神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 174

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エルフの里訪問編

174 静かな朝

 熱狂から一夜。
 打って変わって静かな朝に、私は叩き起こされた。起こしたのはメガネだ。
「リコ、味噌出して。味噌。あと貝も」
 たもっちゃんは早朝と言うのにみじんも疲れを感じさせないテンションで、完全なアイテムボックス目的で私を台所まで引きずって行った。
 我々が宿泊するのは日本の古民家めいている、エルフの里長の家だった。
 囲炉裏が切られた居間の隣は、一段下がって外へと続く土間だった。そこには使い込まれた大きなかまどが二つあり、アイテム袋に持っていたのかその両方に自前の大鍋が載っていた。まだ火はどちらも入ってないが鍋には水が七分目ほどに満たされて、浮いているのは煮干しめいた小魚の干物だ。
 どう見ても味噌汁の準備が万端だった。あとは材料だけなのだろう。
 たもっちゃんはこれでもかと大量の味噌汁を作って、里のエルフに配り歩くつもりのようだ。
 昨日の夜は日本酒を味見をしていたエルフも多い。少し気だるい二日酔いの朝には、貝の味噌汁がしみるのだ。
 寝ぼけながらに言われるままに食材を出し、土間と居間の間の所でぼんやり座る。
 まだ人の気配が希薄な時間。聞こえてくるのはカチャカチャと、背中を向けてかまどに向かうメガネの料理の音くらいのものだ。
 静かだ。
 エルフと一緒にウホウホと、ラーメンを称えた昨夜のことがまるで幻のようだった。
 と、そこへ。
 細長い土間の突き当たり、勝手口の木戸が開いて外から誰かが忍び込む。忍び込む、と言うのは実は正しくないかも知れない。しかしそう言いたくなるくらい、全ての動きがそっとしていた。
 しかし、土間は台所でもある。そこにはメガネが陣取って、ダシを煮出した小魚を鍋からていねいに引き上げていた。
 たもっちゃんは手を止めて、元々なにもしてない私と一緒にじっと彼を見る。そんな我々に気が付いて、忍び足の青年は一瞬びくりと固まった。
「……あ、お早うございます。早いですね」
 しかしすぐ、そんなふうに挨拶をした。礼儀正しい。この状況をなんとかごまかそうとしたのかも知れない。
 それはエルフの里の住人ながら、人族の、奴隷の首輪を無意味に着けた元城主の青年だった。
 たもっちゃんが、ぼそりと呟く。
「……朝帰りか」
「えっ、いえ。そう言うことでは……」
 ここは里長の家である。
 我々と同様に青年は、里長の家に預かられているのだ。昨日、異世界ラーメン振興党発足ののち、普通に軽く後片付けしてから宴会が解散となってそれが解った。
 実家のほうに戻って行った嫁を見送り、青年が「義父の許しがまだもらえなくて……」と切なげに言うと、「解る。親父の気持ちってもんがあるよな。解る」などと、男親の悲哀に同情するように見せ掛けて、たもっちゃんはざっまあとねじれたよろこびにへらへらと笑った。なんとなく、こう言うとこだと本当に思った。
 なので仮にではあるが、青年の帰るべき家はここである。忍び込むと言うよりは、門限を破った子供がどうにかバレずに自室に戻ろうとしているやつだ。アメリカの青春映画とかで見た。
「じゃーあれか! 早朝デートか! ちくしょう! 爆ぜろ! 爆ぜてしまえ!」
「静かに! お静かにお願いします……!」
 嫉妬で荒ぶるうちのメガネに青年がわあわあすがり付き、なんだなんだと里長とその家族が起き出してくる。
 すぐに早朝の無断外出を見抜き、青年をその場に座らせる里長。かまどに乗った大きな鍋に、なんだその鍋そんなにスープどうすんだとあきれ返る里長の奥さん。
 なんの騒ぎだと遅れて出てきた里長の息子が同居する青年の不運を察し、なにやってんだもっとうまいことやれよとか余計なことをポロッと言って父親である里長についでにめちゃめちゃ怒られる。
 しっちゃかめっちゃかになったところへレイニーと金ちゃんが最後にのそのそ起きてきて、忙しく働く奥さんと手伝うメガネが朝の食卓を整えた。
 結局、たもっちゃんのエルフの朝食味噌汁化計画は頓挫した。
 朝食の準備にジャマだと言われ、ダシを取った状態の鍋を二つとも引っ込めなくてはならなかったからだ。
 アイテムボックスにしまっておけば、腐ったり悪くなることもない。ほかのアイテムボックスもそうなのかは知らないが、とりあえず私に与えられたものはそうだ。
 だから保存には別に困りはしないが、そもそもアイテムボックスの中には昨日作ったやたらと大量の味噌汁がある。たもっちゃんが今朝作ろうとしていた量より少ないが、あれから先になんとかしたほうがいいような気がする。昨日のやつを量産することになったのは、目分量バカの私のせいだが。
 また、たもっちゃんにはもう一つの誤算があった。
 宴会で浮かれたエルフたちの中には、味見と言うには少々多く酒を飲みすぎていた者もいる。一夜明け、メガネはそれで体調を崩したエルフはいないか心配したが、なんか普通にいなかった。
 とんこつラーメンを食べたあと、脂質を称えて効能のよく解らないお茶で乾杯したことが多少は関係あるのかも知れない。ほら、薬草茶。大体ふわっと体にいいから。
 なので二日酔いの弱った体に滋味のあるミソスープで付け込んで、うまいことエルフと距離を縮めたいなどとこざかしい変態のもくろみは実行前に破綻していたのだ。
「俺だってさぁ!」
 たもっちゃんは叫んだ。
「エルフにさ! 優しくちやほやされたいんだよぉ!」
 前日の宴の痕跡が、うっすら残るエルフの里の広場でのことだ。なにを言っているんだお前は。
 宴の跡が残ると言っても消火して薪を除いたたき火の跡や、魔法で作った簡易的なかまどが冷えた姿を見せているにすぎない。
 たもっちゃんはそれらのかまどに火を入れて、やけくそのように湯を沸かす。
「俺だって! 俺だってやる時はやるんだ! ふふっ! ふははははは!」
 そしてごつごつとした赤土色の、岩のような物体を高笑いしながら沸き立つ熱湯の中に投じた。
 その岩にしか見えないかたまりは、しかし熱いお湯に触れるとさっと抹茶色に変化した。すると固い表面がめきめき細くひび割れて、ひとかたまりに同化していた足の部分がぶわりと開いてゆで上がる。
 カニである。
 どうしてゆでると抹茶色になるのかいまだに納得行かないが、異世界のカニはこうなのだ。あと、洗面器を伏せたくらいの大きさで、太めの足が二十本ほども生えている。これは最高だと思う。
 異世界ではなんか臭いがやだとか言って、あんまり食べられない甲殻類はしかしなぜかエルフにはウケた。てっぱんの食材だ。
 つまり滞在二日目の朝にして、うちのメガネは絶対ウケるアイテムでエルフの関心を引こうとしていた。
 必死か。なんか最低と思わなくもないが、勝手に追い詰められている姿にホントかわいそうみたいな感じもしてくる。
 たもっちゃんはカニを次々ゆで上げてこちらにぽいぽい運んできては、アイテムボックスにしまっといてと雑に強要し続けた。こうして大量に仕込んでおいて、お昼になったら一気に放出するのだそうだ。
 朝食が終わってすぐの早い時間帯からお昼の準備にせっせといそしむメガネのかたわら、私は私で固めの植物を編んで作った敷き物の上にエルフのご婦人たちと車座に座る。
 またその敷き物のさらに隣には、専用の石のテーブルでゆでたカニを叩き割り黙々と口に運ぶ金ちゃんとレイニーの姿があった。
「金ちゃん、殻はやめなさい。ペッ、しなさい。ペッ、て」
「リコさん、お醤油がもうありません。次を」
 いくら言ってもカニを殻ごとばりばり噛み砕くあまりにワイルドなトロールに、思わず歯周ポケットが心配になる。ポテトチップとかでもさ、痛いじゃん。刺さると。
 どうでもいいからしょう油を出せとせっつくレイニーにダンジョン産の調味料を容器ごと渡し、こねこねと忙しく作業しているエルフのほうへと向き直る。
 車座のエルフに囲まれる形で、敷き物の上には大鍋があった。中身はこげたペースト状の、ドラゴンさんの万能薬だ。
 昨日話し合って決めた通りに、エルフに渡すぶんの万能薬をビー玉サイズに丸める作業中なのだ。ただ、私はほとんど見ているだけだった。悲しいけれど、手伝うと余計に手間が増える人間もいるのだ。
 そうして万能薬の大鍋のそばでぼーっと作業を見ていたら、ふと。ほっそりとしたエルフの手元に影が差す。
 いや、手元だけじゃない。広場や、木々や、里全体が。突然、ふっと、影の中に沈んだ。
 見上げると、そこには視界いっぱいに。
 びかびか空が輝いて、巨大な、真っ黄色い太陽がぎろりとこちらを見下ろしていた。

つづく