神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 137

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一家離散編

137 もっちゃりと

 ユーディットの長々としたお説教は恐らく、たもっちゃんの心に深く食い込んでいるのに違いない。
 大森林の真ん中の半壊した小屋にやってきて、おもむろに料理を始めたりしたのは多分そのせいだと私は思うの。ほっとくと、今日はなんだが帰りたくないとか言い出しそうな気がする。
 さすがユッタンと感心したが、どうやらそれだけが理由でもなかったらしい。ちょっとはそれもあったようだが。
 たもっちゃんは小屋の中の小さな暖炉に鍋を掛け、薄切りにしたなにかのお肉と野菜をことことと煮た。そして腰にくくり付けたカバンから、手の平サイズの丸っこい入れ物を出した。
 それは陶器のようであり、表面はつるりとなめらかだった。広く作られた口の所は返しみたいにぽってり出っ張り、なめした革をかぶせた上からヒモをぐるぐる巻き付けてある。
 問題は、中身だ。
 たもっちゃんがヒモをほどいてフタを取っても、私にはまだ解らなかった。
 しかし容器の中にスプーンを差し込み、もっちゃりとすくい上げられたその茶色いペーストに。そしてそれを迷いなく鍋の中へと投じる姿に。
 私は、思わず震えて衝撃を受けた。
「味噌じゃん」
「うん、そう。わしが育てた」
 ダンジョンか。ドラゴンさんのお宅の下の。
 たもっちゃんがちゃかちゃかと鍋に味噌を溶かすのを見ながら、私は、胸の奥のほうからなにか。どうしてもうまくは言えないが、こう。熱いみたいな、どばっとしたなにかがあふれてくるのを強く感じた。
 それは郷愁と言うのかも知れないし、単に味噌に出会うのが久しぶりすぎてテンションが変になっているのかも知れない。
 そうして手早く作られたのは、トン汁めいたものだった。入っているのが謎肉なので、本当にトンかどうかは解らない。
 しかし、細かいことはどうでもよかった。
 たもっちゃんは味噌仕立てのスープをそそぎ、もわっと白く湯気の立つ熱いお椀をこちらへよこした。
 両手で受け取り、うつわの端から少しずつ、そっと口に含んで味わって飲む。
 茶色いスープにはほどほどの油がただよって、底に沈んだ細かい野菜もダシがしみてて絶対に日本人を裏切らない味だ。
 できたての料理はめちゃくちゃ熱く、そしてひどく懐かしかった。しみる。
 大人になってからなんとなく、味噌汁なんかも食べる機会が減っていた。なのにこうして口にするだけで、心の底からほっとするのだ。いや大したもんですよ。味噌ってやつは。
 きっとこう言う、体の芯に刻まれたみたいな食べ物をソウルフードと人は呼ぶのに違いない。ホントかどうかは知らんけど。
 その魂にしみるような懐かしい味に、私は。
 でき掛けのダンジョンで調味料育てるのに夢中になって、数日溶かしたメガネのことを全て許した。これは仕方ない。なんならもっと溶かしてもいい。
 味噌。しょう油。マヨネーズ。ケチャップ。タルタルソース。とんかつソース。ウスターソース。焼きそばソース。うなぎのタレ。焼肉のタレ。中華スープの素。固形コンソメ。めんつゆ。白だし。日本酒。しょっつる。かつおだし。昆布だし。いりこだし。ごま及びごま油。わさび。からし。ねり梅。あ、カレールー。シチューのルー。ハヤシライスのルーもいい。振り掛けるだけでなにもかもジャンクな味になる、スパイスソルトもできれば欲しい。
 料理に詳しくない私でも思い付くだけでこんなにあるから、これはもっと時間を掛けて数日単位でダンジョンに閉じこもらなくてはならないのではないか。
「たもっちゃん、ドラゴンさんちのダンジョンにすごい頑丈なドア付けて通おう」
「わかる。俺もそれは検討してた」
 遠く故郷を離れた日本人同士、深く響き合ってうなずくなどした。
 そうしてなんかこれ変わった味だねとか言われたりしながら、エルフやドラゴンを含めたみんなで異世界トン汁をすすっていた時だ。
 続々と、思わぬお客の来訪を受けた。
 小屋の上、屋根がなくなり巨大な赤イヌが覗き込む隙間から、五、六人のエルフが飛び込んできたのだ。
「無事か!」
「お父様!」
 弓や短剣を装備して、必死の顔で飛び込んできたエルフが鋭く問うとトン汁を手にした少女が答える。
 いや、正確には答えてはいない。しかしその会話によって、あ、お迎えがきたんだなと全て察した。
 武装したお父さんたちは戸惑っていた。ムリもない。
 どうやら奴隷商にさらわれたらしい同胞を、決死の覚悟で助けにきたら本人たちはなんかのんびりごはんを食べたりしてた。
 ほっとするような、なにのん気にしてやがんだと言うような。そんな彼らの複雑な気持ちは、察するに余りある。
 とりあえず、トン汁をお椀についで一緒にどっすかと誘っておいた。
 たもっちゃんには夢のような状況だろう。せまい小屋はぎゅうぎゅうと、武装エルフとエルフの少女でいっぱいになった。変態がぐねぐねよじる全身からはよろこびがこぼれ落ちるかのようで、本当にキモい。
 これまでになにがあったのか、話すエルフに聞くエルフ。そんな彼らにせっせと料理を作り続けるメガネのことは放置して、私はテオやレイニーや金ちゃんを連れて外に出た。
 いまだに自分を責めるドラゴンさんは、しょんぼりしながらもそもそとトン汁を食べていたのでそっとしておく。
 私は、めずらしく気を回していた。
 今回の件ではユーディットたちにもずいぶん心配を掛けていたようだ。取り急ぎ、孤児院に無事の連絡を入れたほうがいいだろう。
 しかしお寿司屋さんのまな板サイズの魔道具を金ちゃんの背中から下ろし、孤児院用の板を探してレイニーに魔力もらいつつ通話つなげてもしもしと会話するのには小さな小屋は少々せまい。
 やればできなくはない気もするが、気の回る私はついでにさりげなくテオに外の空気を吸わせたかった。
 彼は、ちょっと落ち込んでいるのだ。
 さっきはあっつあつの汁椀を手にしていたせいで、武装した集団が飛び込んできても剣を構えることすらできなかった。そんな悔やみかたをしているらしい。
 恐らく我々と行動を共にする前なら、迷いなく手にした食器を投げ捨て剣を取っていただろう。深刻な顔でそう言うテオの、たもっちゃんの料理を決して粗末にしないその姿勢。嫌いじゃないので元気出して欲しい。
 なんもなかったんだから別にいいじゃんと私もなぐさめはしたのだが、これは結果論にすぎないようだ。そう言うことではないのだと、テオはかたくなに自分を責めた。
 トン汁を手にして微動だにしなかったのはレイニーも一緒だったけど、こちらは「何もなかったのだから良いではありませんか」と堂々としていた。
 言ってることは私と大体同じだが、こうして開き直られてしまうと釈然としないのはなぜなだろう。不思議だ。
 首をかしげながらに小屋の外に出てみると、そこはもう春だった。
 いや、本当はまだ春っぽさはそんなにはない。空気はそこそこ冷たいし、地面を踏んだ靴の底からじわじわと寒さが伝わってくる。
 しかしこれまでふわふわと降り積もり続けていた雪が、しゃりしゃりのシャーベットみたいになってそこら中で溶けていた。
 お陰で小屋の外に広がる森は、どちらを向いてもべっちゃべちゃのぬかるみだ。
 金ちゃんの背中にあるのは、メガネ特製通信魔道具の板である。べっちゃべちゃの地面に下ろして、汚す訳には行かないだろう。
 とりあえずテーブルでも出すかと、溶け初めて固くなった雪を足でがしがし踏み固めている時だった。
 まず、声がした。
「あー! やっぱり! ミトコーモンさんじゃないっすかー!」
 なにやってんすか! 海のほうにいたんじゃないんすか! 最近ご活躍らしいっすね! 孤児院て!
 顔を上げて目をやると、結構離れた所からそんなことを叫びながらにぶんぶん手を振る人影があった。
 それは遠目に見ても明らかに、「わあい!」とばかりに張り切っていた。そして雪解けの森を全力で、飛びはねるみたいにびょんびょんとこちらに向かって走ってきていた。
 私はその姿を見ながらに、なにあいつ、と思った。
 なにあいつ。超見覚えあるじゃんと。
 彼らは植物で編んだ広い円錐の笠をかぶって、背中には大きな木箱をランドセルのように負っている。そしてなによりあの口調。
 間違いない。大森林の薬売りたちだ。
 なんなんだお前はと言いたくなるようなテンションで、軽率にびょんびょんと駆けよってくる背後にはもう一人。その仲間らしき人影があった。
 それはやはり薬売りの格好で、頭をかかえてずっしりと森にうずくまっている。
 気持ちは解る。仲間の異様なテンションと奇行に、なんなんだお前はと思っているのに違いない。ものすごく解る。

つづく