんびったんと落ちてきた。なんとなくだが、漁法がクマ。筋力と野生の勘に全振りすると、クマになるのか。
 十匹ほど魚を川原に投げ上げて、金ちゃんは満足したのか水から上がった。そしてまだびちびち動く魚を一匹、持ち上げそのままかじろうとして――たもっちゃんに止められた。
「料理させて! お願い! 料理するから! 俺、頑張るから! お願い! 待って!」
 たもっちゃんは魚をつかむ金ちゃんの腕にすがり付き、必死で食の大切さを説いた。

つづく