神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 263
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ネコの沼とシュピレンの闇編
263 老いた猟師
人間、いくつになっても怒られるのは嫌だ。
と言うかむしろ、大人になるほど怒られたくない一心になる。これは我々の場合だが。
そんな気持ちでじりじりと腰の引ける我々に、しかし彼らは精神的経済的に猟師の領分を荒らされたことに思うところがないではないが、それはもういいと言う。
「それよりよ」
と、老いてはいるが武骨な指でがりがりと短く刈った頭をかいて老人が切り出す。
「白旗焼きの屋台をよ。出したのはアンタらぁだって話じゃねぇか」
本題は、そちらのことらしい。
フェアベルゲンは大きな体を砂漠に隠し、人も魔獣も簡単に引っくり返して飲み込んでしまう。
それを狩るのは危険な仕事だ。
うまく行けば実入りはいいが、チームで組んでもケガ人は出る。時には、命を落とすこともある。
死ぬことを思えばケガで済んだら運がいいとも言えるだろうが、当事者の耳にはただの綺麗ごとにしか聞こえない。
「そのあとはどうする? ケガ人を食わせる余裕はこっちにもねぇんだ。生き残っても、まともに動けねぇなら同じさ。見捨ててぇ訳じゃねぇ。でも、どうしようもねぇんだ。明日は我が身だってのに」
老人は赤茶のまざる白い頭をうつむけて、自分の腿をぱちんと叩く。
それに誘われ視線を下げると、叩いた足の膝から下は棒だった。義足だ。筒状に削って先に滑り止めを施した、木の棒が取り付けられているだけだが。
言葉でそして全身で、老いた猟師は危険で過酷な人生を語る。その厳しい現実は、きっと聞いているだけで言葉を失ってしかるべきものだ。
しかし、たもっちゃんと私はあまり正しくリアクションを返せなかった。
義足となったその老人の片足が長年に渡り追い続けていた宿敵にやられてしまったもので、今もその意趣返しがあきらめられないみたいな話をチラッと聞いてしまったからだ。
「船長じゃん……」
「白鯨じゃん……」
我々はぼそぼそとささやき合って、思わずそわそわしてしまう。申し訳ない。人生に真剣みの足りないサブカルオタクはこれだから……オタクと言うか、我々の資質の問題だけど。いやでもエイハブ船長じゃん、マジで。
そんな落ち着きのない我々を、けれども老爺は特に気にしてないようだった。
同情や共感を求めようと言うのではなく、彼はただ、そこにある事実を告げているにすぎないのだろう。
老人は自らの身の上をもう少し語った。
猟師として長く働いて、片足を失った時には後進を育てる立場にあった。だから放り出されずに済んだが、ほかの者はそうじゃない。
自分ばかりが助かって、それが胸をかきむしるように苦しい。
「そしたらよ」
と、ここで。
古びたシャツの胸元をぐしゃりとにぎった老人が、頭を上げて我々を見た。
「ラスの旦那が、働けなくなっちまった猟師に屋台の仕事させてやるってぇじゃねぇか」
本人たちの具合によっては屋台を引いたり調理したりできないこともあるのだろうが、それでも材料の仕込みや食材の調達ならできるかも知れない。
また、屋台には限られた食材や燃料油しか積み込めず、これまでは完売してしまえばその場で終わりになっていた。その補充を元猟師たちが請け負えば、無限に。そう、理論的には無限に商品を提供できる。
そしてなにより、それらの仕事はゆっくりでいいのだ。スケジュールさえしっかり組めば。ケガの影響で思うように動けない者でも、体調に合わせて働ける。
例えばちょうど、すでに白旗焼きの屋台を引いて働いているヨアヒムのように。
「アンタらぁのお陰だって聞いてよ。どうしても、礼を言わにゃ気が済まなかったんだ。……ありがとうよ」
老人が深く頭を下げるのと同時に、その後ろにずらずら並んだ猟師らが負けず深く頭を下げた。
よく日に焼けた筋肉まみれの集団の、ゴリラのようなつむじを見ながら我々は思った。
それ、あんま私ら関係ないなと。
確かに、タコの入ってないタコ焼き改め白旗焼きを異世界の屋台業界に持ち込んだのは我々と言うかうちのメガネだ。
しかしそれはヨアヒムきっかけの出来心だし、あのおっさんが昔フェアベルゲンの猟師だったのは偶然だ。
あと、ケガで職を失った猟師らに白旗焼きの屋台の仕事を斡旋すると言う計画は忘れてるのでもなんでもなく、今聞いた。今。初めて聞いた。
多分だが、老人も名前を出していた通りラスの仕業なのだろう。
あの暗黒微笑が屋台のチェーン展開をもくろんで、その運営にちょうどいい労働力としてケガで機動力はそがれたがまだまだ頑強な元ゴリラの肉体に目を付けたのに違いない。正しくは、ゴリラではなく猟師だが。
いやそれホンマにワシらとちゃうでと一応伝えはしたのだが、多分あんまり、と言うか全然伝わらなかった。
なんと言うか猟師らはよろこびに盛り上がっていて、全身からあふれる暑苦しいほどの恩義めいたなにかを、どうしても我々に向けねば気が済まないようだった。
だからこちらがどう言おうとも、「いいからいいから解ってっから」と、まるで全て心得ているとばかりにわっさわっさと重たい筋肉を揺らすばかりなのである。
これ、あとで冷静になった時、我々があんま関係ないのに気が付いてあいつら本当なんだったんだと戸惑いを生むんだろうなと思ったが、結局なに一つうまく説明することができずに終わった。
努力はした。努力は。努力に結果がともなうものとは限らないだけで。
ただ単に、我々の説明がド下手くそすぎる可能性も高い。
デカ足の出発時間がいよいよ迫り、船長属性の老爺を含めた日焼けしたゴリラみたいな集団は、世が世なら万歳三唱でも始めかねない勢いで熱烈に我々を見送った。
護岸を離れなめらかに走り出したデカ足の上から、遠ざかる街を見ていると彼らは割といつまでもいつまでもワッショイとしていた。
こうして、我々は約一ヶ月の時間をすごしたシュピレンの街をあとにする。
この胸の中に吹き荒れる複雑な気持ちをうまく言葉にできないのだが、とにかく最後の最後までなにも油断のできない街だった。
夏の太陽にあぶられて、色褪せたベージュの砂漠を走り出した巨大なムカデはブルーメへ向かう。
ツヴィッシェン側から街へ向かった最初とはルートが全く違うはずだが、正直風景は変わらない。なにしろ砂漠だ。砂しか見えない。
違うのは、あの頃は雨季だったことだろう。
そのため降雨がたびたびあって、湿度の高い濃密な霧に視界が白く閉ざされることも多かった。
それに比べて真夏の砂漠は湿度が低く、空気がカラリとしている上に高速で走るムカデの背中はいつも風が吹いている。日除けのテントの下にさえいれば、意外にもすごしやすいほどだった。
列車のように長く巨大なムカデにはもちろんほかにも乗客がいるが、領主夫妻や老紳士のヴァルター卿、テオのお兄さんに、事務長。それからそれぞれ警護のための、ローバスト、公爵家、お兄さんの部下などの騎士たちは集団でまとまり場所を取っていた。
有料レンタルの休憩小屋や日除けのテントで体を休める彼らのそばで、我々も借りたテントの中へと落ち着く。
貸し出されたテントはざっくり厚手の生成りの布で、それを一緒に貸された専用の支柱とデカ足の体に巻き付いたベルトにしっかり固定して三角の屋根状にしたものだ。
広さとしては二畳ほどだが、三角に張ったテントの屋根は左右に行くほど低くなる。座るにしても手ぜまだと言うので、我々だけでも三つ借りて前後につなげる形で建てた。
そして風を受け音を立てる布の下、我々は神妙な面持ちで額を突き合わせている。
デカ足の進行方向に向かい、三角の口を開いたテントの中にはメガネ、金ちゃん、子供のじゅげむにレイニーがいて、私、の順で大体が入り口から奥に向かって向かい合いつつ座っている格好だ。テオはお兄さんの監視下で、今はちょっとここにはいない。
まあそれはいい。よくないのは手前二つのテントに固まる我々とどうしようもなく越えられない壁を感じさせる距離感で、魔族の双子が続けて建てた三つ目のテントの一番奥で怯えるように体をよせ合っていることだ。
奥とは言ってもテントには斜めになった屋根しかなくて、あちらの端も三角形に口が開いた状態だ。しかし、そう言う問題ではない。彼女たちがそれとなく、しかし最大限に我々と離れようとしていることが問題なのだ。
「ちょっとさあ、たもっちゃん。あれ、心の距離がやばくない?」
「やっぱり? 俺もちょっとそうかなって」
そんな話をひそひそとする我々に、レイニーがやはりひそひそと言う。
「やはり、本人の意志を確かめもせず金にものを言わせて強引に買って家畜の様に連れて行くのが人として最低と言うことなのでは?」
つづく