神の詫び石 ~日常系の異世界は変態メガネを道連れに思えば遠くで草むしり~ 228

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お祭り騒ぎと闘技場編

228 すきあらば

 たもっちゃんと私はざわめいた。
「軍曹……」
「軍曹だ……」
 白くせまく視界を閉ざす霧の中、すぐそこに現れた巨大なクモはインパクトがあった。
 多分、一人だったら泣いてたと思う。
 馬より大きなその虫は、乾いたベージュに暗い灰色がまだらにまざった色合いをしていた。ただし胴体自体はがっしりした大型犬ほどで、胸の横から放射状に伸ばされた異様に長いたくさんの足が全体を大きく見せている。
 だから実際の体長は足の範囲がほとんどと言えたが、それでも異世界のアシダカ軍曹はでかい。
 しかもその体には鞍や手綱が着けられて、背中に人を乗せていた。異世界で出会った軍曹は、騎馬の役割さえこなせるようだ。
 丸っこい腹を持った胴体は、その長い足に持ち上げられて我々の目線よりいくらか低い位置にある。しかし軍曹は砂漠の上に立っていて、我々がいるのはそれより人の背丈ほど高い街の土台の上だった。
 軍曹と同じ高さの地面に立てば、大体の人類は頭の上から見下ろされることになるはずだ。
 たもっちゃんと私は数分の間、実物を前にしながらに「軍曹でけえ」と言う言葉以外が出てこない症状におちいった。
 我々が語彙を失っている間にも、周辺を白くにごらせて視界を閉ざしていた霧は徐々に消えて晴れて行く。
 そうして段々と解ってきたのが、ここでは今からなにかが始まるらしいと言うことだ。
 雨上がりの湿度は霧となって拡散し、あとには少し冷たい風が吹く。
 それを見はからってでもいたのだろうか。街の門からぱらぱらと、やがて列となって人影が出てくる。
 防壁側に小屋の並んだ小さな賭場も板戸を開いてお客をまねき、気が付けば屋台の数も増えていた。
 そして雑踏と活気が増してきた街の土台の外側の、しかしほど近い砂漠の上には何十頭もの騎馬らしきものたちがいる。
 最初からいたのか、いつの間にかに集まったのか。どちらとも私には解らなかったが、とにかく霧が晴れるとそこにいた。
 中には巨大なクモが見られるように、必ずしも馬とは限らなかった。それこそ馬のように大きなイヌや、同じく大きなネコもいる。やたらと足の多いトカゲに、鎧を装備したネズミのような動物も見られた。これは地球のものよりもっとごつくて相当にでかいが、アルマジロに近いかも知れない。
 バラエティ豊かな騎馬たちはそれぞれ専用の馬具を着けられて、背中に人族や獣族の騎手を乗せ、または主に手綱を引かれて走る順番を待っている。
 ざわめく客たちから聞こえてきた話では、これからここで賭け金ありの砂漠のレースが始まるらしい。
 私は野次った。
「人間ごときが! ネコ様に運んでいただくとは! なにごとか! むしろネコ様を担いで走ったらどうなの! 人間が!」
「リコ、言い掛かりが特殊過ぎて俺ちょっと恐い」
 たもっちゃんは気持ちで引いて首を振り、物理で引いて距離を取る。
 不本意ではあるが、気持ちは解る。
 岸壁のふちに崩れるように手足を突いて、声の限りに叫ぶ姿は野次ると言うより押しの強い懇願に近い。自分でも、これはちょっとどうかなと思う。
 いや、頭では解るんだ。
 似たような大きさのイヌだって鞍を着け人を乗せてるんだから、ネコが人を乗せることもあるだろう。でもダメだ。心が理解を拒絶する。
 ネコはいるだけでいいの。生きてるだけでお賃金が発生するの。運動なんかキャットタワーをのぼりおりするだけでいいし、労働は充電の切れた人間を肉球で踏むだけのお仕事とかで。あとはたまに人間が勝手に吸ったりもする。ネコを。
 別の派閥にしてみたら大いに異論はあるのだろうが、うちでは昔からこうなってるんです。ネッコかわいいよネッコ。
 イヌも好きなほうではあるが、イヌはこう、なんか。お仕事に対してがんばるワンみたいなイメージがある。イメージなのでこれと言って根拠はないが。
 ネコと和解せよと訳の解らない騒ぎかたをしていた私は、すみやかかつ粗雑な感じでほどなく強制排除の憂き目となった。
 私のシャツの首の後ろをそれこそネコのようにつかんだおっさんが、「おお? 伸びるなこのシャツ」と変に感心しながらに岸壁のふちから壁のほうへとそのまま引っ立てて行ったのだ。
 今着ているのは胸の辺りに日本語で「イエス愛にゃん」とプリントされたメガネ発注のTシャツだ。首元がだるんだるんになっていないか心配だったが、完全にバカにしてくるこの柄のせいであんまり残念な感じがしない。
 こうして雑に運ばれた防壁のそばで適当に、ぺっと地面に捨てられてやっと相手の顔が確認できた。見上げると、そこにいるのはいかつい感じのおっさんだ。
 健康的な浅黒い肌に、ほどよく付いた実用筋肉。顔や腕にうっすら見られる傷跡は、酒場の職業夫人なんかにモテそうだ。
 と、そこまで考えて思い出す。これあれだ。シュピレンの冒険者ギルドで会った、ワイルド系ナイスミドルのギルド長の人だ。
「やだー、奇遇ですね」
 変なところで会うと思って座った地面から声を掛けると、相手はなんだか疲れたように「そうでもないぞ」と見下ろして答える。
「壁の外には魔獣も出るからな。レース中の警備は冒険者ギルドで毎年請け負う」
 今はその一環の見回りの途中で、偶然と言うよりは必然に近いとのことだ。
 それに、と。
 ギルド長は大きく武骨な手の平で、自分の首の後ろの部分を揉みほぐすようにごしごしなでて言葉を継いだ。
「探してもいた。ギルドに伝言が溜まっているのに一向に姿を見せないと職員が気を揉んでいたからな」
「伝言? 私らにですか?」
「えー、誰だろ」
 気持ちと物理の距離感を戻したメガネと二人、心当たりがなにもないなと顔を見合わせているとギルド長はワイルドナイスな顔面をものすっごくなにか言いたげにゆがめた。
 私にもなぜだか解らないのだが、このギルド長の表情は我々と一緒にいる時のテオを思い出させるものがある。なぜだか全然解らないのだが。
 しかし今にも飛び出しそうな、なんらかの言葉をギルド長はぐっと忍耐強く飲み込んだ。
 そして、ただただ迷惑だと言うように。
 伝言は早急に受け取りにこい。そしてもう騒ぎは起こすなと。
 そう迫るように言い含め、巡回のお仕事に戻って行った。
 そのたくましさと同時に悲哀のただよう男の背中を我々は、なんなのかなあとぼんやり見送る。仕方ない。この時点で我々はなにも知らされていなかった。
 こうして職員だけでなくギルド長までそわそわしている理由や事情を実際に知るのは、もう少しあとのことになる。
 具体的には本日の目的である屋台業務の初日に追われ、砂漠で始まったレースに若干お金を溶かすなどしたりなんかして、そうしたらなぜ自分に賭けないのかと知り合いの砂漠の民に責められてからギルドへ伝言を受け取りに行ったあとの話だ。
 我々を責めたのは砂漠の民って言うかハイスヴュステのニーロだが、なんかいた。やたらと足の多いトカゲと一緒にレースに出場していたらしい。
 走っているのは馬ではないが賭け金と引き換えに渡されてすでにゴミとなった馬券をにぎり、護岸の上に崩れ落ちた私に黒衣の若者がぷりぷりと怒る。
「ちゃんとオレに賭けないからだ! そりゃ、一番でこそないが……二番だって配当金は出たのだぞ!」
「出てたの知ってたら賭けてたけどさあ……終わってから声掛けてきたじゃん。それはムリじゃん。そんなの軍曹に賭けちゃうじゃん……」
「砂漠で黒衣の民を見て、どうして顔見知りだと解らない……」
 褐色の肌にはっきりした顔立ちで、なんとなくしょんぼりとニーロは呟く。
 どうやら砂漠で特徴的な黒い服を着るのはハイスヴュステの民だけらしい。
 いや、なんか足の多いでっかいトカゲがいると思ってはいたんだよ。その騎手が黒い服を着ていたことも、見てはいた。
 ただ、たまたま流れ着いたこの街で知り合いに会うとは思わないじゃない。
「ニーロ。黒の衣は他の村の者も着る。砂漠の民でなければ見分けるのは難しい」
 言ってもしょうがない内容の割に相手を責めがちな会話をたしなめ、若者と私を止めたのは四十ほどの黒衣の男。アルットゥだった。
 さすが年長。いいことを言う。
 たもっちゃんがその横で、
「アルットゥ、アルットゥ、元気? 久しぶりだねぇ! 姪御さんは? もうお嫁に行っちゃった? 遊びに行くって約束したのになかなか行けなくてごめんねぇ」
 などと、テンション高くまとわり付いて焼きたてのタコなしタコ焼きをすきあらば食べさせようとしていなければ、もっとよかった。

つづく