神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 79

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大森林:再び編

79 グランツファーデン

「えっ、リコ……なんか……そのままエンパイアステートビルとかに登りそうだね」
 ぶらんぶらんと高い位置に持ち上げられた、私を見上げてメガネが言った。
 たもっちゃん、そのネタはちょっとだけ古いタイプの地球人にしか通じないと思うの。私に通じればそれで充分と言う気はするが。
 私の体を雑につかんで持ち上げて、ぶらんぶらんと運んでいるのは金色の大きなサルだった。私が親分と呼び敬愛してやまない、心優しきグランツファーデンその人である。
 人じゃないけど。サルだけど。いいの。親分はそんな型には収まらないの。
 とにかく、我々は再会したのだ。うれしい。私、すごいぶらんぶらんしてるけど。
 親分のぶ厚い手につかまれて、運ばれたのは増設中の温泉のそばだ。まだお湯はたまってないが、湯船の形はできている。
 新しくできた部分は十畳ほどの長方形で、人の身長くらいに深い。先に作った三畳あるかないかの浅い湯船は四角いフチの一辺が崩され、そこにくっ付け増設した深い湯船とつながっていた。
 ただ、お湯の供給量は変らない。
 フラウムの木でできたパイプから、出てくるお湯は家庭用の水道を全開にしたよりいくらか少ないままだった。この深く広くなった露天風呂をいっぱいにするには、恐らくすごく時間が掛かる。
 たもっちゃんはゆっくりお湯がたまるまでの間に、余裕を持って排水路を作るつもりでいただろう。しかし、その時間は多分ない。
 すでに湯船の中を覗き込み、底のほうにじわじわお湯がたまって行くのをじっと見詰める親分がいるのだ。
 私はぶ厚い大きな手につかまれたまま、ぶらんぶらんしながらに言う。
「たもっちゃん……親分さ、お湯がたまるの待ち切れなくて出てきちゃったんだと思うの」
「レイニー! 湯船にお湯張ってー!」
 俺、がんばって排水溝作るから!
 たもっちゃんはちっくしょーとばかりに涙ぐんで叫んだが、あれはきっと親分の役に立てるうれし泣きだと私は信じる。
 期待いっぱいの親分に見守られ、排水路はすごい速度で急造された。水が流れ込んでも大丈夫そうな沼地まで、たもっちゃんは土の造成魔法を乱発しながらがんばって走った。
 別に走らなくてもよかったとは思うが、親分をお待たせしてはいけないと言う強い思いがそうさせたのに違いない。メガネは犠牲になったのだ。二、三日遅れてやってくる、中年の悲しき筋肉痛とかの。
 たもっちゃんが沼地まで走っている間、しかし我々もただ遊んでいた訳ではなかった。遊んでなかった訳でもないが。
 ここぞとばかりにちゃんと張り切り、親分をブラッシングしたり冷えたミルクを捧げたりした。接待である。
 親分は包容力あるサルなので、我々の接待を受け入れてくれた。
 もはや親分用になったブラシを私がカバンから取り出すと、大きな体を傾けてブラシを掛けて欲しい部分をこちらに向けたり差し出したりもしてくれる。
 これは私の手が届きやすいように、気を使ってくれたのかも知れない。優しい。さすが親分。できるサルは違う。ブラッシングも二度目とあって、心得たものだ。
 この作業によってまだ在庫のあるグランツファーデンの毛のかたまりが、またさらに増えると言う現象があったが仕方ない。親分の毛をムダにはできない。売れると高いし。
 ざっとだが全身のブラッシングが終わると、親分は新しくできた湯船の中に体を沈めた。
 深い湯船はレイニーがどばっと作った適温のお湯で満たされており、グランツファーデンの大きな体もゆったりつかれるようだった。
 露天風呂に肩までつかって気持ちよさげに目を細めるサルと言う、日本人的にほっこりする光景が異世界に誕生した瞬間であった。ただし、サイズは考えないものとする。
 排水路を作りつつ走って行ったうちのメガネが、一仕事終えた感じで沼地から戻ってきたのは結構経ってからだった。
 たもっちゃんは見るからに疲れてぐったりと、どこまでも面倒見のいいテオの肩を借りていた。きっとすごくがんばったのだろう。えらい。ただ、タイミングが悪い。
 戻ってくるのが遅かったので、なんかもういいんじゃね? と。
 その時のレイニーや私やトロールは、ミルク片手の親分と一緒に湯船につかってぼーっとしていた。
 なんか親分も慣れてきてるし、一緒に入っても大丈夫かなと思ったら大丈夫だった。
 前回学んだ大森林ルールも適用し、お風呂の中でも服は着ている。トロールもふんどし着用なので、どうか安心して欲しい。
 自分が一人でがんばっている間に先に温泉を堪能していた我々の、この上なくリラックスしてだらけた姿に疲労困憊のメガネが膝から崩れ落ちると言うできごとはあったが、なかなかよい一日をすごしたと思う。
 我々がもめたのは、次の日のことだ。
「じゃ、そろそろ大森林の奥へ行こうか」
「やだ。もっと親分とお風呂入る」
 露天風呂も大きくしたし、目的は果たした。
 そうして出発を宣言したメガネに、私が抵抗したからである。
「えぇー……リコ、何でそんな親分の事好きなの?」
「いや、たもっちゃんも解るでしょ。サルと温泉入るとか、ちょっとした日本人の夢でしょ実際」
 それも本心の一部だし、私は同時に別の心配もしていた。
 グランツファーデンである親分は、高級素材の製作者なのだ。それがほら、こんな近くにいるとほら。よからぬことを考える奴とか、出てきそうじゃない?
「あれでしょ? この辺、これから人増えるんでしょ? ブルッフの実がシーズンで。あの包容力にあふれた親分が、よからぬ輩の手に掛かって毛と言う毛をむしり取られたらどうしてくれんの」
「しかし、グランツファーデンだぞ。簡単には生け捕りにできないし、生け捕りでなければ意味がない」
 そう心配することはないと、思慮深そうに眉をよせてテオが言う。まあ、解る。理屈ではそうだ。でもさー、そうじゃないんだよ。
「大丈夫かも知んないけどさー、ここ、温泉じゃない? 親分には安心して超リラックスして欲しいのね」
 グランツファーデンを死なせてしまえば、きんぴかの毛は色褪せて価値がなくなってしまう。しかし目の前に実物がいたら、欲をかいて手を出す奴がいるかも知れない。
 そんな冒険者ばかりではないのだろうが、結構なバカがいるってことも最近聞いて知っている。アルットゥたちの件とかで。
 野菜スープとオムレツにやわらかいパンで朝食にしながら、我々は話し合う。
「でも俺らもずっとここにいる訳にも行かないし、どうしようもなくない?」
「たもっちゃん、そこをなんとか」
「じゃあ、冒険者ギルドで保護してもらったらどうっすか?」
 あ、オムレツはふわっふわにしてもらえるとうれしいっす。
 そんなことを言いながら、大きな木箱を背負った男がしれっと話の輪と朝食に加わった。
 それは前回この溶岩池のほとりにきた時、たもっちゃんやテオたちと温泉を掘った仲の薬売りである。なにしてんだここで。
「ねえ、仕事してる?」
「してますって。やだなー、姐さん。担当がこの辺なんで、通り掛かっただけっすよ」
「保護って? そう言うのって、してもらえるもんなの?」
 薬売りの男のために追加のオムレツを作りながらに、たもっちゃんが問う。薬売りはその手元をうれしそうに眺めて、詳しいことを教えてくれた。
「グランツファーデンの素材って、割とめずらしいじゃないっすか。それがここだと、温泉の排水に結構まじって流れてるんすよ」
 ちなみに、これが温泉で拾った親分の毛っす。と男は綺麗にそろえて紙に包んだきんぴかの毛を、背負った箱から取り出して見せた。
「ねえ、仕事して。て言うかこの箱、薬とか入れて運ぶやつじゃないの?」
「姐さん、何言ってんすか。薬はアイテム袋の方っすよ。箱ん中だとすぐ割れちまうし、こっちはこの通り、満杯なんす」
 薬売りの背負った木箱は、男の上半身より少し大きいくらいのサイズだ。中は四段に区切られて、一番下はさらに三つに分けられた横並びの引き出しになっている。
 私はてっきりこの中に、ポーションなんかを詰めて運んでいるのだと思った。でも違った。中は小さめの虫でいっぱいだった。
 小さめと言うのは異世界基準で、箱の中で糸を吐くのは親指くらいのクモやイモムシたちである。このガーゼのように重なる糸が丈夫で伸縮性もあり、止血などに役立つらしい。
 話は解る。だが自分の体がものすごく健康でよかったと、心の底から真顔で思った。
 この温泉地で親分を保護したら、少しずつでも安定して素材の供給を得られる。薬売りの話では、冒険者ギルドをそう言いくるめたら向こうから進んで人員を出してくれるだろうとのことだ。
 マジかよじゃあ排水口に網かなんかあったほうがいいかも知れないねーとか言って、食事を終えると我々はもう一度冒険者ギルドに逆戻りすることになった。
 なかなか大森林がうろつけないと、たもっちゃんはすねてぶちぶちとぼやいた。

つづく