神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 27

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クマの村編

27 職人の朝は早い

 パン職人の朝は早い。
「まぁ、喜んでもらいたくて始めた事ですから」
 職人は、運がよかったのだと語る。
「酵母菌が存在するのか。それさえも解らず、完全に手探り状態からのスタートでした」
 森で採集できた酵母菌は、大切に培養された。肝心なのは、温度と湿度だ。
「毎日条件は違います。温度は高過ぎても低過ぎてもいけない。酵母が一番いい仕事をしてくれる様に、環境を整えてやるのがおいしいパンを焼く秘訣ですね」
 あくまでパンをおいしくするのは酵母菌だ。そう言いながら、職人は生地をこねる。その表情は真剣そのものだ。
 職人の仕事から少しでも多くを学ぼうと、ベーア族の弟子が背中を見守る。
「見てくれよ。この魔法陣はよ、温度を一定に保つためだけにタモツが考えたんだ。こんなこと、ほかのやつは誰もしねェよ」
 厨房のテーブルに刻まれた魔法陣に、ベーア族の男はかなわないと言うように首を振る。職人のこだわりは、余人には理解の及ばない領域に達していた。
「いや、人んちのテーブルにラクガキするのはやめなさいよ」
 職人コピペの取材ごっこから離脱して、私はさすがに真顔になった。
 緑のチョッキにエプロンを付けた大きなクマは、ごつい手でパン生地をこねながら首を振る。
「生地寝かせんのに一晩掛かるんでよォ、いっぱい描いてもらってんだ。この天気じゃ、温度も湿度も管理が難しくってよ」
「ほら!」
 ジョナスのフォローに、たもっちゃんはどや顔だ。
 魔法陣に魔力を流さなければ、テーブルも普通に使えるらしい。私はてっきり、上に置いたものがもれなく人肌にあったまる謎テーブルが爆誕したかと。
 二人がパンをこねているのは、ジョナスの店の厨房だ。ここには結構立派な石窯があって、村で消費する試練パンや謎パンは以前からここで焼いていたらしい。
 今は酵母パン一色だが、これは料理好きの店主がふわふわのパンに魅了されたせいだ。わかる。いいよね。ふわふわのパン。
 肉球の間に毛が生えている系獣族の知恵らしく、ジョナスはパン生地を袋に入れた上からこねる。袋は魔獣の革でできていて、よくこねた生地なら綺麗に取り出せるようだった。
 そりゃそうだ。素手でこねたら、あれだよね。毛がね。ちょっとね。
 私は厨房に面したカウンターに肘を突き、明日のパンをせっせと仕込むクマを眺めた。
 隣の席には退屈そうなレイニーがいて、木戸を開けた窓からはしとしとと降り続く小雨の匂いがまぎれ込む。おだやかな午後だった。
 その空気が破られたのは、酒場の扉をバタンと開いて男が飛び込んできたからだ。
「ルディ=ケビンはどこですか!」
 飛び込んできたのはピンターだった。中年文官の剣幕に、酒場で休憩していた数人の兵士がなにごとかとあわてた様に腰を浮かせる。しかし、それは私たちも同じだった。
 彼は一昨日から村を空け、ローバストに帰っていたはずだ。それが厚手のコートからびたびた雨水をまき散らし、血相を変えて戻ってくるなり叫ぶようにわめくのだ。
 こんなの、絶対なんかあっただろう。
「ピンターさん、大丈夫ですか?」
 扉から入ってきたピンターに、一番近いのは私だった。それだけの理由で、一応問う。だが、相手には答える余裕もないようだ。
「ルディ=ケビンは!」
「ルディなら、王都に帰りましたけど……」
 レイニーと顔を見合わせながら伝えると、ピンターの体がぐらりと揺れた。
「まさか、酵母菌を渡したりしていないでしょうね?」
「……えーと、駄目でした?」
 厨房の入口に半分隠れ、たもっちゃんはてへぺろと言った。
 どうやら、酵母菌のことは領主の名前で王都に報告したかったらしい。そのため「酵母菌を誰にも渡すな」と、たもっちゃんに何度も釘を刺してあったようだ。
 もしも相手が商人などなら、たもっちゃんもその頼みを優先したかも知れない。しかし、酵母菌を欲しがったのは商人ではなくルディ=ケビンだ。私でも解る。これはムリだと。
 彼の頼みを、たもっちゃんが断れるはずがない。だって、エルフなんだもの。
「くっ……人がちょっと報告に行っている隙に! 老獪なエルフめ……!」
 びしゃびしゃのまま酒場の床に崩れ落ち、ぶつぶつと呟くピンターの姿はなんか本当にかわいそうだった。
 その数日後、私たちはローバストの城にいた。呼び出しである。
「何をしている」
 事務長が、現れると同時に怪訝そうに言った。別に怒っている訳ではない。今のは多分、たもっちゃんが窓に貼り付いているのを不審がっているだけだ。
 以前交渉する時にも使われた、会議室だった。たもっちゃんがなで回しているのは、窓にはまった透明な板だ。
 この世界で透明な窓はめずらしい。あるのは貴族の城か邸宅か、大きな商家くらいだろう。一般家庭は壁に開けた四角い穴に、木の鎧戸を取り付けたものを窓と呼ぶ。
「家建てたんですけど、暗いんですよね。この板って、やっぱ高いですかね?」
「高いな。大森林でしか取れない素材で、その扱いも難しい。希少性と専門家の人件費で嫌になる程費用がかさむ」
 城の維持費も、事務長の管轄なのかも知れない。神経質な雰囲気が増して、ものすごく嫌そうに教えてくれた。
「それで、君達は本気であの村に籍を置くつもりか」
 事務長は部屋の戸口に立ったまま、無造作に本題っぽい話を投げ掛けた。それに答えるのは、うらやましげに窓に貼り付くたもっちゃんだ。
「まだ住めないんですけど、形だけはそうしたいと思ってます。ピンターさんに相談したら、税金とかもその方が得だって言うし」
「聞いている。手続きと税については部下に対応させよう。その前に――」
 事務長は、すっと体を引いて部屋を出る。そして私たちをうながしながら、ブッ込んだ。
「領主様がお会いになる。付いて来る様に」
 結論から言うと、領主様も奥方様もいい人だった。いい人たちで、本当によかった。礼儀知らずの我々は、ちょっとよく解らないままに無礼を連発していたらしいので。
 たもっちゃんはガチガチに緊張したあげく、酵母で仕込んだホットケーキを焼いていた。とても偉い領主様とすごい美人の奥方様を目の前に、完全にポンコツが発動していた。
 どこの世界に、領主の城の謁見室でホットケーキを焼くバカがいるよ。
 磨き込まれた床をこがして事務長に怒られ、しょんぼりするメガネを我々は見捨てた。そして領主夫妻と一緒になって、ホットケーキにハチミツを垂らした。
 この世界では、全体的に甘味は貴重品のようだった。このハチミツも我々には持ち合わせがなく、領主様が出してきたものだ。
 いいなあ、ハチミツ。ヴィエル村で養蜂とかしないかなあ。クマとハチミツの親和性って、根拠はないけど間違いないと思うのよね。
 ちなみに、村でルディに出したフレンチトーストにもなんらかの甘味料が使われていた疑惑がある。
 この件に関してメガネは頑なに黙秘をつらぬいているが、私は確信していた。あいつは絶対、エルフに捧げる食材に結構現金を溶かしていると。
 あの達者な食レポの前に、溶かさない訳がないんだあのバカは。
「住みもしない家を建てて税を納めるとは奇特な事だが、これからどうするのかね」
 領主様がたずねたのは、上品に、しかし猛スピードでホットケーキを吸い込み終わった頃のことだ。そして「しばらく滞在して、もっとこれを焼いて行ってはどうかね」と、空のお皿を示して言った。
「まぁ。あなた、困らせてはいけませんよ」
 たしなめるのは奥方様だ。涼しげな目元に銀髪のまじりの黒髪で、色合いのためかどこか悪役めいた印象はある。でも、ものすごい美人だ。ゴージャスなドレスや装身具で着飾っているのが、とてもよく似合う。
 対して領主様はなんかこう、普通だった。のんびりとした雰囲気の、どこにでもいそうな中年男性と言う感じ。しかし地味すぎて逆に底知れないラスボス感が出ちゃってるから、本当のところは解らない。
 だから誘いを断るのは気が引けたが、滞在するのはもっとやだ。
「すいません。そろそろ旅に出ようかと思ってて。人も探さないといけないし」
 すでに、村にも挨拶は済ませてあった。
 圧縮木材て建てた家にも、今のところ不具合はないようだ。雨ざらしの屋根が心配だったが、今のところ雨もりもない。使用した木材が、元々水に強い種類だったこともある。
 ただ逆に、薪に使われるだけあって燃えやすかった。火と虫に強い魔木の樹液を塗ってはいるが、くれぐれも火の元にだけは気を付けて欲しい。
 また戻ってくるんだろうね? と何度も確認されながら戸籍と税の手続きを済ませ、ローバストをあとにした。それから、約六日後のことだ。
 私たちは、荒野でテオと再会した。

つづく