神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 13

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ゾイレエンジ編

13 世界を釣る

 初デートに婚約指輪をたずさえて行ったたもっちゃんなみに我々を引かせたテオだったが、彼は一ついいことを言った。
 レイニーが釣り針に魔力を込めて、私が釣り糸を垂れる分業作戦である。
「今日は二本借りて行くよ」
 釣り竿を指してたもっちゃんが言うと、道具屋の店主は少しおどろいた顔をした。
「お嬢ちゃんたちも釣るのかね」
「うん」
 釣る。仕方なく。
「だったら、雨具も持って行ったほうがいいね。顔に傷でもできたら大変だ」
「うーん、それはいいや。私らは障壁魔法から出ないつもりだから」
 そして一番危ないと言う、魚から釣り針を外す作業はたもっちゃんにやらせる。これは譲れない。びちびちはねる魚とか恐い。
 道具屋も、私たちがタダで雨具を持って行くよりほかの客に貸すほうがいいだろう。
「あんたは? 釣るのかね」
「いや、遠慮する。じっと待つのは性に合わない」
 答えるのはテオだ。今日は同行するらしい。昨夜は高額プレゼントの押し付け合いに決着が付かず、また改めて話そうと言うことにしたからだ。問題の先送りである。
「お嬢ちゃん、本当に雨具はいいのかね。いやね、前に雨具着て行かなかったお客さんが」
「それ前も聞いたけど、結局その客どうなったの?」
「まあ、わたしなんだけどね。湖の水がちょびっと顔に付いただけで、そりゃあもう痛くって。すぐに洗ったから大したことはなかったんだけど、大騒ぎしちゃってね。その時介抱してくれたのが今の嫁で、それが縁で冒険者やめて義父からこの道具屋を――」
 しまった。ただのノロケだった。
 私たちは道具屋の忠告に偽装したノロケから逃れると、虹色に光る白い湖に二本の釣り糸を垂れた。
 糸と言っても冷や麦くらいの太さがあって、ヒモで釣っている感が強い。糸の長さは釣り竿の五倍ほどだが、リールはない。太さがあるから、うまく巻き取れないらしい。
 釣り竿の長さは、およそ三メートル。十五メートルの釣り糸をどうするのかと言うと、投げる。力の限り、湖の真ん中目掛けて自分の肩を信じて投げる。
 そして引く。これは魚の皮でできた雨具と手袋を装備した、たもっちゃんの役目だ。なんでも溶かす湖の水から、釣り糸をグイグイたぐりよせて回収する。
 水ですすいだ釣り針にレイニーが魔力を込めると、たもっちゃんが力いっぱい湖に投げ込む。手応えはなくても針から魔力が消えていることも多く、何度もこれをくり返した。
 私はその間なにをしているかと言うと、ぼーっとしている。倒れないように釣り竿をにぎって、晴れた空を見上げるだけだ。ただの釣り竿スタンドである。
 割と早い段階で気が付いた。これ、私いらねえなって。たもっちゃんのように、障壁魔法で釣り竿を固定しておけばこと足りる。
 虹色に光る白い砂利の上で、ぼーっと座る私の隣にはテオがいた。付いてきたはいいものの、やはりヒマなようだ。
「釣れないな」
「釣れないねえ」
「話していいか?」
「おもしろい話ならいいよ」
「それは……難しい」
 私もね、ムチャ振りだとは思ってた。困り果てたような顔をしながら、テオは居心地悪そうに口を開く。
「アイテム袋は、まだ受け取る気にならないか?」
「あー、その話?」
 そりゃそうだ。そのために、テオはわざわざ興味のない釣りに付き合っている。私もそんなに興味はないが、仕事だから仕方ない。
「だってさー、高いんでしょ? もらえないよ。でも多分、買い取るにはお金が足りないんだよね」
 ダンジョンの草はまだ残っているが、あの小さな町のギルドで似たような草ばかり大量に買ってもらえるかは疑問だ。
「ん? ダンジョン?」
 なにかが胸の中で引っ掛かり、隣を見る。
 そこにいるのは、理知的な瞳で髪をきらめかせたイケメンだ。あのダンジョンは、うちの仲間とこの男が攻略した。
 そう、一緒に、攻略した。
「あっ! 攻略アイテム売ったお金渡してない!」
 それに、そうだ。ダンジョンで手に入れたのは草だけではない。各階層で倒したモンスターが、ぼろぼろドロップしたアイテム。あれの利益も、配分しなくてはならない。
 いや、うっかり。自分が草しか刈ってないから、ドロップアイテムを売ると言う発想がなかった。
「やばい。全然お金足りない」
「別にいい。金が目的で潜った訳ではないしな。あのレベルで稼げる額は知れている」
「さすが、高ランク冒険者様は言うことが違うなー。でもダメ。そう言うことじゃないの。お金の貸し借りは、人を卑屈にさせるんだよね。だからダメ」
「大した額ではないだろう」
「テオにはそうかもね。でも、私には違う。それに、なんて言うか……一度でも施されたら、友達にはきっと一生なれないよ」
「まぁ、図々しい」
 あきれた声を上げるのは、水際から戻ってきたレイニーだ。湖の近くでは、たもっちゃんが釣り針を水に向かって投げ入れている。
「友達だなんて。リコさんたら、立場が違い過ぎますよ」
 なるほど、確かに。冒険者としては、ランクも実力も天と地ほどに差がすごい。
「ずうずうしいかあ」
「……いや、構わない」
 テオは静かにそう言うと、立てて座った片膝に額を着けてうつむいた。そのまま少し乱暴な手付きで、自分の頭をがりがりとかく。
「そうか……そう言うものか」
 丸めた背中に、猛省の二文字が見えるかのようだ。
「あれ、何か仲よくなってる?」
 手袋を脱ぎながら、たもっちゃんがテオの隣に腰を下ろす。
「なー、リコ。もうちょっと近くで釣んない? こんな離れてると、針が深いとこまで届かないんだけど」
「やだよ。溶けるじゃん」
 私の足元は虹色の白い砂利だが、水からは三メートルほど離れている。その分のロスをなくしたいようだ。
「て言うかさ、深い所なら魚いるの?」
「それは知らん」
 まあな。ここの魚、見えないからな。
 たもっちゃんが手袋を砂利の上に置くと、どこにあるのか一瞬では解らなくなった。つまり、こう言うことだ。
 別に透明ではないはずだが、湖底の石と魚の皮がものすごく似ている。だから普通に魚がいても、迷彩みたいに背景にまぎれてしまうのだと思う。
 勝算が見えないなあ。なんかもう、心の底から帰りたい。
「……あれ?」
 首をかしげて、釣り竿をにぎりなおす。
「どうした?」
「いや、なんか……くいくいって」
 わずかにだが、竿を通して引かれるような、つつかれるような感触がある。
「えー、何? 根掛かり?」
「解んないよ、そんなの」
「一回上げてみるか」
 よっこらしょ。と、たもっちゃんが立ち上がろうとした瞬間。ぐいっと強い引きがあった。
「うわっ、待って」
 ふるえながら糸が張り、釣り竿がしなる。私は座り込んだまま、じりじりと湖のほうへと引きずられた。テオがあわてて私をかかえ、釣り竿を支える。
「うわー! なにこれカジキっぽい!」
 カジキ、テレビでしか見たことないけど。私はあれか。異世界へきて世界を釣るのか。
 たもっちゃんが手袋を拾い、素早く雨具のフードをかぶり直す。そして水辺に向かって駆け出そうとした、まさにその時だ。
 湖はどこまでも透明で、いつも鏡のように凪いでいる。だが、今は違った。
 ちょうど釣り糸と接する辺りの水面が、ぶくりと不自然に盛り上がる。それは山なりにどんどんふくらんで、ほどなく弾けた。水の中から、巨大な魚が飛び出したのだ。
 日の光を受けてきらきらと、虹色に輝く白い魚が宙を舞い――落ちる。小太りのおっさんほどもある巨体が、ざぶりと重たく水面を叩いた。
 あ、と思った時にはすでに、目の前に障壁魔法が展開していた。レイニーだ。
 数秒の間があって、湖からはねた水滴がバタバタと障壁に当たって小さく砕けた。すぐそばで、水滴に触れた草木の葉っぱがじゅわりと焼けて溶けている。
 いくつもの低いどよめきが、うおお、と湖畔のあちこちで連鎖的に起こる。釣り人たちだ。その響きには、隠し切れないおどろきがあった。わかる。私もおどろいている。
 目にしたのは一瞬だったが、虹色に輝く白い魚体を確かに見た。カエルの手足を魚のヒレに置き換えたような、貫禄を感じるでっぷりとしたシルエットだった。
 なんとなくイメージとは違ったが、ゾイレエンジの魚は実在したのだ。

つづく