神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 148
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春のお仕事編
148 シーサーペント
表面のぬめぬめとした巨大なヘビは、その内側もぬめぬめとしていた。大きく開いた口の中身は、まるで暗い穴だった。
それが私たちを飲み込もうとして、今まさにすぐ目の前まで迫っているのだ。
たもっちゃんと私は叫んだ。マジかと。とっさのボキャブラリーがない。
しかし。その口が、ばくりと閉じる直前に。
我々の体はぐいっと上に持ち上げられた。レイニーだ。飛行魔法を操作して、素早く高度を上げたのだ。
もしかしたら茨のスキルが発動し、実際に飲み込まれることはなかったかも知れない。だが今回は、レイニーのほうが早かった。
ウミヘビは追いすがるようにさらに体を伸ばそうとしたが、目に見えない天井に鼻先でもぶつけたみたいにピタリと止まる。どうやら自分の体のずっしりした重さで、それ以上は空に向かって伸びあがれないようだった。
長大な体の後ろ半分を島に巻き付けるようにして、空中に伸ばした半身がバランスを崩してゆっくりと落ちる。
ざばりざばりと重く長い鎖のように、ヘビの体が段階的に海中に沈み、重量に見合った水しぶきを上げた。
はね上げられた海水は、もうほとんど水柱のようだ。そのために、結構上空にいたはずの我々を余裕な規模で飲み込んだ。びしょぬれである。
「マジかあ……」
たもっちゃんと私はぼう然と自分の体を見下ろすが、その横で同じくふよふよ浮かぶレイニーだけは無事だった。とっさに自分の範囲だけ障壁を展開させていた。
そう言うさ、自分だけ助かろうと言う気持ち。すごく解るけどどうかと思う。
あんなに元気に口ゲンカをしていたと言うのに。どことなく生ぐさい海水を全身に浴び、我々のテンションはものすごく下がった。空気感としては、ドブから這い上がってきた貧相なネズミだ。
この悲運により、冒険を楽しむメガネの気持ちもすっかりなえてしまったらしい。
たもっちゃんは落ち込む片手間に大体の魔法で海を割り、どーんと攻撃魔法を打ち込んでかなりあっさりウミヘビを仕留めた。そしてその長大なヘビを、魔法でにょろにょろ宙に浮かべてさっさとクレブリの街へと戻った。
そのサイズ感とかがちょっとだけ昔ばなしのオープニングみたいだなと思ったが、こちらは死体をぶら下げているだけだ。一緒にしてはいけない気はする。
そんなやたらとテンションの低い我々の帰還を、最初に知ったのは私が勝手にイグアナと呼ぶ異世界の魔獣だ。
海に面した広範囲の岩場や孤児院を取り囲む空き地で、ごろんごろんと大量に日向ぼっこしていたそれらは一気に恐慌状態になった。
空からにょろにょろ迫ってくるウミヘビの姿に、四つ足の魔獣がこけつまろびつ仲間を押しのけ海の中へと逃げ込んで行く。
大きめの爬虫類たちがあっと言う間に消える様子は、上空から見ているとまさにクモの子を散らすかのようだ。びっくりさせてなんかごめんなと言う気持ち。
その騒ぎに気が付いて、赤茶のレンガで作られた孤児院の中から最初に顔を出したのはテオとむきむきとした白ヤギだった。
たくましいヤギの獣族であるグリゼルディスは一児の母で用務員だが、孤児院の警備も自分の仕事と定めているようだ。テオと一緒に剣を携え出てくる姿が頼もしい。強そう。
彼らは騒ぎの元凶が巨大なウミヘビを丸々持ち帰った我々だと知り、真顔で言った。なにやってんだと。
「そのまま持って帰ってくる奴があるか」
「えー。だって折角討伐したし」
「討伐部位だけ切り取ればいいだろ」
「えー。でも素材とかさぁ。余すところなくさぁ」
討伐を証明する部位だけ残して元の所に戻してきなさいと常識的なことを言うテオとグリさんに、この子はうちの子にするんだと抵抗を見せるたもっちゃん。
議題が魔獣の死骸でなければ、ほほ笑ましい光景かも知れない。と、一瞬うっかり思ったが子供役がおっさんなのでなにもほほ笑ましくないと気付いた。危ないところだった。
やだやだ全部活用するんだいとばかりにがんばるメガネの背後には、孤児院の庭から海のほうへと七割はみ出す勢いでヘビの魔獣をぐしゃっと雑に置いている。確かにすでに、持て余している感はある。
テオとグリさんはあきれながらに、緊張をゆるめてそれぞれ武器から手を離す。そのことで、危険はないと伝わったのだろう。
建物の中から子供がわっと飛び出して、こわごわと、同時に抑え切れない好奇心に顔をぴかぴかさせながらウミヘビの周りに群がった。
すげーすげーときゃいきゃい騒ぎ、しかし絶対に触ろうとはしない。
少し恐いのもあるのだろうが、なによりユーディットが玄関から出てくるや否や、生ぐさい! と悲鳴のように叫んで貴婦人らしからぬものすごい顔をしたからだ。
「誰も触るのではありませんよ! 夕餉をパンとスープだけにしてしまいますからね!」
抜きではないんだな。微妙に優しい。などとのん気に思っていると、ユーディットはキッときつく我々をにらんだ。
「この様なもの! 持ち帰って一体どうすると言うのです!」
「あっ、またそっからか」
今な、ユーディット。それで一通りもめたとこなんだ。
メガネが一切譲らないためすでに迷走していた議論は、レースの付いたハンカチで口元を押さえた貴婦人によりばっさりと不愉快そうに切り捨てられた。
「では、直ぐに売り払うのが宜しいでしょう。この臭い、鼻が曲がってしまいそう」
「奥様の仰る通りです。何て事!」
ここへきて貴族感を出してくるうちの院長とその侍女を、まあまあと神官服の男性が横からなだめた。遊びにきていた神官長だ。
「これ程の魔獣。先ずは仕留めてきた事を褒めてやらねば」
「そうでしょ、そうでしょ。偉いでしょ。ほめて」
「たもっちゃん、気を確かに」
なんか唯一の味方みたいな感じで飛び付いているが、内容としては思いのほかがんばった子供をほめる時とかのやつだ。
あと、それとは全く関係ないが、鷹揚にほほ笑む神官長の腕の中にはやり手の幼女ロッティが無邪気げに抱っこされていた。なんとなく、若めのおじいちゃんが初孫にうまいこと転がされてるようなおもむきがある。
我々がやいやい好き勝手に騒いでいる間に、ユーディットはその辺の子供たちをつかまえて冒険者ギルドへ走らせた。この生ぐさいナマズ的な魔獣を、一刻も早くどこかへ押し付けてしまいたかったようだ。
ギルド職員は、戸惑いながらもすぐにきた。ノルマをぶっちぎった我々があわててクレブリのギルドに駆け込んだ時、担当してくれたおっさんだった。
おっさんは、いかつい顔をぼう然とさせて立ち尽くしていた。集まってきた近所のヒマな人たちにまざり、もはや動かない巨大なウミヘビを前にしてまだ日の高い空のもっと向こう側を見るかのような遠い目をしていた。
仕方ない。訳が解らないだろう。
我々が受けた元々の依頼は、イグアナをどうにかすることだった。
それがどうして、シーサーペントの討伐になるのか。説明しなければ解らないはずだ。説明しても解らないかも知れない。
一時的に思考力をなくしたギルドのおっさんはチョロかった。ユーディットに命じられるまま、ナマズ感のあるウミヘビの引き取りを受諾した。
ただシーサーペントは人的被害を出す魔獣であるため、売買ではなく報奨金の扱いで対価が支払われるとのことだ。
あとは肉が食用になるかとうちのメガネが気にするだけだが、人を襲う魔獣の肉は食べるのを忌むものであるらしい。また、そう言われるとなんかやだなと言う話になり、たもっちゃんも廃棄に同意することとなる。
ではこの巨大な魔獣を丸々持って帰ったことがムダだったかと言うと、しかし実はそうでもなかった。
ずるずるとしたウミヘビの皮が、イグアナ除けに有用だと解ったからだ。
それをほどほどのサイズに切り分けて、腐らないよう処理したのちに漁師たちに配布してもらうことにする。それを船や定置網に取り付けておけば、イグアナが警戒して近付かなくなるらしい。
皮の加工と配布に関しては、依頼主である漁業組合的な所がやってくれるとのことだ。
また、島を占拠していたウミヘビの脅威が去ったと解れば、クレブリの海辺でごろごろとのさばっていたイグアナたちもその内に本来の巣に戻って行くだろう。
なので当初の、イグアナの群れをどうにかすると言う件はこれで一応の達成となった。
さて、ここで懸案の。
と言うかまあそうだろうなと思ってはいた、レイニーがおやつに釣られてウミヘビの狩りに間接的に手を貸した件は、やはりきっちり怒られた。
やたらと光る例の上司玉が現れて、レイニーをねちねち叱ると共に連座した我々にも罰として試練を与えることになった。実に、その日の夜のことである。
つづく