神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 164

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力業で人助け編

164 複雑な出会い

 ああ、金ちゃんがうらやましいなあ。
 ちょっと人の名前を忘れたからって、怒られたりしないんだものなあ。
 私は、ぼんやりとそんなことを思った。
 レイニーが首輪の鎖を短く持っているためか、まるで我々に付き合うように金ちゃんは廊下に屈み込んでいた。
 そして額を突き合わせた私たちのすき間にぐいっと割り込み、強い意思を感じさせる瞳で私の頭をぼよんぼよんと叩き続けた。
 多分おやつが欲しいのだろう。金ちゃんは自由な男なのである。トロールであるがゆえ、人の道理に振り回されたりはしないのだ。
 いいなあ。私もトロールになりたい。いや、嘘。やっぱ、トロールはきつい。半裸だし。
「金ちゃんの毛皮ももういらないかも知れないねえ」
 春だものねえ。みたいな感じでおやつを食べる金ちゃんの、体に巻き付けた魔獣の毛皮をさわさわなでる。
 と、レイニーがそっと私の手を押さえ、静かに悲しげに首を振って言った。
「リコさん、現実逃避はその辺にしましょう」
 はい。

 我々は、ズユスグロブ領に触ってはいけなかったのだ。
 例の男爵親子を経由してすでに一回いざこざ的なものがあったし、純白の砂糖については真っ正面からケンカを売った。
 ただ異世界の常識がなくて、なにも考えてなかっただけだが。その事実は変わらない。
 その辺をどうにかしてくれて、今もどうにかしてくれているのはアーダルベルト公爵だ。なんか知らんが、超ありがたい。
 それに引き換え、我々はどうだ。
 わざわざお砂糖の産地に迷い込み、公爵の努力をうっかり無に帰そうとしている。
 また一つ、公爵に言えない秘密が増えてしまった。怒られるし。多分絶対。
 私は今回初めて知ったが、この世界の微妙に白くない白砂糖の原料は花なのだそうだ。
 どうやらズユスグロブ領に入ってから大量に見る、あの桜に似た花がそうらしい。
 なるほどなあ。だとしたら、あの淡く絢爛に咲きほこる木々を見る人が見れば、ここが砂糖産業の盛んな土地だと言うことはきっとすぐに知れたのだろう。テオとか。
 なのに、どうして。こんな時にテオはいないんだ。知ってる。仕事だ。でも、テオさえいればこんな事態は避けられた気がする。
 しかし同時に、こうして迷い込んだお陰でもあった。
 わあわあ言いつつ現場監督のおっさんに地主の屋敷に連れてこられて、結果、多少なりとも若様の助けになることができた。
 それを思うと、この複雑な出会いを変に回避しなくてよかった。ただただ我々の立場的なものが、非常に微妙であるだけで。
 あと、テオが不在と言うことはあれだ。これから私は一体誰に、甘くない玉子を焼いてもらえばいいのだろうか。
 遅れてきた突然のテオロスに、思わず私はうろたえた。
「どうしよう。ねえ、たもっちゃん」
「いや、知らないよ」
 うん、そうかなとは思ってた。
 若様について、これからの治療方針は治癒師や薬師と相談することになるだろう。
 しかしそれはそれとして、強靭な健康が付与されたお茶は種類を問わずかなりの量を接収された。
 呪いを根本的にどうにかすることこそできないが、強靭なお茶を飲んだり湿布にすることで呪いが広がり病んだ部分を少しずつでも癒せるきざしがあるからだ。それで充分、効能がでたらめであるらしい。
 まあ、それはそうだろう。万能薬で一進一退の病状なのに、お茶でなんとかなりそうってなんだ。意味が解らない。東洋の神秘か。
 なんかとりあえず全部置いて行けとか言われたが、私も所構わず草をむしりにむしってきた実績がある。ギルド窓口で怪しまれずに一度に売る量には限界があるため、アイテムボックスで死蔵した草は自分でもちょっとどれくらいになるか解らない。
 案の定、乾かしたものだけでも全部と言うのはムリだった。と言うか在庫の量と比べると、なんか全然減ってない。
 思う存分吐き出せとばかりに草だけのためにそこそこ広い部屋を提供されて、お言葉に甘えてぽいぽい草を出してたら割と早めにストップが掛かった。
 下に置くと保存性が悪いと言うので、草は魔道具で鑑定しつつ袋に詰めて太い梁に吊るされて行った。それも途中で小分けにしてたら追い付かないと気が付いて、大人でも入りそうな大きな袋に変更される。
 人間サイズの大きな袋が梁からいくつもぶら下がり、せまくはない室内を圧迫している光景は異様な空気感を出していた。
 なんとなく、精肉店の猟奇連続殺人犯が丸ごとの牛と一緒に死体を吊るす冷凍室みたいなおもむきがある。
 この草の代価はちゃんとくれるそうなので、正しくは接収と言うべきではない。ただ使用人のご婦人がたから発せられる圧がすごくて、巻き上げられた感覚が強い。ポケットの小銭を探してジャンプさせられるかと思った。
 また、ご婦人たちはお茶だけでなく万能薬も買い求めてくれた。
「こっちは収入になって助かるけど、いいの? もう万能薬そんな使わなくない?」
 若様の呪いは万能薬と相性が悪い。特に我々の薬だと、効能も高いが副作用もきつい。
 私の問いに、若いご婦人は表情を曇らせうつむいた。
「……不安なんです。若様を治療するには万能薬しかないと思ってきたので……使わないかも知れません。でも、手元にないのは……」
 お守りか、保険代わりと言うことだろう。
 こちらもやはり「あるだけでいいから」みたいな感じで言われたが、我々はほら、目分量がバカだから。我々って言うか、主に私が。
 ドラゴンさんと一緒に作った万能薬は、丸薬にする前のこげ付いたペーストの状態で大人が三人くらい煮られる鍋にいまだこれでもかと残っているのだ。
 その鍋を取り出して見せて、「どうする?」と聞くと使用人のご婦人たちから返ってきたのはものすごく長い沈黙だった。見た目のインパクトが強すぎたんだろう。あと量と。
 早すぎず、遅すぎず。体感で大体午前十時頃、我々をこの屋敷にしょっぴいてきた現場監督のおっさんが元気いっぱいに姿を見せた。昨日から預けてあったワイバーンを解体し、素材にして持ってきてくれたのだ。
 これはワイバーンを丸ごと運ぶのは大変だと気を使ってくれてのことだが、おっさんが素材を持ってきた時すでにお茶やら万能薬の大きな鍋をぽいぽい出したあとだった。
 アイテム袋かアイテムボックスか知らんけど、もうなんか。ワイバーンの五、六匹、ホントは余裕で入ったんじゃね? と言うことはご婦人たちにはバレていた。
 しかし、若い女と老婆の二人は沈黙を守った。我々が隠したがっていると察したか、張り切ってワイバーンを解体してくれたおっさんの心情を思いやってのことだろう。助かる。
 そんなことをごちゃごちゃやって、気付くとお昼近くになっていた。
 そのことに、たもっちゃんはハッとした。
 これはいけない。行かねばと。大体の感じで大森林の方向を向いて、キリッと出発を宣言していた。難色を示したのは若い女だ。
「やっぱり、もう少し残れませんか? 若様は目覚めたばかりで、まだどうなるか……」
 若様命のご婦人はどうしても心配が止まらないらしい。心配だ。あー、心配だ心配だ。みたいな表情を全開に、魔法で浮かせたボロ船に荷物を積むのを手伝ってくれる。
 それらはどれも値が張りそうで、ギルドを通さず現金を得てはいけない我々のために代価としてかき集めてくれた品物だった。
「でももう私らにできることとかないよ」
「それは……そうかも知れませんけど……何だか、あなた方がいなくなったら全部夢みたいに消える気がするんです」
 今まで、若様の病状は悪くなるだけだった。
 それがいくらか改善したのも、これから快方へむかって行くことも、彼女には信じ切れないことなのかも知れない。もう使わない万能薬を丸薬で三十個も買い取ったのは、きっとその不安の現れだろう。三十個て。
 我々はギルド証を提示していたし、それにより冒険者ギルドを通せばほぼ確実に連絡が付く。そしてなにより、恩人を困らせてはいけないと若様が口添えしてくれていた。
 だから彼女も強引に引きとめると言う感じではなくて、どんなに万全に備えても不安で仕方ないだけのようだった。そんな彼女をたしなめたのは、年かさの使用人たちだ。
「恩人に無理を言っちゃならん」
「そうさね。面倒がってここに寄りつかなくなったらどうするんだい」
 若様の呪いは根本的に解けてはいない。お茶はこれからも必要だから、よく機嫌を取っておけ。おっさんと老婆にそんなふうに説得されて、若い使用人もしぶしぶ折れた。
 このすきに、と我々は船に乗り込み集まった人たちに別れを告げる。ついでに、たもっちゃんは最後に大切なお願いをした。
「それじゃ、行くね。あとこれ大事な事なんだけど、俺らがここにきたとか、会ったとかって、領主様には全部内緒にしてね」
 じゃ! と言い捨て素早く船を浮かせると、全速力でその場を離れた。
 後ろのほうから「は?」と同時に複数叫ぶ声が聞こえたような気もするが、よく解らない。絶対に振り返らなかったので。

つづく